15.


 修学旅行二日目、京都の空は青く晴れ渡っていた。快晴だ。
 朝食を済ませ準備が出来た班から次々とホテルを出発していく。龍夜たちも一度ロビーで集合してから出ることになっていた。
 結局昨夜は消灯時刻を知らせて回っていた柳井に見つかり一喝され、寛司たちは話の途中で部屋に戻っていった。その後嵐ともほとんど話をしていない。少なくとも龍夜は覚えていない。すぐ寝てしまったのだと思う。気がついたらカーテンの隙間から朝日が差し込み、時計がもう起きなければならない時間だと告げていた。
 お陰で龍夜はよく眠れたが、それと準備がもたつくのは無関係だ。
「うーわ、寝癖が直らない」
 鏡の前で唸っていると嵐に「どこが?」と言われてしまった。
「いつもとそんなに変わんないと思うけど」
「え、前髪変な方向にはねてるじゃん。うつぶせで寝ちゃったからかな」
「そうかなあ……全然違いが分かんないわ」
「まじか」
 毎日のように顔を合わせている嵐が言うのなら、自分が気にし過ぎているだけでさほど酷い状態ではないのかもしれない。それに前髪は時間が経てば落ち着いてくるような気もする。なら次は服だ。
「俺、変じゃないかな」
 Tシャツの裾を引っ張って見せながら嵐に訊ねる。
「は?」
「俺の服」
「何言ってんの」
 いやだから服が……もう一度言いかけて嵐から止められた。
「仮にお前の服が変だったとしても、それで行くしかないでしょ」
「まあ、それは、そうなんだけど」
 修学旅行一日目と三日目は制服で、二日目は私服で活動することは初めから決まっており、そのつもりで用意もしてきていた。もちろん私服は一日分、今着ているグレーのプリントTシャツとジーンズしかない。
「いいとか悪いとか正直よく分かんないけど別に普通だと思うよ」
「そっか……」
「それより時間、もう行かないと」
 リュックサックを持たされ背中を押されて部屋を出る。廊下にいる生徒はまばら、ほとんどがもう出て行ったのだろう。急ぎ足でロビーに向かうと他の班員たちは全員既に集まっていた。
 当然ながら皆も私服である。日頃制服か学校指定のジャージ姿しか見ることがないから新鮮だ。中でも園の姿は龍夜の目を引いた。長い髪を頭の高いところで団子状にまとめ、白のブラウスに淡い黄色の膝下丈パンツという格好は、制服の落ち着いた印象とは異なり明るく活動的な印象を受ける。他の皆もいつもと違うな、などと考えていると、寛司から「おせーぞお前ら」とお叱りの言葉をいただいてしまった。
「ごめんごめん」
 謝りながら合流し、出入り口の外で立っている新崎に声を掛ける。
「野阿班と藤真班、これから出発します」
「今日はどこから行くの?」
「清水寺行って、その後八坂神社のつもり。先生は?」
「全員見送ったら市内を一周しに出るから、どこかで会うかもね」
 生徒たちがそれぞれ自由に動き回るため、教員陣も巡回して市内各地で監視の目を光らせる予定なのだろう。今日は引率がないから一日自由に観光するのかと思っていたが、そうでもなさそうだ。
「じゃあ先生もしったら写真撮ってね」
「もちろん。皆、気をつけて行ってらっしゃい」
「行ってきまーす!」
 新崎に送られて、十一人でぞろぞろとホテルを後にした。
 事前にいろいろ調べてくれた嵐曰く、今日の目的地はバスに乗れば全部回ることが出来るらしい。駅のバスターミナルでバス一日乗車券を購入し、206系統バスに乗る。祇園で下りれば八坂神社まですぐだ。
 空いた座席に乗った順で詰めて座った結果、龍夜は愛と望に挟まれる形となった。もちろん祇園のバス停までこのままである。この自由行動の行き先やら順番やらを決める話し合いの時には何度も彼女たちと顔を合わせてきたが、それ以外で会話をしたことはほとんどなかった。いや、望に至っては話し合いの場でも会話をした記憶がない。
「えっと、今日は一日、よろしくね」
 声を掛けると望は俯き気味に「こちらこそ、よろしく……」と返してきた。顎の下まで伸びるまっすぐな黒髪が彼女の口元を隠した。
 望とは対照的に、「よろしくね」と明るく返してきたのが愛だ。
「あ、望ね、別に元気ないとか機嫌悪いとかそういうのじゃなくて、いつもこんな感じだからあんまり気にしないで」
「はあ」
「うん。でも望、声が小さいと聞き取れないよ。朝ご飯食べた?」
「食べた」
 こくこくと何度も頷く様は、望が小柄なのもあって小動物のようだ。それは別にいいのだが……彼女たちは演劇部だったはずだ。この調子の望がステージの上で演技をするところを、龍夜は想像することが出来なかった。
 そういえば昨年同じクラスだった朝間留衣も演劇部で、少しだが話を聞いたことがあった。演劇部は、道路を挟んで伏和中の向かいにある伏和小や、学校近くの特別養護施設などで演劇を披露していると彼は言っていた。主演は演目毎に交代していて、もちろん望も例外ではない、とも。
「二人は演劇部なんだよね。どういう劇やってるの」
 訊ねると案の定返答をくれたのは愛だった。
「いろいろやるよ。昔話とか、童話とか。自分たちで台本書くこともあるし」
「まじか。すげーな」
「ま、書くのはだいたい望だけど」
「わっだめ! そういうのは……!」
 反対側から愛を止める声が飛んできた。先ほどの『よろしく』とは比べものにならないほどの声量だ。
「ああごめん、覆面作家だったね」
「うう……高坂君、今のは聞かなかったことに」
「あ、はい」
 先にこう言われてしまっては、どんな内容の劇なのか聞けるはずもない。ただ望が舞台に立つ姿は、多少イメージ出来るようになった。彼女も舞台の上では女優なのだ、きっと。
 バスに揺られることおよそ十五分、『次は、五条坂、五条坂』とアナウンスが入った。窓際に座っていた嵐が降車ボタンを押し、程なくしてバスは停車した。地図によればここから清水寺までは少し歩くらしい。道はどっちだろう。目の前の道と地図とを見比べて方角の把握に努めていると。
「ねえねえ、俺たちと一緒にバス下りた人、あっち行くよ。あの人たちも観光客っしょ」
 和久に袖を引っ張られた。和久の言う観光客たちの向かう道と地図とを照らし合わせてみると、確かにその通りである。彼らの後に続いて細い歩道を進んだ。その内に道は緩い上り坂に変わり、通り沿いに並ぶ建物が住宅から土産物屋に変わっていった。朝も早い時間だというのに営業を開始している土産物屋があり、買い物をする客もいる。軒先に出ている色とりどりの和雑貨が目に楽しい――が、こちらは成長期の男子中学生だ、それよりも食べ物に目が奪われる。
「ねえねえ俺八ツ橋買いたい、生の方」
 寄り道をしようとする寛司を「後でね」と制し、先頭に立った稚子が皆を振り返った。
「ここ上り切ったら清水寺だよ」
 彼女の言う通り、続く坂と階段の上には大きな門が二つ見えた。ひとつは清水寺の正門、もうひとつは西門だ。くぐらなくても参拝は出来るがせっかくだからとわざわざ両方の門の下を通って奥へ進む。その先、本堂の前で「おおっ」と声を上げたのは龍夜だけではなかった。
「これが清水寺か〜!」
 テレビ等でよく見る本堂は遠くから木に囲まれるようにして撮られていることが多いからかあまり大きなイメージがなかったが、こうして近くから中を覗いてみると思っていた以上に広々としている。実際に訪れてみないと分からなかったことだ。
 では、大きな決断をする時に引き合いに出される『清水の舞台』はどうだろう。大きく張り出した舞台の橋に立ち、カメラを構えて手すりから下を覗いてみる。釘を使わずに組まれた柱と山の斜面が見える。思っていた以上に高くない。
「……これが清水の舞台か……」
 これも実際に訪れてみないと分からなかったことだった。がっかりしながらも、せっかくだからと一応シャッターを切ってみる。
「思ったよりたいしたことないな。何で『清水の舞台から飛び下りる』とか言うんだろ」
「昔の人と俺たちとじゃ感覚違うんだろ」と返してきたのは遥だった。
「清水寺が出来た時代はこれが最先端だったんじゃない? でも今は技術が進歩して、もっとでかい建物が作れるようになったから、現代人はこれくらい普通って思っちゃうのかも」
 なるほど主観の問題ということか。そう考えると納得出来る。
「じゃあ『清水の舞台から飛び下りる』は現代風に言うと『東京タワーから飛び下りる』って感じ?」
 なかなかいい線行っていると思ったが、遥にはご理解いただけなかった。
「東京タワーの展望台、窓開いてないだろ」
「そうだっけ」
「多分ね」
 舞台から順路の通りに進むと奥の院がある。そこには誰もが一度は見たことのあるあの有名な光景が広がっていた。新緑の間から伸びる柱、そしてその上に佇む清水寺。山肌から張り出して建てられた本堂は宙に浮いているように見え、不思議で、そして綺麗だ。
「すげー! テレビで見たことあるやつだ! 嵐、写真撮ろう!」
 寛司の提案で手すり沿いに並んでみるも、やはり十一人もいると多いし、狭い通路をふさいでしまう。これでは他の参拝客に迷惑でしかない。急ぎ男女に分かれて集合写真を一枚ずつ撮り、写真を撮りたそうに待っていた外国人観光客に場所を譲った。
「Thank you」
「ユアウェルカム」
 金髪の女性に英語で礼を言われ情けないことにびくりとしつつ、何とか英語を絞り出す。相変わらず酷いカタカナ英語だが、ちゃんと伝わりはしたようで、笑顔で手を振ってくれた。よかった、昨日の二の舞にならずに済んだ。龍夜はほっと胸を撫で下ろし、女性に手を振り返した。
 奥の院の下にあるのが、昨日嵐が言っていた音羽の滝である。三筋落ちる細い滝にはそれぞれ学業上達、恋愛成就、延命長寿と異なるご利益があり、叶えたい願いの滝の水をすくって飲めばいいそうだ。水を飲むだけで願いが叶うなんて、東大寺の柱くぐりより数段難易度が低い。
「神様優し過ぎだろ」
「寺だから仏様かな」
「そっか」
 そんなことを言い合いながら、滝待ちの列に並ぶ。何を願おうか少し迷い、一応受験生だしと学業上達を祈願した。
 寛司は恋愛成就を祈ったのだろうか。列を抜けた後何となく気になって寛司に訊ねてみると、「俺全部飲んだわ」と返ってきた。ひとつ選ばなければいけないのだと思い込んでいたが、全部願うという手もあったのだと、言われてようやく気がついた。
「お前、賢いな」
「だろ?」
 しかし彼の自慢げな表情はすぐ曇ることになる。滝から戻ってきたおばあちゃん集団の会話が聞こえてきたのだ。
「何をお願いしました?」
「全部よ。長生きしたいし、おじいさんとこれからもうまくやっていきたいし、最近パソコンを覚え始めたし」
「あら、欲深い人のお願いは叶わないって聞いたわよ」
「そうだったの! いやだわ〜」
 横目で寛司を見る。
「……だってさ」
「イヤダワ〜」
 おばあちゃんの口調を真似て呟いた寛司だったが、すぐに「さ、次次」と歩き始めた。切り替えが早い。それもそうだ、ここだけではない、今日は他にもたくさん行くところがあるのだから。



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