20.


 金閣庭園を一周したら本日の行程は終了、あとはホテルまで帰るだけだ。金閣、そして左大文字に別れを告げて京都駅方面のバス停に戻る。そこで一行が目にしたのは、バスを待つ人たちの長蛇の列だった。
「うっわ、すげー人じゃん」
 ちょうどバスが到着した。人が降り、待っていた人が乗り込んでも、列の長さが大きく変わった感じがしない。次から次へと人が来るせいもあるが、そもそもバスが混んでいる。二本は見送ることになりそうだ。バスの本数が多いとはいえ、これではかなり待つだろう。
「まずいなー」
 嵐が頭を抱えるのももっともだった。龍夜たちは集合時間までにホテルへ戻らないといけないのである。渋滞等も考慮して余裕をもって予定を組んではいるものの、どれだけ待てばいいか分からずバスに乗れたところで間に合うか怪しいとなれば、このままバスを待ち続けるのは得策ではない。
 どうしよう。タクシー捕まえる? でもそんなにお金持ってないよ……自然と皆の声が小さくなる。
 その場にしゃがみ込み、遥が周りを見回して溜め息をつく。
「反対向きのバス停はすいてるのになー」
「ねー」
 一緒に座った知佳も頬杖をついてうなだれる。
 しかし嵐は、遥のぼやきを聞き修学旅行のしおりをめくって「それだ!」と声を上げた。
「遥ナイスだよ、あっちから乗ろう!」
「え、でも……」
 愛が口ごもる。乗る予定だったバスと逆方向に行くバスに乗ろうと言うのだ、大丈夫なのか疑問に思って当然だ。稚子も眉を寄せていたが、嵐のしおりを覗き込み納得したのか手を打った。
「そっか、電車」
 うんうんと嵐が頷く。しおりに貼ったバス路線図を皆に見えるように広げ、指で辿った。
「あっちのバス停から北大路バスターミナルまで乗る。ここ、地下鉄の駅なんだけど」ページをめくり、今度は電車の路線図を見せる。「北大路駅から乗れば京都駅まで一本で行けるよ」
 ここから京都駅行きのバスに乗ったらだいたい四十分程度。北大路バスターミナルまでは十分程、北大路駅から京都駅までは十五分弱。乗り換えや切符を買う時間を含めても、地下鉄を使った方がずっと早い。
「やるじゃん嵐! それで行こ!」
 遥が立ち上がって嵐の肩を叩いた。反対意見は出ない。ならばそのルートで決定だ。安心したのも束の間、道路を見遣った望が「急がないと」と愛の服の裾を引いた。
「どうした?」
「あのバス、行き先北大路バスターミナルって……」
 望の言う通りだった。目の前の交差点でバスが信号待ちしている。204系統北大路バスターミナル行き、間違いなく龍夜たちが今乗りたいバスだ。待てばすぐ次が来るのだろうが目の前にいるのだからあれに乗ってしまいたい。そして横断歩道の信号は青。
「よーし全員走れー!」
 寛司の号令で皆ぞろぞろと走り出した。途中で信号が点滅し始め足を速める――が、ふと気になって振り返る。女子たちはまだ道路の真ん中を過ぎたあたり。龍夜は引き返して一番後ろを走っていた園の手を掴んだ。
「行くよ」
「えっ、あの……っ!」
 彼女の手を引いてスピードを上げる。園がついてこられるように様子を見ながら速さを調節する。そのままバス停に飛び込むと、バスがちょうど停車するところだった。
 幸いバスは混んでおらず、エアコンも効いていて涼しかった。こめかみを伝った汗を拭って空席に座る。園が隣に来る。
「もう、すごくドキドキした……」
 顔を手で仰ぎながら園が深く息を吐く。今度はこちらがどきっとする番だ。
「え?」
「リューヤ君、足速いんだね……あんなに速く走ったの初めて……」
「あ、ごめん」
「体育の授業じゃないとこんなに一生懸命走らないもの、心拍数すごい」
 そういう意味か! 全てを自分にとって都合よく解釈しかけた自分が恥ずかしい。それを表に出さないようにしながら改めて謝る。
「ごめん。でも女子の中で一番足遅そうだったし」
「ひどい! 事実かもしれないけど!」
 彼女の訴えを聞き流して窓の外を見る。そういえば四年前のあの時、園も含めた皆で遊んだ時もそんなことを思ったような覚えがある。鬼ごっこをすると園が最初に捕まり、そして誰も捕まえられないからずっと園が鬼のままだったのだ。深空の田舎の幼馴染み、遠塚芽衣子や金森成たち女子もずっと外をかけずり回って遊んできたから、きっと育った環境が違ったのだろう。成たちは野生児ってことか――ふとそんなことが頭に浮かび笑いそうになったが、本人に聞いたら確実に怒るだろうなと考え直して取り消した。
 窓には寛司たちが反射して映り込んでいた。やたらと視線を感じると思ったら、奴ら、こちらを見ている。無視だ無視。目線を下げて外の歩道を見つめた。やがてバスは左折し、バスターミナルに入った。
 ターミナルから地下鉄の改札までは丁寧に矢印が書かれており、迷うことはなかった。切符を購入し、下り方面の電車に乗り込む。京都駅に到着したのは集合時間の三十分ほど前。ホテルは駅からすぐ近く。もう遅刻の心配はなくなっていた。
「いやーどうなることかと思ったけど、これで先生に怒られなくて済むな」
「嵐のおかげで助かったわ」
「ほらほらもっと感謝していいんだよ」
「ありがとう嵐様〜!」
 拝むように手を合わせる男子連中の後ろについて構内から出る。日が傾き始めても外の空気はまだ熱い。それもホテルまでの辛抱だ。
 駅の周りには制服姿の学生が多かった。土産袋を持っている人ばかりで、ほとんどが修学旅行生なのだと分かる。今も後方から制服の団体がやってきた。ここで一度整列したいらしい、先頭の女子生徒が「二列ずつ並んで〜!」と声を上げている。邪魔にならないように道をあける。
 ……それにしても、どこかで聞いたような声だ。
 改めて集団を見る。聞き覚えのある声、見覚えのある顔、着た覚えのある制服。集団の中で目立つ金髪――あれは古賀島陽介!? それじゃあ彼の隣でちょっかいを出されている癖毛頭は林田雅章か!?
 間違いない。深空四中の三年生たちだ。
 一年前まで龍夜は彼らと同じ制服を着て、あの集団の中にいた。しかし今は違う。今は龍夜だけが私服で、龍夜だけが違う学校で、龍夜だけが違うスケジュールで動いている。龍夜はもう、彼らの一員ではなくなってしまった。
 足を止めた龍夜に気づき寛司が戻ってきた。
「龍夜?」
 肩を叩く寛司の手が温かい。
「もしかして、前の学校の……?」
 何と言っていいか分からず、ただ首を縦に振った。
 知人の顔を見つけても声を掛けられないまま立ち尽くす。不審に思った深空四中のひとりの女子生徒が龍夜の顔を見て、「もしかして高坂君?」と呟いた。そこからはあっという間だった。
「高坂じゃん!」
「どうしてここに?」
 元同級生たちが口々に言う。こちらに気づいた陽介と雅章が手を振ってくる。
 寛司がそっと、背中を押してくれた。ゆっくりと一歩、二歩。だんだん足を速めて、最後には走って集団に近付く。
「リューヤ! 何してんだこんなとこで」
「何言ってんだよヨーチン、リューヤも修学旅行に決まってるじゃん。ね?」
「うん、そう」
 陽介、雅章らと話す間にも、誰かが「湯島! 湯島どこ!」と麗を探している。陽介曰く、深空四中の皆は一組から順に電車を降りてきたところで、麗は四組だから列の後ろの方にいるらしい。
 しかし再会まではさほど時間を要しなかった。
「リューヤ! やっぱり会えたな!」
 集団の間をすり抜けてきた麗は、少し背が伸びていた。確か目線は同じくらいだったはずだが、少し見上げるようになったような気がする。
「レイ……」
 一歩前に出て、何とかかすれた声を絞り出す。そんな龍夜を麗は困ったように笑った。
「どうしたんだよお前」
「な、何でもねーよ」
「そう? ならいいけど」
 いや――やはり麗は何も変わっていない。変わったのは龍夜の方だ。
「京都どうだった? 今日自由行動だったんだろ?」
 もう龍夜は、深空四中の生徒ではないのだから。
 けれど――龍夜は寛司を振り返る。寛司が力強く頷く。
「すげー楽しかったよ!」
 麗との関係は今でも変わらない。麗とは今でも仲間のままで。
 そして寛司とも、仲間だ。
 そのつながりはどちらも、とてもつよく、温かい。



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