2.


 ホームに滑り込んできたオレンジ色の車両を見て、龍夜は「あれ?」と首を傾げた。
 深空の人はあまり電車を利用しない。痒いところに手が届かないというか、施設が駅周辺に集まっていないというか……言い換えれば田舎である為に街が栄えていないというか。自家用車所有率が高い為、車があることを前提に街が作られているとも言える。
 要するに、深空の電車はあまり便利ではないのである。そういった理由があって、日頃の電車では空席が目立っている。が、今日に限ってはなぜかやけに混雑していた。
「珍しく流行ってるな」
 電車に乗り込みながら思わず呟いた龍夜の肩を雅章がつつく。「あれだよ、あれ」と一人の乗客を指差した。
 その男性客は真っ赤な顔でシートに深く腰掛け、隣に座る連れの女性と愉快そうに笑っていた。その手には潰れかかったビール缶が握られている。
「あれじゃ車は運転出来ないよねえ」
 正月といえば祝い事、祝い事といえば酒、つまり正月といえば酒だ。この電車の混雑は、朝から酒盛りを始め、出来上がってしまった大人が多いという事実の現れなのである。
「あーなるほど。よく気付いたね」
 素直に褒めると。
「まあね」
 雅章はにやりと笑って胸を張っていた。
 乗車時間はおおよそ十分、電車は定刻通りに深空駅に到着した。座っていた乗客たちが立ち上がり、ドア前に立つ龍夜たちの近くへ移動してくる。ドアが開く。人の流れに押し出される形で龍夜たちもホームに降りた。
 しかし車外に出たところで混雑からは抜け出せない。今同じ電車から降りた客たちに加え、ホームで電車を待っていた客たちがいる。降りる者と乗る者の流れがぶつかり、思うように歩けない。公共交通機関を利用して初詣に行こうとするとこうも大変なのか。例年は祖父母を含めた家族と一緒に行っていたが、その際は父親の運転する車で移動していたから知らなかった。龍夜は頭の中のメモ帳に書いた、『正月の電車は危険』。
 流れに身を任せて何とか改札を通り抜け、そこでようやく混雑から解放された龍夜は、ほっと息をつくや否やあることに気付いた。
 隣にいたはずの雅章が、いない。
(……もしかして、はぐれた?)
 辺りを見回せば、雅章どころか、麗や陽介たちもいない。
 しかしこういう時は慌てず騒がず。龍夜は首を回して人の波に目を凝らし、よく目立つ陽介の金髪頭を探した。他に金髪がいない訳ではないが、黒髪や茶髪と比べれば圧倒的少数派である。目印にするのにちょうどいい。
 そうして龍夜は、改札の内側に陽介の姿を発見した。金髪頭はじわりじわりと改札に近付き、龍夜の目の前で波を抜ける。陽介に続き、雅章と成ともすぐに合流出来た。
「よかったーはぐれたかと思ったわ」
 胸を撫で下ろしている成に雅章が頷いて同意する。
「思ってたよりも人が多いね」
「ここにいる人たち、皆参拝客なのかな」
「そうだろ。ここらで初詣っていったら、汐波大社だからなあ」
「あっ腹減った」
「何よ突然」
「家で雑煮食ってきたんだろ?」
「でも腹減ったよ」
「後で屋台で何か買おう」
 などなど。陽介たちととりとめのない会話をしながら改札前で待つこと数分、同じ電車に乗っていた人たちの波が途切れた頃に、ようやく麗と芽衣子がやってきた。芽衣子は成に駆け寄るとその手を握り、深く息を吐き出した。
「ちょっと、どうしたのよ」
「ごめんねナル、着物、着慣れないものだから……」
「えっもしかして苦しい?」成の指先が芽衣子の帯に触れる。「きつく締め過ぎちゃったかな?」
「ううん、そうじゃなくて。やっぱり動きにくいなって」
「あーそうだよねーちょっと大変だよねー」
 それはしょうがないよ、などと言いながら、成は慣れた手つきで芽衣子の着物を整えていく。人混みの中で曲がってしまったらしい帯の結び目がまっすぐになった(多分。龍夜にはやはりよく分からなかったのだが)のを見届けて、龍夜は先を急ごうとする麗を追った。
「いなくなったと思ったら、メーコ姫のエスコートでしたか」
「そんなんじゃねえよ」
「照れなくてもいいんですよ、レイ王子?」
「だからやめろっての」
 飛んできた麗の右ストレートを受け流し、龍夜は反撃の拳を繰り出した。しかしそれは簡単に受け止められ、逆にがっちりと掴まれてしまう。龍夜としてはその時点で降参だったのだが、麗の追撃は止まず、首回りを腕で固められてしまった。これではもう動けない。首を絞めてくる腕をばしばしと叩きギブアップを訴えた。
「レイ! ギブギブ!」
「もう? 早いな」
 言いながら腕を緩める麗に龍夜は少しむっとしてみせる。
「早いも何も、本気で首シメやがって。死んだらどうしてくれるんだ」
「そしたら泣いてやるさ。『おおリューヤ、死んでしまうとは情けない』」
「ふざけんなよ」
 目が合って、一瞬。どちらからともなく吹き出す。
「何だよそれ、ゲームの神父の台詞じゃん」
「俺、神に仕えることにしたんだ。アーメン」
「ああ、初詣だけに」
「そうそう、今日くらいは神様信じねーと、お参りの意味ないからな」
 神様の概念がめちゃくちゃだ。おかしい。言い合っている内に何がおかしいのかよく分からなくなってきたが、とにかくおかしい。
「馬鹿じゃねーの?」
「神社にキリストがいる訳ないよなあ」
「当たり前だろ、神社なんだから」
 互いに指を差してげらげら笑う。と、そんな龍夜と麗の肩に陽介が飛びついてきた。
「お前ら本当に仲いいよなあ」
「何だよ急に」
「皆お前らの仲のよさに嫉妬して先行っちゃったぜ?」
「えっ」
 言われて陽介の目線を辿る。駅前のスクランブル交差点の中に雅章の姿が見え隠れしている。両サイドには成と芽衣子。両手に着物女子、両手に花状態だ。雅章のくせに、実にけしからん。
 ホームからは次の電車が到着するアナウンスがかすかに聞こえてくる。もうすぐ次の人の波がやってくる。
「馬鹿やってないで、行くぞ」
 二人の背中を軽く叩き、陽介が先に立つ。駆け足気味にそれを追う。交差点の向こうでは三人がこちらを向いて待っており、成が「こっちこっち!」と大きく手を振っていた。
 交差点の先の商店街を通り抜けると川にぶつかる。川に沿って整備された遊歩道を行くと、その先に大きく枝を張った木々が見えてきた。汐波大社のある一角を覆う桜の木の枝である。
 敷地の南側に回り本殿正面の鳥居前へ出ると、その周囲には綿菓子やくじ引きなど、様々な屋台が並んでいた。すれ違った子供が齧っていたりんご飴は目に鮮やかだし、焦げたソースの香りは小腹の空いた龍夜の鼻をくすぐる。吸い寄せられるようにお好み焼きの屋台に近付こうとした龍夜だったが、成に襟首を掴まれ阻止された。
「駄目よ、そういうのは後! 先にお参り!」
「何で」
「あたしたちは初詣に来たんであって、買い食いをしに来た訳じゃないの」
「……まあ、そうだね」
 一理ある。一どころか全くその通りである。成に諭されるのはどうも納得がいかないが、先に目的のことを済ませた方がいいことは確かだ。それに。
「っと、すみません」
 ちょっと動いただけで他の参拝客とぶつかってしまうほどに混雑している。あまり勝手なことをすれば、また皆とはぐれてしまうだろう。駅ではすぐに合流出来たが、次もそうとは限らない。ここは足並みを揃えるべきだ。
「それじゃ、まずはお参りから、行きましょ!」
 成が着物の袖を翻す。「ったく、しょうがねえなあ」と陽介が頭を掻く。ぶつぶつと文句を言いながらも成の横に並んだ陽介は面白そうに笑っていた。



 /  目次に戻る  / 

小説トップ/サイトトップ