3.


 チャイムが鳴った。今日はこの後簡単に教室内を掃除したら下校となる。午後は入学式だから、生徒会役員たちのような入学式に出席しなければならない者以外は早く帰るよう促される訳だ。
 一番窓側の席の人は窓拭き、窓側から二列目は黒板拭き、廊下側は廊下掃除、それ以外は床掃除。ざっくりと役割分担をして掃除しやすいように机を移動させる。床を雑巾で拭きながら、雑巾を流しで洗いながら……龍夜は何度か園に話しかけるタイミングをうかがったが、結論から言うと全て失敗に終わった。園の隣の席の女子生徒が世話焼きなタイプのようで、流しはあっち、クラスの雑巾置き場はこっち、と逐一説明してあげているのだ。女子と女子の間に割り込む勇気なんて、龍夜にはない。理由もなく嵐に近付き、肩から体当たりを食らわせ、迷惑そうな顔をされた。内心申し訳なく思っていたが、それを上手く言葉にすることは出来なかった。
「どうしたのさ。何か今日の龍夜、変だよ」
 下校の挨拶後龍夜の席までやってきた嵐は溜め息混じりにそう言った。
「うん、俺も自覚ある」
「あ、あるんだ」
「まあね。だから優しくして」
「何言ってんの」
「よく分かんない」
 椅子の背もたれに体重を預け、両腕をだらりと横に垂らす。天井を見上げる。そう、自分でもどう思っているのか、何がしたいのか、そしてどうしたらいいのかが分からないのだ。
 だいたい、華宮園に声を掛けたとして、自分はいったい何を話すつもりでいるのだ? あの頃の思い出話? 伏和に引っ越してきた理由を訊ねる? やあやあ久しぶりだねえ元気だった? とでもいうつもりか? そんな軽いノリで話しかけるなんて龍夜に出来る訳がない!
「何か俺、吐きそう」
 気持ちのこもらない声が口からこぼれる。何だか本当に気持ち悪いな、俺。自分にがっかりする。
 しかしそれに対して返された言葉は嵐のものではなく。
「大丈夫?」
 心配そうな女子生徒の声だった。
 天井のタイルを数えるのをやめて顔を上げる。正面に立っていた嵐が龍夜の左側を見ている。龍夜もそちらを見る。
「具合、悪いの?」
 今日ずっと話しかけたくても出来なかった園が、龍夜の顔を覗き込んでいる。……まじか! 始業式でもやらなかったのに背筋を伸ばし、椅子に座り直した。
「あ、いや、全然」
「でも吐きそうって」
「あーこれ、アメリカンジョーク」
「どこがアメリカンなんだ」
 嵐のツッコミは無視した。今はそれどころではない。
「え……っと、一年間、よろしく」
「うん。こちらこそよろしくね、リューヤ君」
 じゃあ、と軽く手を振って、園は教室から出ていった。龍夜も振り返してみた。指先が、熱い。
「……何、今の」
 嵐の呟きに「あー」と唸る。何をどう説明したものか。言葉がまとまる前にうるさい男たちが割り込んできた。
「今出てったのがA組に来たっていう転入生だよね?」
「今までうちの学校にはいなかったタイプじゃね? すげーおしとやか感!」
 隣のクラス、B組になった遥と寛司だ。二人共学校指定鞄を背負っている。一緒に帰ろうと迎えに来てくれたらしい。
「えーっと、そうだね、今のが転入生の華宮さん。ねえ、龍夜?」
「んんまあ」
 嵐から振られて曖昧に答える龍夜に、寛司も遥も首を傾げた。
「何何? 何かあったっぽい?」
「ははーそりゃあ気になるってやつだ」
「俺たち友だちだからね」
「友だちの様子がおかしいんだから、心配にもなるよな」
「うっ……」
 これは何かを話すまでずっとつつき回されるだろう。黙っているという選択肢はない。俺だって頭真っ白なのに勘弁してくれよ、と言いたいところをぐっと抑え、「前にね」と切り出した。
「あの子と会ったことがあって、で、今日久しぶりに会った」
「いや全く分からん」
 当然だろう、龍夜だってよく分からない。
「要するに、華宮さんとはもともと知り合い?」
「一応」
「前の学校の人?」
「……って訳じゃないけど、深空に住んでた時に、ちょっと」
「その『ちょっと』の内容を聞いてんの!」
「えー……えっと」
 もういいや、整理なんかしないで全部話してしまえ。始業式の間に思い出した記憶の連鎖を順番に言葉にしていった。小五の夏休みの時のこと。男友だちと海で釣りをしていたこと。盛り上がっていたら女友だちが知らない子を連れてきたこと。その子が華宮園と名乗ったこと――話していく内に、更に記憶が蘇ってくる。
「あの子が深空にいたのは短くて……ほんと数日だったんだけど、でもいる間はずっと一緒に遊んでたんだよね」
 懐かしいなあ、と思い出を振り返る龍夜の横で、寛司もまた「なるほどなあ」と頷いた。
「で、龍夜は片想いの彼女と運命的な再開をした訳だ。ドラマだね〜」
「いやちょっと待ってそんなんじゃないから」
「隠さなくていいんだぜ」
「隠してねーよ。だいたい何を根拠に」
 何より、寛司のニヤけ顔が腹立たしい。
 しかし寛司は勝ち誇ったように龍夜をびしっと指差した。
「だってお前、転校してきてまだ同級生の顔と名前覚えきれてねーじゃん。なのに何年か前にちょこっと会っただけの子のこと今でも覚えてるって、アヤシーよなあ」
「! ……っとに、お前な……!」
 変なところでばっかり頭が回る! 思ったけれど、言ったら負けなので言わない。
「あーもう、勝手に勘違いしとけ」
「もちろん勝手にしますよ〜」
 寛司だけでなく遥も嵐も何かを察したような、悟ったようなニヤニヤ笑いを顔に貼りつけていた。ざわつく気持ちのやり場に困り、机を叩いて椅子を蹴り立ち上がる。
「あのなー……」
 続きを言う前に学年主任の坂内が教室に入ってきた。
「うるさいと思ったら、お前たちまだいたのか! もう下校時刻だろう、早く帰りなさい!」
 口を噤み、顔を見合わせる。時計を見上げる。下校の挨拶をしてから、自分たちが思っていた以上の時間が経っていた。
「うっわやっべ!」
「まじすんません!」
「すぐ帰ります!」
「せんせーさようなら!」
 鞄を引っ掴み、四人一斉に教室を飛び出す。廊下を駆け抜け階段を飛び下りる。「廊下を走るな!」という大声が飛んできたが坂内本人は追ってこない。先生ごめん! と思いつつ、ありがたいご注意は無視した。
 飛ぶように2Eの靴箱まで走る。元々龍夜たちが使っていたそこは、新しく2Eの生徒となった後輩たちが上履きを入れていた。朝ここに入れたはずの龍夜たちのスニーカーは、後輩たちがやったのだろうか、靴箱から出されて床に転がされている。少し申し訳ない気持ちになりながらそれらを拾い上げ、3A、Bの靴箱の前に移動した。
 靴を履き替えて外に出ると、車が停まっていた。真新しい制服を着た新一年生と、その母親だろう、綺麗めなワンピースを着た女性が降りてくる。車を発進させた男性はかちっとしたスーツを着ていたからきっと父親で、どこか駐車場に車を置いたらまたここまで戻ってくるのだろう。入学式に出席する為に。
「入学式か〜」
 ぽつりと呟いたのは遥。「そうだね」と嵐が頷き返す。
 あと少しで式が始まる。
 あと少しで龍夜たちに、百人以上の後輩が新しく出来る。



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