17.


 バス停から南禅寺までは少し距離がある。民家と民家の間の細い路地を通り、若干迷いながら、何とか背の高い木々とそれに囲まれる巨大な門に辿り着いた。目的地である南禅寺三門だ。
 もともとこの場所には、後嵯峨天皇が造営した離宮、禅林寺殿があった。その後亀山天皇が出家して法皇となり、離宮を改めて寺にして竜安山禅林禅寺と名付けた。これが今の南禅寺である。あらかじめ知っていた訳ではなく、事前学習の割り振りをした時に龍夜が南禅寺の担当となり、調べたから知ったことだ。
「そのゴサガ天皇とかカメヤマ法皇はいつの時代の人?」
 愛から訊ねられ、しおりをめくって答えを探すが、龍夜が見つける前に稚子が答える。
「鎌倉時代。蒙古襲来の時の天皇が亀山天皇じゃなかったっけ」
「何とか天皇っていっぱいいるのにすっと出てくるのがすげーわ」
 感心して深く息を吐き出し、寛司は三門を見上げた。
「じゃあこういう門とかは鎌倉時代に建てられたってこと?」
「それは違う。えっと……」しおりに目を走らせ、今度こそ目的の箇所を見つける。「三門は一回火事で焼けちゃってる。今あるこれは江戸時代に入ってから作り直したものだって」
「へー。それでも古いものは古いよな」
「まあね。四百年くらい前のものだし、重要文化財だし」
「やっぱすげーじゃん。うちとかそろそろ築十年だけど柱とか壁とか傷多いぜ」
「それはまた違う問題じゃないかな」
 寛司の家の傷の話はさておき、皆で三門二階に上がろうという話になった。階段はかなり急、足を滑らせたら大変だ。ここはレディ・ファースト、女子に先に上ってもらい万一落ちてしまったら支えてあげる作戦を提示すると、愛に断固拒否された。
「こっちはスカートなんですけど!」
 言われて気づく。愛と、それから望もスカートだ。望は背中を丸めて愛の後ろに隠れている。
「え、ブルマはいてねーの」
 というのは和久の台詞。そういうことは例え思ってても口にするものではない。現に。
「はいてても見られたくないから!」
 思いっきり肩をはたかれ、背中を押され、階段に追いやられた。
 和久に続いて男子連中が階段に足を掛けた。階段は急な上に幅が狭い。手すりを掴み、一段一段確実に上がっていく。下りてくる人がいれば足を止めて道を譲る。たいした長さではないのに時間がかかる。少しずつゆっくり上を目指す。
 上から和久の「うお〜!」という歓声が聞こえてきた。二階に着いたらしい。龍夜たちも気持ち急いで段を上がる。
 ほぼ縦穴のような階段を上り切ると、太陽の光が顔を照らし穏やかな風が頬を撫でた。下からは大きく見えた木々も、ここに立てば視線より下になる。手すりの向こうに視界を遮るものはなく、参道から勅使門、京都の街まで見渡せた。
 参道の真上で手すりを掴み、真下を見ながら人が豆粒サイズだなとぼんやり考えていた時だった。隣に立った知佳が額に手をかざして目を細めた。
「確かにこれは『絶景かな、絶景かな』だね」
「それ、歌舞伎なんだっけ。吉田さん歌舞伎見るの」
 女子中学生の趣味にしてはなかなか渋い。そういえば行き先の候補を挙げている時に南禅寺に行きたいと言ったのも知佳だ。なかなか通だなと思っていたのだが……しかし知佳は首を横に振った。
「ううん。見たのは一回だけ。小学生の時に、死んだおじいちゃんに連れていってもらったの。その時の演目が石川五右衛門の話だった」
「歌舞伎って小学生が見て分かる?」
「全然。あの時は五右衛門がどんな人かも知らなかったし。でもせっかく連れていってもらったのに何にも分かんなかったっておじいちゃんには言えなくて。だから帰ってきてからすごく調べた」
 石川五右衛門が安土桃山時代の盗賊だということ、絶景かなという台詞は南禅寺三門で残されたこと、しかし実際三門が建てられたのは五右衛門の死後三十年以上経ってからで、台詞はあくまで創作だということ。とはいえフィクションに登場するくらいなのだから、三門からの景色はきっと絶景なのだろうと、当時から想像していたそうだ。実直な知佳らしいエピソードである。
「一回来てみたかったから、今日は来られて嬉しいな」
 ふふ、と柔らかく笑い、それからはっとして、きゅっと口を結んだ。
「えっと、今のは聞かなかったことに」
「え、何で」
「昔話とかしちゃって、恥ずかしくなってきた」
 稚子と園がこちらに近づいてきたこともあり、あっち行った行ったと追い払われてしまった。勝手に喋っておいてこの扱いは酷いのではないか。釈然としないが仕方がない。回廊をぐるりと移動して反対側に回った。こちら側からだと法堂が見える。法堂に向かって右側には煉瓦造りの水路閣が、法堂の向こう側には国宝の方丈があるはずだが、木の枝に阻まれてここからは見えない。
 代わりに、日陰で男が五人並んで座り込んでいるのが見えた。
「何してんの」
「暑いから休憩」
 朝から晴天、外を歩き回って疲労が溜まり始めた身体に、日陰のひんやりとした空気と風は気持ちがいい。龍夜も一緒に腰を下ろした。服の裾をつまんで風を入れると一気に体温が下がった気がした。
 こうして休憩するのもいいが、もっとすべきことがある。龍夜は腹をさすりながら、男連中を見て言った。
「腹、減ったよな」
 一度空腹に気づいてしまうと無視出来なくなってしまう。法堂天井の龍を見上げても、水路閣を歩いても、頭のどこかで腹が減ったなと考えてしまう。しかし残念なことに、南禅寺の周りにはあまり食事をとれるところがない……いや正しくは、中学生の小遣いでも入れるような気軽な店がない。近くの店を調べてみたら湯豆腐が三千円とかだった。温めた豆腐が三千円! さすがに手が出ない。そういえば事前学習の様子を見に来た新崎から言われた、『南禅寺周辺は湯豆腐が有名だけど修学旅行生が行くところじゃないかな。ご飯食べるなら銀閣の参道にいろいろあるよ』と。せっかく来たのにもったいないなとは思いつつ、南禅寺の参拝もそこそこに銀閣寺方面に移動することにした。
「で、何食べる?」
 バスに乗り込んで寛司が皆を見回す。稚子が少し考えてから「おそばかな」と返す。
「ソバ? 何で?」
「京都はおそば有名だし。ほら、にしんが乗ってるやつ」
「へーそうなんだ」
 言われてみれば清水寺の近くでも何件かそば屋を見た記憶がある。メニューを見た訳ではないからそこでにしんそばを出していたかは分からないが、少し歩いたくらいで複数見つかるくらいなのだからやはりそばは京都の名物なのだろう。
 清水寺参道と同様、銀閣寺参道にも多くの飲食店と土産物屋が並んでいた。京名物湯豆腐、京名物にしんそばののぼりが目立つ。扇子、和風柄のバッグ、大きく『侍』とプリントされたTシャツ等を売る店は外国人観光客で賑わっている。が、龍夜たちの目はどうしても『冷茶あります』というのれんや『金閣銀閣そふとくりーむ』の看板を見てしまう。京都の抹茶というのはよく聞くが普通の緑茶とは違うのだろうか。いったいソフトクリームの何がどうなって金閣銀閣なのだろう。
 率直に言って、冷たいものが欲しい。
「やっぱりこの天気で熱いそばは暑いよな……」
 そう吐き出して、そば屋の看板を見上げ、戸に貼られた『冷』の字に気づいた。
 冷たいにしんそば。これからの季節に優しいメニューが存在するらしい。



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