15.


「寛ちゃん、ちょっと」
 校門外の花壇の縁に腰かけていた星魚が寛司の姿を認めて手招きした。彼女の後ろにいるもう二人もこちらを見ている。まだ日没前とはいえ傾いた日の光は弱々しく、彼女たちの顔には影が落ちていたが、二人がはるかと稚子であることくらいは何とか分かった。
「何、どしたの」
「寛ちゃんたちを待ってたんだよ」
 ね? と星魚が振り返ると、はるかは後ろ手に隠していた四つの小さな紙袋を見せた。
「何それ」
「いくら馬鹿でも、今日が何の日かってことくらいは寛ちゃんにも分かるでしょ?」
「馬鹿は余計だ!」寛司はむっとして、「あれだろ、バレンタインデーだろ」
「そう。だから私たち三人から皆にプレゼント」
「えっまじで?」
 そんな、まさか。寛司の表情が驚きのそれに変わった。龍夜たちの頭に疑問符が並んだ。
 だって今は不要物取り締まりキャンペーン中で、教師たちに見つかったら面倒なことになるのは火を見るよりも明らかだ。それなのに学校で『プレゼント』という言葉を聞くことになるなんて、いったい誰が想像出来ただろうか。
「持ってきてたの? 先生に見つかったら大変じゃん」
 龍夜たちの疑問を遥が代表して口にすると、はるかは「そんな訳ないでしょ」と首を横に振った。
「一回帰って持ってきたんだよ」
「わざわざ?」
「そう。うちならすぐそこだから」
 はるかの家は伏和小の裏にある。小学校と道路を挟んで隣り合わせの中学校までは歩いて五分、走れば二分程度という好立地。バレーボール部の練習を終えたはるかは急いで家に帰った。そして包みを持って再び登校し、校門前で寛司たちを待っていたのだそうだ。
「学校に持ってきちゃ駄目ってことは、学校の敷地外ならいいってことでしょ?」
 そう言う稚子はちょっと得意気である。学校の外で一度帰宅したはるかがチョコレートを持っていても、それはルール違反ではない。
 こんな抜け道を思い付いたのは、あの様子からして稚子だろうか。人間、目の前に壁があればそれを越える方法を模索するものだが、こんなところでそれを目の当たりにすることになろうとは。納得すると同時に妙に感心してしまった。
「じゃあこれ、皆にひとつずつ」
「あ、ありがとう」
 はるかの手から包みが男子たちの手に、もちろん龍夜の手にも渡っていく。紙袋の紐から、見た目の小ささに反する重さが伝わってくる。
「これは?」
「私たちで作ったの。って言っても、ほとんど稚子にやってもらったんだけど」
「えっ!」
 寛司が露骨に渋い顔をしたのは、今朝の嵐の台詞――『寛司がもらえたとしてもワサビ入りチョコかな』という言葉があったからだろう。もっと言えば、一昨年のクリスマスパーティーの時に稚子が用意したワサビ入りのハズレカップケーキを引いたことを思い出したからに違いない。
「大丈夫かぁ?」
 不安がる寛司だったが、「今回は余計なもの入れてないから」という星魚からのフォローで顔をぱっと明るくした。稚子は料理が得意なのだ。甘い菓子に不似合いな香辛料を入れるなど余計なことさえしなければ、彼女が作るものは美味しいのだ。それは普段の家庭科の調理実習やハズレ以外のクリスマスケーキで証明済みである。味は保証されているという訳だ。
 紙袋の口から覗くと小さな箱が見えるだけで、箱の中身までは分からなかった。いったい何だろう。笑顔で紙袋を見つめる寛司に遥が囁いた。
「ごめん、俺の読みが甘かったよ。ゼロじゃなかったね」
「全くだぜ。……まあ、ちょっと思ってたのと違うけど」
「ああ、言い直すわ。『寛司が思っているようにチョコが渡される可能性はやっぱりゼロ』だ」
「あーそうですね」
 口を尖らせてふいとそっぽを向く。しかしそれでも、寛司が嬉しそうであることには変わらず、見ていた龍夜まで頬が緩んだ。
 一人、また一人と帰路についていく中、七人でいつまでも固まっていると目立つものである。校門の内側で生徒たちの下校を見届けていた教師たちの目が龍夜たちを捉えた。
 視線に気付いて顔を上げる。こちらを見ていた新崎と目が合ってしまう。新崎がこちらに近付いてくる。慌てて紙袋を隠す。
「皆どうしたの、誰か待ってるの? もう遅いし、早く帰りなさいよ」
 言いながら新崎は、隠しきれていない紙袋を指差した。
「バレンタインチョコ? 誰、持ってきたの」
「別に学校に持ってきてた訳じゃないです。一回家に帰って取ってきたんです」
「椎木さん、そうなの?」
「そうなんです」
 女子三人が何度も首を縦に振る。嘘じゃないんです、本当なんです。そう訴えるはるかたちに新崎は溜め息をついて、顔の横で人差し指を立てた。
「今回は椎木さんの言うことを信じます」
 それから龍夜たちを見て。
「でも他の先生が見たらやっぱり疑うでしょうから、それは今すぐ鞄の中にしまっちゃってね。それと、お菓子は絶対に家に帰ってから食べること」
 確かにこの現場、女子の誰かがチョコを隠し持ってきたようにしか見えないだろう。はるかの発言が真実でも、教師の目には『はるかが嘘をついている』ように映る。声を掛けに来たのが口うるさい柳井なんかだったら――想像もしたくない。目が合ったのが新崎でよかった! 心の底から幸運に感謝した。
 これ以上ここに留まって他の教師まで様子を見に来ては困る。紙袋を背負い鞄に忍ばせて新崎に挨拶し、七人は解散した。龍夜は途中まで寛司、星魚と一緒だったが、誰もバレンタインチョコのことには触れなかった。
 家に帰った龍夜は好里からもチョコレートを受け取った。今朝冷蔵庫の中で見た、ピンクのリボンが掛かったデコチョコだ。
「あ、昨日作ってたやつね。ありがとう」
「んー」
 兄が礼を言っているというのにテレビから目を離さず、しかも生返事とはどういうことだ。しかしそれはそれで、今の龍夜には都合がいい。妹がアニメに見入っていること、CMが明けたばかりであと十分はテレビの前から動かないだろうことを確認してから自室に入った。鞄から紙袋をそっと出してみる。外では暗くてよく分からなかったが、緑がかった淡い水色の袋だ。中の箱は深い藍色で金のリボンが掛かっている。
 箱を開けると、ココアクッキーとトリュフチョコレートが入っていた。二種類もだなんて、手の込んだプレゼントだ。トリュフの大きさは不揃いで形も歪だったが、それも手作りならではのことだろう。一粒口に含んでみると、優しい甘さがじんわりと広がった。

 翌日寛司に「美味しかったよね、特にトリュフチョコ」と同意を求めてみた。しかし寛司は「え?」と首を傾げる。
「俺がもらったの、ココアクッキーだったけど?」
「……あれ?」



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