1.


 昨日、十二月三十一日。伏和から深空の実家に帰ってくる途中で古賀島陽介に会ったのは偶然だった。もしあの時海沿いの道を通らなかったら堤防で釣りをする陽介には出会わなかった。今日彼が皆と約束をしていたことも知らないままだった。
 そう、皆。
 まだ深空に住んでいた頃から、小さい頃からずっと一緒だった皆。よく遊んで、たまには喧嘩して、怒られて、また仲直りして。そうやって十年以上付き合い続けてきた連中だ。友だちだとか、幼馴染だとか、敢えて言うのであればそういった表現が一番近いのだろう。しかしどうにもこの言葉では収まりが悪いように思える。一緒にいるのが当然で、太陽か、そうでなければ空気くらいに当然の存在である彼らは、『友だち』とは少し違うような気がしていた。
 そんな連中と、十時に西深空駅前で待ち合わせの予定だと陽介は言っていた。待ち合わせは初詣の為、皆で揃って隣町の神社まで行くらしい。誘ってくれた陽介には感謝だ。
 それにしても、毎日のように顔を合わせ続けてきた彼らともう四カ月も会っていないのだから妙な気分である。会ったら何の話をしよう。彼らとの共通の話題といえば、人気のバラエティ番組や、サッカーやバスケといったスポーツ関連だ。でなければ転校した先の学校の話か……それとも自分がいなくなってからの深空のことか。そこまで考えて、少しだけ息苦しくなった。
 今歩いている道の正面に踏切が見える。踏切の手前で右に曲がり、ひとつ目の信号を左に曲がればもう駅のロータリーだ。コートの襟を折りながら、龍夜は駅の正面に立った。後ろから吹いてきた風が汗ばみ始めた首元を冷やした。
 改札前に三つの見慣れた人影があった。ひとつは陽介。昨日と変わらず金の長髪で、身体よりも一回り大きなジャージを着ている。ひとつは湯島麗。陽介の隣に立っている。切れ長の目が印象的でどことなく近寄りがたく見えるが、話してみると結構イイ奴だ。そしてもうひとつ、癖毛頭がこちらに背中を向けている。
 龍夜は三人にそっと近付いた。龍夜に気付いた陽介がにやにや顔になり、麗が細い目を大きく開く。麗は何か言いたそうにしていたが、口元に人差し指を立てて『喋るな』の合図を送ると何とか言葉を飲み込んだようだった。
 麗の異変に首を傾げた癖毛頭が何事かと周囲を見回した。彼がこちらを振り向くよりも先に、彼の両目を手で覆ってしまう。
「ちょっ、冷たっ! えっ誰? 成?」
 慌てる癖毛頭、それを見て大笑いする陽介。龍夜も声を上げて笑ったが、麗にはまだ笑う余裕がなさそうだった。
 いたずらもこの辺にしてやらなければ。龍夜は両手を外すと癖毛頭――林田雅章の正面に回り込んだ。
「あけましておめでとう」
「えっ?」雅章の口がぽかんと開く。
「リューヤ? 本物?」
「そりゃそうだ」
 芸能人や戦国武将ならいざ知らず、龍夜のような一介の中学生ごときに影武者なんか存在しない。するはずもない。例えテレビで見るようなスーパー中学生ですら、そんなものはいないだろう。
「皆さんお久しぶりです」
 無駄にかしこまって会釈までしてみせる。その緩慢な動きを、麗の「いつだ?」という声が遮った。
「リューヤ、いつ帰ってきたんだ?」
「昨日だよ。昨日の夕方くらい」
「だけど……お前の家、もう取り壊したじゃないか」
 麗の言う通りだ。この夏まで高坂一家が住んでいた家は既になく、家があった場所は今、何もないただのさら地となっている。
「だから昨日からじいちゃん家に泊まってるんだ」
「ああ、高坂のじーさんの家はこっちにあるんだもんな」
「うん。ここからすぐ近く」
「そっか……それじゃあ、帰ってきた時に俺にも連絡くれればよかったのに」
 麗は横目で陽介を見た。
「ヨーチンは知ってたんだろ? リューヤが帰ってきてたこと」
「まあね」大きく伸びをすると、陽介は頭の後ろで腕を組んだ。
「わざと内緒にしてたんだ。今日突然呼んで、お前ら驚かしてやろうと思って」
「驚いたよ! 十分驚いたよ!」
 声を一段階大きくした雅章に麗も頷く。
「ドッキリ大成功だね」と龍夜は陽介の脇腹を小突いたが、陽介は「いーや、まだまだ」と首を横に振った。
「『まだ』……って」
「まだメンツが揃ってねーんだよ」
「あ、そういうことか」
 なるほど。ようやく合点がいった。
 男四人、このメンバーでよく遊んでいた。しかしこれで全員ではない。これが『皆』ではない。
「メーコとナルか」
 龍夜の台詞に陽介が大きく頷いた。
 ドッキリを仕掛けられた麗と雅章は、今度は自分たちが仕掛ける番だと主張し、ドッキリの中心となる龍夜をどこに待機させようか、あれこれ案を出し始めた。電話ボックスの中はどうか、近くのコンビニで待機させてみるか、いっそ龍夜ひとりだけを待ち合わせ場所に残すか、など、それを実行する龍夜の意思などお構いなしに勝手なことを言う。挙句の果てには、ロータリーで乗客待ちをしているタクシーからおもむろに降りてこい、なんて言い出した。そんなの、業務妨害以外の何物でもない。
 最終的に、先にホームに向かい後から来た皆と偶然を装って合流、というところで落ち着いた。それなら難しいことも誰かを邪魔することもない。さっさと切符を買って、ホームで待っていればいい。
「それじゃあ」
 先に行ってるよ、という龍夜の台詞は、「お待たせー!」という声にかき消された。
 決してボリュームが大きい訳ではない。しかし周りがざわついていてもよく聞こえるその声には、不思議と人を引きつける力があった。龍夜の意識は声に吸い寄せられ、そして声の主を振り返る。
 向いた先では、落ち着いた緑色の着物を着た遠塚芽衣子がひらひらと手を振っていた。
 芽衣子は麗、陽介、雅章と順に目を合わせ、龍夜の前で止まった。「わっ」と声を出してから両手で口を覆う。ゆっくりと首を横に振る。
「びっくりした……」などと呟く芽衣子の後ろから、ぴょこんと金森成が顔を出した。芽衣子とは対照的に「あれ、リューヤ?」と大きな声を出す。
「どーしたの、恋しくなって帰ってきちゃった?」
「うん、そう」
「まじで?」
「嘘だよ違うよ、うちの父親の里帰りについてきたの」
「何だあ違うんじゃん」
 テンポよく出てくる言葉を次々と打ち返していた龍夜だったが、それも陽介が成の肩に腕を乗せたことをきっかけに中断した。
「馬子にも衣装だなあ、ナル?」
「ひどいなあ」
 成が唇を尖らせる。
「アンタって本っ当に失礼だよね」
「いやいや褒めてるんだぜ? いいお着物ですね」
「アラーアリガト」
 鮮やかな紫の着物の袖を翻す。成の髪に挿さったかんざしの飾りがちらりと揺れた。
「着付け、自分でやったの?」「旅館の娘だもの、このくらい当然よお」と、陽介と成のやり合いはまだ続くらしい。相変わらずだなあ。龍夜は苦笑して、改めて芽衣子に向き直った。
「どーも、四カ月ぶり」
「久しぶり……あ、あけましておめでとう」
「うん。おめでとう。メーコも自分で着物着たの?」
「ううん、ナルに手伝ってもらったの。上手でしょ」
 そう言って背中の帯の結び目を見せてくださる。龍夜にはその良し悪しがいまいち分からなかったが、芽衣子がいいと言うのだからいいに違いない。
「あいつ不器用なくせに時々こういう特技披露してくるよなあ」
「そう言わないであげてよ」
「いやいや、悪く言ってるつもりはないって」
 芽衣子とこうして話すのは引っ越し当日以来だ……そんなことを考えていたら、ふと、脳裏に紅茶の缶が浮かんだ。中身は紅茶ではなく、手作りのクッキー。あれをかじりながら段ボール箱を業者のトラックに積み込んだ。
 あのクッキーは芽衣子が届けてくれたものだった。
「おーい、そろそろ電車来るよー」
 雅章の声に龍夜は顔を上げた。改札の方を見れば雅章が手招きしており、その背後では早くも切符を買った麗が改札を通っている。
「あっ、ちょっと待ちなさいよ! 着物だと走れないんだからー!」
 小走りというよりも競歩に近い動きで成が麗を追う。それを見た陽介が「おっ、正月からペンギンのモノマネですか」と茶化す。成が拳を振り上げる。芽衣子が成をなだめる。彼らのやり取りを雅章が笑う。
『皆』の関係は、昔と何も変わっていない。
「リューヤ。行こう」
 芽衣子が龍夜を振り返った。頷いて龍夜も一歩踏み出す。芽衣子と並ぶ。
「そういえば、今更だけど、クッキーごちそうさま」
「うん?」
「うちが引っ越す日に持ってきてくれただろ」
「あーあれ。本当に今更だね」
「でもお礼ってのはちゃんと言わないとさ」
「真面目なこと言うんだね」
「俺はいつでも真面目だけど?」
「どうだか」
 笑いながら、芽衣子は手に提げた巾着から小さながまぐち財布を取り出した。電車の運賃表を見上げ、手元の財布に視線を戻し、指先で小銭を拾い上げる。財布についた鈴がちょっとした動きにも揺れて小さな音が鳴った。
 龍夜も券売機に小銭を投下した。電車で二駅一七〇円。向かう先は深空駅近く、汐波大社である。



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