6.


「……っていう感じの正月だったよ」
 本日のトークテーマ、『今年の正月の過ごし方』。龍夜の話に耳を傾けていた木倉遥と野阿嵐の手は完全に止まっていた。双馬寛司なんか、握っていたはずのシャープペンを放り出して身を乗り出して龍夜の話を聞いている。龍夜としては『マンションの目の前の自販機までジュースを買いに行ったよ』くらいの軽いノリで話をしたつもりだったのだが。
「あれ、何か、ごめん?」思わず謝ってしまう。「話長過ぎた?」
「違う違う、そうじゃなくて。龍夜から前の学校のことを聞いたの初めてだったから」
「そうそう。ついまじで聞いちゃった」
 嵐が首を横に振り、遥も頷いて付け加える。
「俺たちいつも通りだったしね」
 ねえ? と遥が寛司を振り返ると、寛司は「そうだなあ」と両腕を組んだ。四人で囲む炬燵には教科書が広がり、ペンや消しゴムが転がっている。開いて置かれたノートの内、寛司の目の前にあるそれだけは、見事なまでに真っ白だった。
 伏和の自宅に戻ってきた翌日、一月三日。新年最初の部活動の為に朝早くから登校した龍夜は、年始の挨拶よりも前に「宿題終わった?」と声を掛けられた。そう訊ねてきたのは寛司。訊いてくるくらいなのだから、彼はもちろん宿題を終えていない。ほぼ未着手だと返すと、寛司は「はい、一名様ご案内ー!」とちょうどその時体育館に顔を出した嵐を振り返った。聞けば、部活の後嵐の家に集まって宿題をやっつける会を開催するのだと言う。嵐大先生に宿題を手伝ってもらっちゃう会、とも言う。
 そんな訳で、寛司、遥と共に野阿家にお邪魔しているのだが、これでは当初の目的が果たせない。この話は終わりという意思表示のつもりで龍夜は英語のプリントに目を落としたが、それを妨げたのは他でもない寛司だった。
「ねえ、そのメーコちゃんて幼馴染、可愛い?」
「んーそうだなあ……可愛いか可愛くないかの二択なら、可愛い方、だと思うけど」
「かったるい言い方するなよ、可愛いんだろ?」
「んん、まあ」
「いいなあ可愛い女の子!」
 そう言い放ち、寛司は床に大の字になる。いったい何に対して幻想を抱いているのだろうかこの男は。「白石がいるじゃん、寛司と幼馴染だろ」と遥が口を挟んだが、「いやあれは違う」と首を横に振られた。
「星魚は口うるさいからな、母親がもう一人いるみたいで駄目だ」
「顔可愛いじゃん」
「そうかあ? 普通だろ」
 自分の幼馴染である白石星魚に対してはドライな反応を見せる寛司。可愛い幼馴染がいるのに不満があるだなんて贅沢だ――そこまで考えて、龍夜はようやく気付いた。寛司の言う『可愛い女の子』は龍夜の『幼馴染』を指しているのではない。麗の『彼女』を指している。つまり、寛司が『いいなあ』と思っているのは、麗と芽衣子の『彼氏彼女の関係』なのである。
 何だそんなことか。寛司の本心に気付くと同時に、ふと年末のクリスマス会の準備をしていた時のことを思い出した。龍夜と買い出しに行った先で、寛司は妖精をモチーフにしたキャラクターのグッズを割と真剣な表情で見ていたのである。
「クリスマスプレゼント、ちゃんと渡した?」
 なかなか唐突ではあるが訊いてみると寛司はむくりと起き上がり、やはりきょとんとした顔で龍夜を見返してきた。
「は? 何の話?」
「クリスマス前に買い物行った時に妖精のグッズ見てたじゃん。プレゼントするつもりだったんじゃないの?」
「へえ、そんなことがあったんだ」
 数学の教科書を閉じながら、嵐が面白そうな顔をする。
「妖精ってあれだろ、藤真が鞄につけてるやつ」
「そうそう」
「藤真、あのキャラクター好きだよね。ねえ寛司?」
「や、だから、何のこと?」
 こちらがここまで言っているというのに、寛司はまだしらを切り通そうとする。実に往生際が悪い。呆れたように遥は頬杖をついた。
「寛司が藤真のこと好きだってのは、俺たち全員知ってるから」
「はいぃ?」
 まだバレていないと思っていたらしい。ずばり言い当てられた動揺からか、寛司の声は裏返った。
 藤真稚子は龍夜たちのクラスメイトであり、星魚の友人であり、寛司の想い人でもある。どういう経緯で好きになったかは知らないが、片想いの事実は日頃のちょっかいの出し方や視線の動き方で丸分かりだ。勘のはたらかない龍夜でも気付くほどに分かりやすい。バレバレである。
「好きとか、そんなんじゃねーし!」
 それでもまだ抵抗を続ける寛司の両脇を遥と嵐が固めた。
「もういい、もういいんだ」
「必死にならなくてもいいから」
「火のないところに煙は立たないんだ」
「無駄な抵抗はよせ」
「楽になれよ」
「で? 渡したの? プレゼント」
「そもそも買ったの?」
 二人がかりで畳みかけていく。身柄を拘束され、矢継ぎ早に言葉を浴びせられ、遂に降参する気になったらしい。二人から、龍夜からも顔を背け、寛司は小さな声で「……買ってない」と漏らした。
「え?」
 今度は龍夜たちがきょとんとする番である。
「何で? 選んだのに買わなかったの?」
「だって、突然そういうの渡したら何か変じゃね?」
「変じゃないよむしろベストなタイミングだったよだってクリスマスだったんだよ?」
「だけどさあ」
「ああもう! 本っ当に、寛司、お前って奴は!」
 普段は持ち前の行動力で周りを巻き込んでいくくせに、殊更自分のこととなるとそれを発揮しようとしない。遥の「何で? わざと? ねえわざとなの?」という台詞には龍夜も心底同意する。しかし寛司はそれを振り払い、「そう言う遥はどうなのさ」と反撃に出た。
「『どう』って?」
「椎木と仲がよろしいじゃありませんか」同じクラスの椎木はるかの名前を挙げ、「その後の展開は?」
「ないよそんなの。だいたい前提が間違ってるっつーの。はるかはうちの姉ちゃんが可愛がってる後輩、俺にとっては同級生」
「でも家に遊びに来るなんだろ」
「だからそれは、俺を訪ねてきてるんじゃなくて姉ちゃんを訪ねてきてるの」
「本当に?」
「もー何度も言わせるなよ」
「……ええ、でもさ……」
 でも、だけど、寛司は更に言い返そうとするが、次の言葉が出てこない。
「十、九、八、七」
 嵐が寛司と遥の間に入って両者の手首を掴み、カウントダウンを始める。
「六、五、四」
 寛司は口を開かない……いや、開けないのだろう。その間にも嵐のカウントダウンは続く。
「三、二、一」
「だって遥……」
 何かを言いかけた寛司を押し退け、嵐は遥の腕を高々と上げた。
「トークバトル終了! 勝者、遥!」
 勝利しガッツポーズを決める遥。それとは対照的に、両腕を投げ出して力なく炬燵に伏せる寛司。全力で戦い、燃え尽きた格闘技選手のようだ。今ここにゴングがあったら思いっきり鳴らしてやりたい。
 真っ白だ。燃え尽きた寛司も。寛司のノートも。
 ……。
「宿題、終わらないな」
 龍夜の呟きに寛司が身を震わせた。勢いよく顔を上げ、手元のノートをあらため、プリントをめくる。リュックサックを開けてその中の教科書に気圧され、両手で顔を覆う。「もう無理だ、もう駄目だ、もう終わりだ」などとぶつぶつ呟き始める。
「寛司?」
「もう終わりだ。宿題が終わらない。俺が終わりだ」
「何言ってんの? 気でも狂った?」
 呆れた嵐が寛司の顔を覗き込む。肩を叩こうとして伸ばした手を、寛司にがっちりと掴まれた。
「嵐大先生! お願いです! 数学のプリントの答え写させてください!」
「却下」
 しかし嵐は即答して寛司の手を払い退ける。
「冷た過ぎるよ! ちょっとは助けてよ!」
 寛司の悲痛な叫びが龍夜の鼓膜を震わせる。出来ることなら助けてやりたい。が、龍夜も今はそれどころではなかった。龍夜も寛司と同じく、これまでの皺寄せと戦っているのである。冬休み前半にろくに手を付けなかった宿題を前にして、龍夜は無心にペンを走らせた。
「悩んでもしょうがないからね」
「分からなかったらすぐに聞きなよ」
 頭を抱える寛司にそう言った遥と嵐の声は、心なしか、少しだけ優しく聞こえた。



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