5.


 一日龍夜の心を弄んだ席替えも無事に済み、3Aの教室に放課後が訪れた。部活に参加するべく、クラスメイトたちが学校中に散っていく。
 龍夜も体育館へ向かおうと鞄を背負い、嵐が荷物をまとめるのを待っていると、「何、龍夜、一番前になったの?」と声が飛んできた。遥だ。寛司もその後ろから顔を出し、教室を見回している。
「A組が席替えするって寛司から聞いたから見に来た」
「したよ席替え?一番前になっちゃったよ?」
 一番前の、出入り口近く。何かと教員たちの目が届きやすいこの席は、授業と全然関係ない作業をするだとか居眠りだとか、そういったことをするつもりはないけれど少し憂鬱だ。
「で、後ろは嵐? じゃあいいじゃん」
「でも一番前なんだよ」
「それはまあ、諦めるんだね」
「くっそー」
 言い合いながら、口を挟んでこない寛司の肩をつついて窓の方を指差した。
「一番窓側、前から二番目」
「は? あ、いや、俺は」
「あーあ、トリプルゴッドフィンガーの効果イマイチだったわー寛司のせいだわー」
「え、もしかして俺責められてる?」
「別にー」
 冗談半分で寛司を弄り、「嵐まだ?」と振り返る。
「ごめん待たせて」
「おせーよもー早く部活行こうよ」
「だーからごめんって言ってるでしょ」
 嵐の唸り声に女子の笑い声が被さった。四人揃って口をつぐむ。そちらを見れば、嵐の隣の席で園が小さく肩を震わせていた。
「仲いいんだね」
 口元に手を当てて、またふふと笑う。肩にかかった髪がさらりと滑り落ちた。
「そう見える?」
「うん、とっても。……ええと」
 園の視線が寛司、遥の顔と制服の名札を往復する。そういえば二人が園とまともに会話するのはこれが初めてではないだろうか。ここは龍夜が紹介をするべきだろう……いや、紹介だなんて何だかよそよそしい気もする。だいたい紹介といっても何をどうするつもりなのだ。何を伝えればいいのだろう。とりあえず名前と、クラスと……。
 迷っている間に。
「あっ俺、B組の双馬寛司」
「木倉遥。俺もB組」
「華宮園です。よろしくね」
 セルフで紹介が済まされていた。
「四人とも同じ部活なんだ?」
「そ、バスケ部。あっそうだ、華宮さんは部活どうするの?」
 寛司、ナイスな質問だ! 一瞬抱いた気持ちのもやもやを即刻捨て、龍夜は心の中で親指をグッと立てた。園の部活については、気にはなっていたものの話しかける機会を掴めず、ずっと聞けずにいたのだ。
 園は「今日から美術部に参加しようと思って」と言うと、机に置かれた背負い鞄に触れた。鞄の下には新品のスケッチブックが敷かれている。美術部の活動に必要なのだろう。
「へー。このクラスだと、藤真が美術部だよね」
「うん。一緒に行こうと思って稚子ちゃん待ってるの」
「そっか。絵描くのとか好きなの?」
「そういう訳じゃないけど……あ、稚子ちゃん!」
 教室に戻ってきた稚子を園が呼び止めた。稚子は園に小さく手を振って、それから龍夜たちを見回して「何してるの?」と眉を寄せる。
「もう部活始まる時間でしょ、行かなくていいの?」
「藤真が華宮さんほったらかしてどっか行っちゃうから世間話しながら待ってたんだよ」
「ほったらかしってそんな、人聞き悪いなあ。職員室に行ってただけだって」
「アラヤダ藤真さん、お呼び出し?」
「まさか。双馬君と一緒にしないで」
「いや俺そんなに呼び出し食らったことないからな! それはそれで失礼だからな!」
「はーいはい」
 稚子は適当に寛司をあしらいながら自席に戻り、学校指定鞄を背負う。一度机の中を覗き、椅子を丁寧にしまって園に向き直った。
「ごめんね、おまたせ。それじゃあ行こうか」
「うん」
 二人連れ立って教室を出ていく。途中、園は振り返ると、「また明日ね」と言い残していった。
「……さて、じゃあそろそろ俺たちも行きますか」
 嵐が鞄を閉じて立ち上がる。龍夜も鞄を背負い直して体育館へと足を向けた。
 外から野球部員たちが挨拶する声が聞こえてくる。小学校で少年野球チームに所属していた面々は既に野球部への入部を決めているらしい……というのは遥情報。近所の新一年生からそう聞いたのだそうだ。「腹から声出せ!」「はい!」と、早くも指導が始まっているのが大きな声からうかがえた。
「そろそろ一年生が部活入ってくるんだな」
 呟くと、「あああー」と間の抜けた声が返ってきた。見れば寛司が思いっきり伸びをしていた。
 寛司に背を向けて、遥が「そういえば、どうする?」と切り出した。真剣な表情で腕を組んでいる。龍夜と嵐、ふたり目を見合わせて、思わず唾を飲み込んでしまう。
「『どうする?』って」
「……何を?」
「修学旅行の班だよ」
 伏和中の三年生は五月の末に二泊三日の修学旅行を予定していた。行き先は奈良、京都。一日目は学年全体で、二日目は班毎に、三日目はクラス別に行動する。遥が言っているのは、二日目の行動班のことだった。
 二日目は丸一日、京都市内で自由行動となる。班員で相談して行く場所を決め、好きに散策するのだ。その班はクラス関係なく自由に作ることが出来る。条件は、最低三人以上、最大で八人。男子女子いずれも一人以上含むこと。
「来週までに班のメンバー集めて先生に報告しなきゃ」
「そうなんだ」
 へえ、と漏らすと「えっ何で知らないの。学年通信にも書いてあったし」と呆れられてしまった。今日配布された学年通信はよく読まずに畳んで――というか皺を寄せて鞄に入れた。ほんの十五分ほど前のことである。
「とにかく早いとこ班を作らないと」
 どうしようかと唸る遥の後ろから寛司が顔を出した。遥を指差して「いち」、次いで嵐に「に」、龍夜に「さん」と言う。そして挙手して。
「よん。これで四人班じゃん」
「お前話聞いてた? 男だけの班は駄目なの。女子もいないと駄目なの」
「あっそうか」
「だから『どうする?』って言ってるんじゃん。どうしよ、藤真誘ってよ寛司」
「俺が!? いや、俺クラス違うし」
「何でこういう時だけ消極的なんだよ……」
 やれやれと嵐が肩をすくめる。龍夜もそれに倣いながら、しかし――遥は寛司をただいじるつもりで提案したのだろうが、稚子を誘うのはなかなかいい案なのでは? と考えていた。修学旅行先で一日一緒に行動するのだから、あまり親しくない人と班を作るのは得策ではない。そして龍夜が気兼ねなく話せる女子はあまりなく、数少ない人が稚子だ。それに――。
「よし、明日藤真に声掛けてみよう」
 龍夜の決心に寛司ががばりと顔を上げた。
「お前が勇者か! 勇者龍夜! お願いしやす!」
「おー」
 もちろん、彼女に先約がいたら別を当たらないとならないのだが……両手を合わせる寛司を見ると、そんなことは言えなかった。




   ◆



 その晩、龍夜は自宅の電話の前に立っていた。受話器を取り、覚えるほどに幾度も掛けた番号をプッシュ……しかけて、受話器を置く。ここは市外だ。市外局番が必要なのだ。改めて受話器を持ち上げ市外局番をプッシュ、続けて相手の電話番号を押した。
 一コール、二コール……無意識に数えていく。あの家は居間と電話台が遠いから、もう少し鳴らさないと出てくれない。五コール、六コール……七コール目の途中で音が途切れた。
『もしもし』
 電話越しだと声が違って聞こえるのはなぜだろう。それでも声の主が誰だかすぐに分かる。
「もしもし。俺俺」
『……オレオレ詐欺なら切るけど』
「わああああ駄目駄目! 俺だよ、龍夜」
『分かってるよ』
 電話の向こうで笑う湯島麗は記憶に残るままで、見えるはずのない顔がはっきりと脳裏に浮かんだことに、少し安心する自分がいた。何だか情けないな、とも思った。
『で、どうしたの。珍しいじゃん、電話掛けてくるなんて』
「いや、何って訳じゃないけど……」
 目的がなく電話した訳ではない。が、どう切り出そうか……何となく視線を落とすと、電話台の下のクリアポケットファイルが目に入った。『龍夜』、『好里』とラベルが貼ってある。母親が子供たちの学校からのお知らせのプリント類をしまっているのだ。先ほど皺を伸ばした学年通信も、もちろんここへ追加された。
「……あ、修学旅行って京都と奈良だよね」
『そうだよ。もしかしてお前んとこも?』
「五月の二十二日から」
『おっまじか、こっちは二十三から』
 龍夜たち伏和中は二十二日に奈良、二十三、二十四日に京都。そして麗たち深空中は一日ずれ、二十三日に奈良、二十四、二十五日に京都なのだという。
『すっげー偶然じゃん。じゃあどっかですれ違うかもな』
「だったら面白いね」
 どの辺回るの。金閣寺とか見てみたいよな。俺奈良行くの初めてだ。中学生活最大のイベントに想像を膨らませ、そのくせ行先についての知識がなさ過ぎるせいでいまいちはっきりとしない希望を語り合った。だがそれでよかった。それが楽しかった。母親の視線が気になり電話を切るまでの間は、十分に楽しかったのだ。
 しかし受話器を置いて、龍夜は後悔する。そんな話がしたい訳ではなかった。
 ただ一言、『華宮園って覚えてる?』と訊ねてみたかった。新学期が始まって一週間、思い出と現実が混ざり合い、一気に龍夜を襲っていた。今でも夢を見ているのだろうかと思うくらいである。しかし学校へ行くと彼女はいる。しかも明日からは斜め後ろの席だ。この感情を何と呼ぶのか龍夜は知らない。龍夜には抱え切れない。だからこそ少しでも吐き出したくて、麗なら受け止めてくれるような気がして電話をしたはずだったのに。
 自分は何にも変わっていない。
 電話台の前でずるずると滑り込んだ。床が、冷たい。



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