3.


 人の多さに苦戦しながらも何とか前に進んできた龍夜たちだったが、境内の門をくぐり、本殿の前から伸びる列の最後尾についたところで完全に足が止まってしまった。もちろん、賽銭箱へ続く列である。
「これは……すごいな」
 麗が列から半身乗り出して前方を見る。指を折っていたから並んでいる人数を数えていたのだろうが、志半ばで諦めたらしい。すぐに列へ戻ってきた。
 本殿の方から歩いてくる人は少なからずいるのに、列の方はなぜかじりじりとしか進まない。一歩ずつしか進めないことに痺れを切らしたのか、両手を頭の後ろで組んだ陽介が「長えなあ」と呟いた。
「前の人たち、何をそんなに長々と何祈ってんのかな」
「何って、そりゃあ、自分の健康とか家族の幸せとか……」
 そんな雅章のベタな回答は、成の「『かなもり』の繁栄よ」という台詞に遮られた。
「……は?」
 何言ってるんだこいつ? とでも言いたげに陽介が成を見る。口にはしていないが顔にそう書いてある。陽介の眉間に寄った皺に気付いているのかいないのか、成は胸を張って皆を見回した。
「皆も、うちの旅館が今年も繁盛するように祈りなさいよ」
「えー……」
 深空に古くからある『かなもり』は成の両親が経営している旅館だ。成も日頃から家の手伝いをしており、和服の着付けが出来るのもその為である。そして汐波大社に祀られているのは商業の神様。成がここで今年一年の繁盛を祈りたい気持ちは分かるが、それを龍夜たち他人が祈ったところでご利益はあるのだろうか。
「いやいやいや」陽介が顔の前で手を振った。「何でだよ、おかしいだろ」
「おかしくはないでしょ。いいじゃない、友だちなんだから」
「じゃあうちの船の大漁も祈れよ」
「えー、そうする義理はないよね」
「何でだよ! もうお前んち宿には魚卸さねえぞ!」
 陽介の父親は漁師である。獲った魚の一部は昔から『かなもり』に卸しているのだと言う。陽介と成が親しいのはこの為で、父親の仕事についていった陽介と、家の仕事を手伝う成は幼い頃から顔を合わせる機会が特別多かったのだ。
 深空の沖で獲れた地魚料理は『かなもり』の名物のひとつだ。それが子ども同士の言い合いでなくなろうとしているのだから、地味にスケールが大きい口喧嘩である。
 それから更に待つこと十数分。ようやく六人は賽銭箱の前に立つことが出来た。各々五円玉を放り投げ、縄を振って鐘を鳴らす。願いごとの前に二礼二拍する。手を合わせ、目を閉じて頭を下げる。
(今年も皆と……友だち皆と上手くやれますように。あとバスケがもうちょっと上手くなったら嬉しいです。それと機転が利くようになれば言うことありません……)
 最後にもう一度一礼する。賽銭額五円に対して、ちょっと願いごとが多過ぎたかもしれない。しかし相手は神様だ。人智を超えた存在だ。願いに対して金額が小さいなどとけちくさいことは言わないに違いない。どうにかなるに違いない……多分。
 顔を上げると、先にお参りの行列を抜けた雅章が目に入った。社務所で巫女に硬貨を渡している。それに倣おうと龍夜も列を抜け、財布から百円玉を取り出した。
「二十四番です」
 雅章の言った数字の引き出しから、巫女が短冊を一枚手に取る。それを雅章に渡す。
「どう? どう?」
 訊きながら龍夜も巫女に百円を納め、おみくじを引いた。
「僕中吉だ」
「へえ、まあまあじゃん。あ、俺十六番」
 巫女が今度は十六番の引き出しから短冊を出す。優しそうな笑顔の彼女から受け取った短冊には。
「おー俺今年絶好調の予感」
 大吉と書かれていた。
「まじで? ラッキーじゃん」
「うん。幸先いいなあ」
 学業よし、健康よし、金運よし。就職も引っ越しも結婚も予定なんてないが――結婚に至ってはまだ出来ないが――全てよし。向かうところ敵なし。と、このおみくじは言っている。実に素晴らしい。
「何何、おみくじ引いたの?」
 遅れて社務所前まで来た陽介が龍夜のおみくじを覗き込み、読み上げた。
「『待ち人、来たる』、『恋愛、願いが通じ、成就する』か。はあ、うらやましい限りだね」
「だろ? ねえ、ヨーチンも引いてみなよ」
「そうだな。俺にも待ち人来ねえかなあ」
「……うん?」
 陽介が待ち人募集中だったとは初耳である。どちらかといえば陽介は『モテる』男に分類される(と龍夜は勝手に思っている)のに。しかし思い返せば、陽介との長い付き合いの中で、あまりそういう話をした覚えがない。
「へえ、誰か待ってるの。同じ学校の子? 同級生?」
 この機会につついてやろうと訊いてみれば、陽介の答えは想像以上にあっさりしたものだった。
「そりゃ、嫁さんは可愛い方がいいからなあ」
「は? 嫁?」
 龍夜たちはまだ十四歳である。子供である。法律上、あと四年待たなければ結婚出来ない。高校に行ったり、そのあと更に進学したり、就職したり、結婚の前にこなすべき人生のイベントはたくさんあるはずだ。それなのに何を今から嫁の心配をしているのだ陽介は。首を傾げる龍夜に、雅章がそっと耳打ちした。
「ヨーチン、中学卒業したら漁師になるから高校行かないんだよ」
「えっ」
 耳を疑った。思わず聞き返した。
「何それ。ヨーチンがそう言ったの?」
「うん。ちょっと前に進路希望調査のアンケート? みたいなやつを書いたんだ。僕は普通に高校進学って書いたんだけど、ヨーチンに聞いたら『俺親父の仕事継ぐから進学しねえよ』って……」
「まじかよ」
 百円玉片手に社務所の巫女と話す陽介を見遣る。陽介はもう先のことを考えているのか。誰もが当然のように高校へ進学していく中、それに逆らって家業を継ぐと決心しているのか。それは十四歳にとってとても大きな決断だっただろうに。龍夜が今神様に祈ったことなんか、『バスケが上手くなりたい』だというのに。
 おみくじを引く陽介の背中が、実際の距離以上に遠くに見える。
 しかし当の陽介は飄々としたもので、口をへの字に曲げて戻ってきたかと思うと「俺末吉だったわあ」と短冊を折り畳んだ。枝にくくる気満々である。
「くくる前にちょっと見せてよ」
「駄目、大吉のリューヤに見せる末吉などない」
「何だそりゃ」
 無理矢理にでも見てやろうと手を伸ばす。もうちょっとというところで陽介の手が逃げる。龍夜もそれを追う。陽介が更に逃げる。そして。
「……っと、すんません」
 伸ばした陽介の腕が通りがかった人にぶつかってしまう。謝ろうと顔を上げれば、そこに立っていたのは麗だった。
「ったく、お前ら危ないって」
「悪ぃ悪ぃ」
「気をつけろよ」
 そう言う麗の後ろでは、芽衣子が早速買ったお守りを巾着につけようとしており、成が七福神の乗った熊手を抱えている。着物に慣れない芽衣子がはぐれないよう、麗がついていてくれたらしい。さすがレイ王子、気が利く男だ。
 とにかく目を引く成の熊手だが、龍夜がいじるよりも先に陽介が「なあ、その熊手何なの、庭掃除でもすんの?」と茶化している。熊手いじりは陽介に任せ、龍夜は芽衣子の顔を覗いた。
「何お願いしてたの? 長かったじゃん」
「いろいろだよ」
「いろいろって?」
「内緒」
 訊いてはいけないことだったのだろうか。笑って誤魔化された上に、「それよりも」と話題を変えられた。
「ガショーは? お祈り短かったよね」
「僕? 僕は高校受験のことを、ちょっと」
 コウコウジュケン? 耳慣れない――と言っていられるのは今だけだろう。今はまだ慣れないが、その内嫌になるほど聞かされるであろう言葉が、龍夜の耳をすり抜けていく。
「受験……って、まだ早いんじゃない?」
 またまたご冗談を。あえておどけてみせると雅章は首を横に振った。
「早くはないよ。来月にはひとつ上の先輩たちが試験を受けるんだ。それが済んだら次は僕らの番だ。来月にはもう僕らが受験生だよ」
「そう、かな」
 素直に頷けず、ちらりと芽衣子を見る。目が合う。芽衣子は少し首を傾げ、小さく唸ってから「早過ぎる……ってことは、ないんじゃないかなあ」と言った。
「でも、ガショーは他の皆より意識が高い方だと思うんだよね」
「あーそれはあるよな」
 芽衣子の隣で話を聞いていた麗が頷く。
「リューヤ聞いた? ガショー、夏から塾通い出したんだぜ?」
「えっ初耳。いらないだろ」
 雅章は百五十人いる同級生の中で常に上位五番以内に入っているような奴である。今更塾で勉強することなんかないだろうに、どうしてまた塾なんか。試しに「どこの高校目指してるの?」と訊いてみれば、「港嶺」と返ってきた。
 港嶺高校といえば、深空で一番の――いや、深空市内どころか県下でも有数の進学校だ。毎年有名大学や国立医学部の合格者を多数輩出しており、各方面で活躍している卒業生が多い。深空の中学生の多くが一度は憧れる学校であり、しかし実力不足を理由に諦めていく学校でもある。確実にあそこに行きたいと考えているのなら、雅章のような人間でも塾に通おうと思うのかもしれない。
「まじかよ、さすがだな」
「うちの姉ちゃんも港嶺だからね。毎日学校面白いみたいで、いいなって」
「そうなんだ」
 雅章も陽介も、既に中学を卒業した後のことを考え始めている。やっぱりまだ早いだろう、と龍夜は思う。しかし、龍夜が伏和に引っ越してから既に四カ月が経った。一年の三分の一が過ぎた。それは本当にあっという間だった。
 今日から先の一年は、もしかしたらとても短いかもしれない――そんな考えが龍夜の脳裏をよぎった。一瞬のことだった。



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