16.


  バレンタインデーのすぐ後にも大きなイベントが用意されていた。学年末テストである。龍夜たち三送会実行委員は会の準備と並行してテストの準備も進めなければならず、あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ、と忙しなく動いている内に二月は終わりを迎えた。
 一月は行っちゃう、二月は逃げちゃう――三学期の始業式で校長が言っていた通りだ。西日が差し込む生徒会室に掲示されていた二月のカレンダーを捲り『三月』の二文字を見た龍夜は、それだけで疲れたような気分になった。もう三月になってしまった。深空で初詣をしたのがついこの間ように思えるが、あれももう二カ月前のことなのだ。
 そして三送会は目前、四日後に迫っている。
 三年生が入場する時にくぐる花のアーチや、会場となる体育館に掲げる『三年生を送る会』吊り看板など、大道具の作製は概ね順調。演奏を披露する予定の吹奏楽部とは時間調整済み。在校生たち全員で歌う予定の歌のCDも実行委員の手を通じて各クラスに配布してあるから、きっと各々練習していることだろう。そうでなくても今回選んだ曲は、最近テレビで人気のアーティストが歌う応援ソングである。ほとんどの生徒がどこかで耳にしたことがあるはずだから、当日の合唱も何とか形になるのではないだろうか。
 その他残っているのは、皆で手分けしてばらばらに撮ったビデオレターの編集だ。流す順番を決めて繋ぎ合わせ一本にする作業は生徒会役員たちと佐倉が進めてくれている。今も二年A組の教室で並べ替えをしていることだろう。
「俺らは俺らでやることやっちゃおうぜ」
「そうだね」
 寛司の言葉に頷き、龍夜は手元の薄紙を見下ろした。五枚重ねて蛇腹折りにし、更に長辺の真ん中で折って扇状にする。根元を輪ゴムで留めて薄紙を破かないようそっと剥がしていけば紙の花の完成だ。他の委員たちが作ったものは綺麗な花に見えるのに龍夜や寛司が作ると上手く丸く広がらない。自分たちの不器用さには呆れるしかないが、紙の花の密集するアーチに取りつけてしまえば不格好さはさほど気にならなかった。それよりも今は少しでも早く必要数を用意してアーチを完成させ、本番に備えたい。
「アーチあといくつ作るんだっけ?」
「二つ出来たらいいなあってとこかな」
「ってことは花は……」
 下手くそだなんて言っていられない。とにかく数が必要だ。龍夜はただひたすらに手を動かし続けた。五枚重ねて蛇腹折り、半分に折って輪ゴム――だんだん無心になってくる。まるで何かの修行のようだ。これがランナーズハイというやつか、いや走ってなんていないけれど、そういえば今日の放課後の部活は走り込みだったっけ、今頃皆はショーサン周回中かな……意識が手元の作業から離れかけ、一瞬五感が鈍った。その事実に驚き我に返る。周りを見回すと各々作業に勤しむ中、真横にいる寛司だけはぼんやりと廊下を眺めていた。ほんの数分前に『俺らは俺らでやることやっちゃおうぜ』などと言ったくせにけしからん奴だ。
「ちょっと寛司」
 寛司の目の前で手を振ってみたが彼の意識は廊下を向いたままで。
「おーい」
 そればかりか廊下を通りかかった人物に声を掛け手を振った。
 寛司の目線を追う。中途半端に三分の一ほど開いた扉の向こうにセーラー服が見える。一度通り過ぎたセーラー服だったが、寛司が呼び止めたせいか引き返してくる。扉に手が掛かり、大きく開いて。
 稚子が顔を覗かせた。
「双馬君? 今私のこと呼んだ?」
「呼んだ呼んだ」
 寛司の手招きで、稚子が会釈しながら生徒会室内に入ってきた。床に散らばるペンやテープを踏まないように気をつけて足を運ぶ。寛司の前までやってきて、そこで足を止めた。
「どうしたの、私これでも部活中なんだけど」
「廊下うろうろしてたじゃん、説得力ねーな」
「写生のモデル探してたの」
 そういえば稚子は美術部である。
「じゃあ俺でも描く?」
 寛司ももちろん冗談のつもりだっただろうが、即座に真顔で「お断りだわ」と返されてしまったところを見ると、寛司がちょっとだけ気の毒になった。
 当然だがそんな話をしたくて稚子を呼んだ訳ではない。駄目元で「作るの手伝ってよ」と言ってみると、思いの外「少しだけなら」と頷いてくれた。床の文房具をどけて稚子の座る場所を作り、薄紙の束と輪ゴムの箱をそこへ押し出す。この状況と道具から龍夜たちが何をしているかは察してくれたらしく、稚子は説明する前に手を動かし始めた。
 さすがは美術部部長、といったところか。稚子の手から出来上がってくる花は綺麗な形をしていた。作業は早くて丁寧で、龍夜が歪んだ花をひとつ作る間に、稚子は整った花をふたつも作ってくださる。これでは嫌になるというものだ。
 この品質の差はどこから生まれてくるのだろう。出所を探ろうと稚子の手元を観察していたが、「見てないで手動かしなよ」と一蹴されてしまった。
「そうやってサボってると終わるものも終わらないよ?」
「だって丁寧さも早さも全然違うじゃん。俺もスピード上げて丁寧に作ろうと思って、まずは観察」
「こういうのは見てたって出来るようにならないから」
「うっ」
 それはその通りかもしれないが、ずばり言われてしまうと何だか悔しい。
「どうせあとで広げちゃうんだからきっちり角合わせて折る必要はないの、それよりもちゃんと真ん中を輪ゴムで止めてバランスよく広げるのが大事」
「その『バランスよく』ってのがいまいち分かんないんだよね」
「だからそれはたくさん作ってみて感覚掴むしかないんじゃない?」
 上達に近道はないらしい。肩を落として紙花作成に戻った龍夜に代わり、今度は寛司が口を開いた。
「なるほどココアクッキーもたくさん作っていく内に上達していった訳か」
「何の話?」
「バレンタインの時の。形が悪くて固いのと綺麗な形でサクサクなのと混ざってたから」
「ああ、それ」
 ばつが悪そうに稚子が寛司から目を反らす。
「それね……一度に全部焼けなかったから何回かに分けたんだけど、最初温度設定間違えちゃって」
 稚子でもケアレスミスをするらしい。意外だなあと思いつつ、龍夜は首を傾げた。そんな固いクッキーを食べた覚えがなかったのだ。
「失敗したのは捨てるつもりだったんだけど、そういうのは味の良し悪しの分からない人に渡しとけばいいから! っていう意見が出まして」
 なるほど、それで失敗作全部は寛司の紙袋に入った訳だ。
「どうせそれ言ったの星魚だろ、あのやろ!」
「そうとは限らないでしょ、三人で作ってるんだから。私かもしれないし、はるかかもしれないし」
「いや、俺にそういう失礼なこと言うのはだいたい星魚だ」
 幼馴染同士因縁めいたものがあるらしい。しばらくぶつぶつと文句を言っていた寛司だったが、「ま、別にいいけどな」で終わらせられるあたり、やはり仲はいいのだろう。
 作った紙花を寛司の前に寄せて稚子は立ち上がった。
「クッキーに関しては本当ごめん。次の機会があったらちゃんとしたの渡すから」
「次って。次があるのかよ」
「そうだなあ、来年のバレンタインとか?」
 来年、という言葉に、寛司の眉がわずかに動く。
「先過ぎるだろ」
「確かにー。受験の真っ只中だしね、用意出来ないかもしれないし」
「うん。それに……」
 寛司は言いかけた言葉を飲み込んだ。言いたいことは、龍夜にも察しがついた。
 今年はたまたま寛司たちと稚子たちが同じクラスだったから、彼らには『クラスメイト』というつながりがあった。しかし来年もそうとは限らない。来年の自分たちが今と同じ関係が続けていられるかどうかは分からない。
 確実に言えるのは、皆の関係が四月から少し変わるということ。
 三年生を送る準備は、龍夜たちが三年生になる為の準備でもある。ようやくそれを自覚したが、まだその瞬間は来てほしくなかった。可能ならもう少し猶予が欲しかった。しかしそれは願っても叶わないことで、ならば今、出来る限りの準備をするしかない。



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