16.


 来た道を戻って再びバスで移動する。次に降りたのは祇園のバス停だった。
「なあなあ、バスから外見てて思ったけど、この辺すげー京都っぽいな」
「分かるー。祇園ってことは、舞妓さんいるのかな」
「いやどうだろう」
「少なくとも」広隆が周囲を見回して「この辺にはいないな」
「探してみよーぜ」
「そんなレアモンスター探すみたいに……」
 見当たらないのは舞妓さんだけではない。見える範囲にいるのは明らかに観光客ばかりで、地元の住人らしき人はほとんどいない。清水寺で参拝する間に少し時間が経ち、出歩き始める人が増えたようだ。ここは京都の中心地。自分たちは今、国内有数の観光地に来たのだと、改めて実感した。
 バスからも見えた大きな朱塗りの門をくぐると屋台がいくつも並んでいた。
「あれ? 何かお祭りでもあんのかな」
「違うと思うけど」
「京都の神社だもんな、毎日お祭りだよな」
「絶対に違うと思うけど」
 皆が聞き流す和久のボケひとつひとつに突っ込みを入れてあげる知佳が優しい。
 屋台の並びを抜けて階段を上がると左手に『縁結びの神』の文字、そして男性とうさぎの石像が見えた。先ほどの清水寺に続き、またしても寛司の願いを聞いてくれそうな神様とご対面だ。
 石像には『大国さまと白うさぎ』と書かれている。石像の男性は出雲大社の祭神、大国主命らしい。龍夜は知らなかったのだが女子たち曰く、出雲大社は縁結びのご利益で有名らしい。なるほど強い力がありそうだ。
「寛ちゃん、お参りお参り」
「うるせ」
 肩に置かれた広隆の手を叩き落とした寛司だが、ちゃんと両手を合わせていたのを龍夜は見逃さなかった。
 今度こそ八坂神社へ参拝だ。社務所の前を通り過ぎ、正面に舞殿を見る。しかし舞殿は横向きだ。門から入ってきたのに舞殿が横向き? 疑問に思い舞殿正面から視線を動かすと、そこにももうひとつ門がある。
「もしかしてあっちが正門だったのかな」
 嵐の肩をつつくと彼も「そうかも」と頷いた。入ってきた西楼門の方が立派だったが、もうひとつの南楼門の向こう側は鳥居が見える。やはりあちらがメインの門なのだろう。
「あれ、俺たち裏口参拝だったってこと?」
 遥は首を傾げて寛司を振り返った。
「裏口じゃご利益なかったかもね」
「何の話だよ」
「こっちの話」
「何だそれ」
 寛司が口をへの字に曲げて発した声は、雅楽の調べに掻き消された。何事かと音の方を見れば、正装の大人たちが列を作り、羽織袴の男性と白無垢の女性がその間を神職の先導で歩き舞殿に上がっていく。神前式だ。これから夫婦となる男女が、神様の前で夫婦の契りを交わすのだ。修学旅行中の龍夜たちと同じく――いやそれ以上に、二人にとって、両家にとって、五月二十三日という日は特別な一日となるのだ。
「わ、素敵!」
「ねー」
 望と愛が小声で耳打ちするのが聞こえる。まだ結婚出来る年齢でもないし憧れも特にない龍夜からすれば何がいいのかは分からないが、もしかしたら彼女たちは自分の将来を重ねているのかもしれない。
 ということは園も――ふとそんなことを思い、しかし龍夜は、なぜか彼女を見ることが出来なかった。目は自然と結婚式の様子を写真に収めるギャラリーへと向く。
 親族でも何でもないだろう外国人が、新郎新婦へカメラのレンズを向けている。
(さすがにあれはどうなんだろ……)
 外国から来た観光客だ、たまたま観光で訪れた神社で日本特有の挙式が執り行われていたら思わず見てしまうだろう。分からない訳ではないが、結婚式は見世物ではない。
 そしてそれは、足を止めてしまった龍夜たちにも言えることだ。
「邪魔しちゃ悪いし、お参りしたら私たちも次に行きましょう」
 知佳の言葉で本殿の前に移動する。結婚式の最中だからか、鈴緒が柱に留められている。賽銭を入れ、鈴は鳴らさずに手を合わせた。
 顔を上げ、動く気配にふと横を見る。手を下ろして本殿を見上げた園が口を開く。
「あのね、神社に行って、ちょうどその時に結婚式してたら、それは神様が迎え入れてくれたってことなんだって。そんな話、聞いたことあるよ」
「……ってことは、つまり」
 園は舞殿を振り返った。
「私たち、ここの神様に歓迎してもらえてるんじゃないかな」
 ざっ、と風が吹いた。木々の梢がざわざわと揺れた。耳元で風がごうと鳴った。額の上で暴れる前髪を抑えつける園を見ていると、ああきっと彼女の言う通りなのだと、素直にそう思えたのだった。
 せっかく迎え入れてもらった手前少し寂しい気もするが、こちらも行かなければならないところがまだたくさんある。しおりを開いて次は南禅寺だと確認し、バス停へと移動する。途中、「前から思ってたんだけどさ」と寛司が首をひねった。
「南禅寺ってそんなに有名?」
「有名でしょ」
 間をあけずに知佳が返す。
「そんなに?」
「前も言ってたじゃない。五右衛門が見得を切った……」
「や、だからそれフィクションなんでしょ」
「だとしても有名であることには違いないよ。紅葉の名所でもあるし」
「うーん紅葉って言われてもな……」
 知佳の言うことは間違っていないが、寛司は納得が出来ないのかまだ唸っている。
「金閣や銀閣はテストに出るのにな……」
 ようやく寛司の言いたいことが掴めてきた。室町時代の武将が建てて教科書にも太字で載っている金閣寺、銀閣寺。日本三大祭りのひとつである祇園祭は八坂神社の祭りだし、清水寺は観光ガイドの表紙に使われたり巻頭で紹介されたりしていて、京都に行く計画を立てようとしたら意識しなくても必ずと言っていいほど目にすることになる。
 それと比べると確かに、南禅寺を教科書で見た記憶はないし、紅葉が綺麗だからといって龍夜も寛司もさほど興味がない。もちろん寺の檀家でもない。となると、意識的に探さないと『そういう寺がある』ことをそもそも知り得ないのだ。
 寛司の背後から飛びついて、和久は「駄目だよ寛ちゃん」と首を横に振った。
「もうちょっと四季の移り変わりに興味もった方がいいよ」
 言われた寛司は訳が分からないと眉を寄せる。
「何でそういう話になるんだ。ていうか和久に言われたくないんだけど」
「え〜俺はめっちゃ興味あるよ」
「嘘つけ」
「ほんとだって」
 和久が何やら寛司に耳打ちする。初めは疑わしそうにしていたが聞きながらうんうんと頷いて、最後には「分かる分かる」と納得していた。わざわざ小声で話すくらいだから周り――特に女性陣には聞かせられない話に違いない。詳しい話は今晩聞いてやることにしよう。
 それにしても。寛司と知佳のやりとりを思い返す。古い歴史をもつこの街にはたくさんの寺社、史跡がある。歴史上の偉人が残した有名なものも、街の人たちの間で大切にされてきたものも、様々だ。観光ガイドに載るような施設だけで十分多いのに、そうでないものまで考えると――長い時の中で、何人も、何世代も、どれだけ多くの人がこの街で生活を営んできたことか。
 全て知るのは無理なことだ。しかしその一部だけでも垣間見ることが出来たなら、それだけでも、遠く伏和の町からやってきた価値はあるのかもしれない。それこそが修学旅行なのかもしれない。



 /  目次に戻る  / 

小説トップ/サイトトップ