14.


 興福寺、薬師寺、唐招提寺――一通り奈良観光を終えて京都駅近くのホテルに戻っても、伏和中生たちは食事だ風呂だと分刻みのスケジュールに追われた。夕食は日常生活では食べないような洋食のコースだったはずなのにゆっくり味わう余裕もなかったし、身体を洗って湯船に浸かってもどんどん後が来て慌ただしく上がってしまった。何とか全てを済ませて部屋で一息つく頃にはもう、龍夜は疲れ切っていた。
「やっぱり長距離移動するとそれだけで疲れるよねぇ」
 なんて嵐は言っているが、どう考えても奈良公園で鹿と一戦交えたせいだ。あれが今日一番の体力の無駄遣いだった。なかなかしんどい戦いだったな……思い出しながら龍夜はベッドに身を投げ出す。柔らかな布団に身体が沈み込む感触が心地よかった。
 部屋はダブル、嵐と一緒だ。嵐でよかったと心底思う。これが日頃あまり会話しないようなクラスメイトだったら、寝る瞬間まで落ち着けなかっただろう。
 横になっていると、とろとろと眠たくなってくる。自然とまぶたが下りてくる。
「もう寝ようか」
「うん。明日も早いしね」
 嵐も布団に入ろうとして、ドアがノックされる音に顔を上げる。龍夜も身体を起こす。誰だこんな時間に。
「何? 誰?」
「俺ー」
 寛司の声だ。嵐がベッドを下りる。ドアを開けると寛司の他にも遥、和久、広隆が部屋に入ってきた。男子バスケ部全員集合だ。
「どうしたの、皆揃って。もう消灯時間じゃないの」
 あくびを噛み殺す龍夜とは対照的に、和久は目を輝かせている。
「もうちょっと時間あるよ。まだ廊下出てる奴もいるし」
「そう……で、ご用件は」
「明日の自由行動の確認しよ」
 なるほど確かにそれは大切だ。不慣れな街で、誰か大人に引率されることなく自分たちだけで行動するのだ。確認はいくらしてもし過ぎることはない。
 ……いや、違う。それはおそらく表向きの理由だ。でなければ和久があんなに前のめりになる理由がない。明日が楽しみで行動内容を今一度確認しておきたいというのは嘘ではないだろう。それは他の皆だって同じだ。もちろん龍夜だってそうだ。しかし和久の目のきらきらは、その『楽しみ』とは異なる何か由来のように見える。何だろう?
「分かった、じゃあ明日行くところとその順番、もう一回皆で確認しておこうか」
 嵐が二つのベッドの間に立ち、他の皆はベッドに腰掛けた。
「ぶっちゃけ俺もう眠いし、手短に済ませるよ。……で、しおり持ってきた?」
「あっ」
 広隆が両手を広げる。何も持っていない。
「いっけねー忘れちゃった」
「違うでしょ、ほんとは初めからそんなつもりなかったんでしょ」
 嵐の追求に広隆も和久もあっさり降参した。
 曰く、『修学旅行の夜といえば恋バナだろ!』。枕投げは小学校と一緒に卒業した。ちょっとは大人になった俺たちだ、多少は大人な夜を過ごしたい。では大人とは何か。大人とは恋愛だ――そうだ、恋バナだ! これが和久たちが押しかけてきた本当の理由だったのだ!
「何だそのクソ理論」
「クソとか汚い言葉使っちゃいけません!」
「うんこ」
「小学生かよ!」
 こっちはもう眠いというのにそんな話をしに来たとは。話をしたくない訳ではないが今でなくてもいいだろう。和久と広隆は鹿と戦っていないから元気なのかもしれない。しかし龍夜たちはあの戦闘を経て体力を使い切ってしまっているのだ。現に遥なんか、ここまで来たはいいものの一言も話さず、龍夜のベッドに座ったまま頭をがくがく揺らしている。今にも寝てしまいそうだ。このままここで寝られては困る。龍夜の寝る場所がなくなってしまう。
「遥ももう寝そうだし、その話明日にしない?」
 嵐は提案するが、広隆は遥の肩を掴み揺さぶって起こし、「大丈夫、寝てないから」と親指を立てた。
「だって修学旅行一日目の夜は今日しかないんだよ? 大事に使った方がいいよ」
 もっともらしい言い方をするが、修学旅行の二日目の昼だって明日しかない。寝不足で楽しめなかったら最悪だ。
 眠い目を擦る龍夜をよそに、和久が寛司の肩に手を回す。
「で、寛ちゃん、明日の作戦は?」
「作戦? 何の」
「藤真さんとの仲を深める作戦に決まってんだろ。せっかく同じ班なんだからさ」
「は!? な、何で俺がそんなこと」
「またまた〜」
 そうだ、明日は稚子たち女子と一日一緒なのだ。彼女たちの目があれば今日のように謎の勝負が発生することはないだろう。
 和久の言う恋バナも、いつものように寛司を弄るだけなら聞いていなくてもいいかと横になる。
「明日行くとこに恋愛成就とかご利益ありそうな神社とか寺とかないの」
「清水寺にそういうのなかった?」
「へー清水寺って恋愛の神様いるの? ……あれ、寺だから仏? 恋愛の仏?」
 神でも仏でも、いずれにせよ超常的な力をもった存在なのだから、それ専門でなくても何かしら祈っておけば何とかしてくれそうなものだが。それとも専門分野の方がより願いを叶えてくれるのだろうか。目を閉じて皆の会話を聞きながら、そんなことを考える。
「いや、清水寺の滝にそういうのがあったはず」
「滝? 分かんないけどそういうのがあるんだな」
「っていうか嵐詳しいな」
「もしかして嵐もお願いしたいことがあんの? 縁結びの神様に?」
 そういえばこれまで嵐からそういった話を聞いたことはなかった。それならちょっと聞いてみたい。
「誰誰? 誰にも言わないから教えてよ」
「それ情報漏洩のフラグだよね」
「やだな〜信じてよ〜」
「俺の話より、今一番熱いのは高坂さんでしょ」
 嵐の裏切りで一気に眠気が覚めた。なぜこの流れで俺の話になる!?
「なん……っ!」
 起き上がると五人分のにやにや顔に迎えられた。腹の立つことに遥もいつの間にか目を覚ました様子。なぜだ、遥お前もか、裏切り者め。
「おー焦ってる。図星なんだな」
「よーし、詳しく聞かせてもらおうか」
 広隆が顔を近づけてくる。逃げようにもベッドの上では限界があった。首に腕を回されて固められる。断頭台で処刑を待つ罪人の気分だ。
「そっか広隆も和久も知らないか」
「えー皆は知ってんの? ずるくない?」
「俺たち仲間じゃん教えてよ」
「その仲間の首を絞めてるくせに何言ってんだ……」
 龍夜の抵抗などこの状況ではなきに等しい。どれだけ腕を叩いても解かれる気配はない。苦しくはないが強制的に半端な前傾姿勢を取らされているせいで背中が痛くなってきてしまった。
「A組の転入生の華宮さん、いるじゃん。あの人」
「えーまじかそうだったの! 華宮さんも明日一緒じゃん、何それ藤真班ダブルデートじゃん」
「何がダブルだ」という寛司の突っ込みをスルーして、和久が龍夜の顔を覗き込んだ。
「一目惚れ? 可愛い子だもんね」
「そういうのじゃないから」
「照れなくていいよぉ」
「照れじゃないよね」
 返したのは龍夜ではなく遥だった。あぐらに頬杖をついて龍夜に目線を合わせる。
「思い出のカノジョだもんね」
 あえてもったいぶった言い方をしてきた。非常によくない。このせいで。
「意味深だね! 訳アリなの?」
「もともと知り合いだったってこと?」
 よけいに広隆たちの興味を引いてしまった。
 そもそも龍夜が園に好意をもっているというところから彼らは間違っている。好意がないというのは好きではないということではなく、園はいい人だし話をするのは緊張するが楽しいし、もちろん好きなのだがそういう好きではなく――ああもう、考えがまとまらない! これもそれも眠気のせいだ。先ほど一瞬どこかにいったが龍夜が眠かったのは事実だ。眠い時は考えがまとまらないものだ。そうだそうに決まっている。
「ほんとまじ頼むから黙ってくれ……」
 龍夜は目にかかった前髪をくしゃりと掻いた。疲労と、他にも何か重たいものが、龍夜の全身にのしかかったような気がした。



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