13.


 その後の話し合いで、龍夜たちは柳井、新崎といったよく知った先生の他、川吉、水科という日頃あまり馴染みのない先生のビデオレターを担当することになった。
 柳井は男子バスケットボール部の顧問である。もちろんバスケ部の先輩たちは柳井に怒鳴られながらも練習を重ねてきた。新崎は龍夜たち二年E組の担任だが、同時に新体操部の顧問でもある。川吉は国語教師で、現在の三年A組の担任だ。この三人は今も伏和中で教鞭をとっているが、水科は龍夜にとって全く聞き覚えのない名前である。それもそのはず、昨年龍夜が転入してくる前に、よその中学校に転任していたのだ。
「どんな先生?」
 訊ねると寛司は「家庭科の先生」と言った。
「おばちゃんだよ……って言うとすげー怒るけど。背はちっちゃいけど声がでかいんだ」
「へえ」
 分かったような分からないような。首を傾げ放課後の喧騒を聴き流しながら、龍夜は寛司と連れ立って職員室へ向かう。宿題のワークに赤を入れていた佐倉に理由を話して電話帳を借り受け、電話の前を陣取った。
 水科からすれば、昨年まで勤めていたとはいえ、伏和中の三送会は『よその中学校の学校行事』である。ビデオレターの撮影に協力してもらえるよう、まずは許可を取る必要がある。佐倉曰く、水科は昨年の春から伏和市内の池沢中学校で教えているらしい。電話帳のページを繰って池沢中を探し出し、龍夜が指差した先の数字を確認した寛司が受話器を手に取った。
 プッシュ音に続けて、コール音が受話器から漏れてくる。これから約束を取り付けるのは寛司なのに、なぜか龍夜まで緊張してくる。三回目のコール音が途中で途切れる。
『はい、伏和市立池沢中学校です』
 かすかに女の人の声が聞こえてくる中、寛司は軽く息を吸った。
「あっもしもし? 水科先生いる? ちょっとお願いがあるんすけど」
 あまりの寛司の話ぶりに龍夜の緊張は一瞬にして消えた。名乗りもせずいきなり本題に入るなんて、龍夜にまで電話の向こうの困惑が伝わってくるようだ。寛司の脇腹に軽く拳を入れて止め、電話の相手に聞こえないよう、でも周りの雑音に負けないように小さな声で耳打ちした。
「ちょっと、『伏和中二年の双馬寛司です』だろ」
「あっいっけね」
 今の『いっけね』は確実に電話の向こうにも聞こえていただろうが、そんなことはお構いなしに寛司は言葉を続けていく。
「そうそう、水科先生と話がしたいんすよ。あ、俺、伏和中二年の双馬寛司です……うん、あ、先生そこにいるの? 代わってもらってもいい?」
 聞いていて不安になる調子で話すこと数分。頷きながら受話器を置いた寛司は龍夜を振り返って「カンペキ!」と親指を突き立てた。
「先生、ビデオレター撮らせてくれるって」
「えっまじか、やったじゃん」
 あのノリで許可がもらえるなんて、寛司の人徳なのか、水科の心が広いのか、それとも龍夜の頭が固過ぎて『もっときちんとしなきゃいけない』と思い込んでいるだけで実際はこんな軽くても大丈夫なのか、それは分からない。いずれにせよこれを臆せずにやってのけるなんて、あまりよく知らない相手との会話が苦手な龍夜には出来ないことで、龍夜はただただ感心した。
 寛司が水科から取りつけた約束の日時は三日後、土曜日の午後だった。午前中部活で登校していた二人は練習終了後、学校指定ジャージのまま池沢中方面に向かうバスに乗った。朝家を出る前に母親が持たせてくれたおにぎりにかぶりつきながら窓の外を眺める。よく見知った伏和駅やその周囲の風景が後方に流れ、覚えのないレストランやスーパーマーケットが迫ってくる。歩道を歩く龍夜たちと同じ年頃の子供たちは、龍夜たちの白と黒のジャージとは違い、濃い緑色のジャージを着ている。
「あれ、池沢中の奴だな」
 緑のジャージを目で追いながら寛司は降車ボタンを押した。バスのアナウンスが『次は池沢中前、次停まります』と言った。
 池沢中学区は伏和中学区と隣り合っている。決してそう遠くまで来た訳ではない、むしろ近いくらいなのだが、降りたバスが走り去るのを見送っていると未知の場所に来てしまったような感覚に襲われた。寛司は前にもバスケの練習試合だか何だかで来たことがあると言っていたが龍夜は初めて訪れる場所である。何とも言えない緊張感の中、龍夜は池沢中の校門をくぐった。
 土曜日とはいえ人が多いのはやはり皆部活動なのだろうか、すれ違う生徒のジャージはどれも緑色。決して派手ではない伏和中のジャージが、ここではよく目立つ。「職員室ってどこだ?」「その前に一回事務室寄るべきだよ」などと迷いのある足取りで動く所為で、余計に視線を集める。
 そんな折、一人の女子生徒と寛司の目が合った。ちょうどいいやと寛司は彼女に近付く。
「ねえ、職員室どこ?」
「え、職員室……?」
「俺用事があって伏和中から来たんだけど。場所教えてくれない?」
 まるでやり方を間違えたナンパだ。
「あっち? そっち? それとも……」
 適当に周囲を指差し、そして振り返って。
「やっぱり双馬君か!」
「おっと、こちらでしたか水科先生!」
 およそ一年ぶりの再会に、寛司はぺこりと頭を下げた。龍夜も女子生徒に「どうもすみませんでした」と頭を下げた。
 水科は現在家庭科部の顧問をしているとかで、この日の午前中もホットケーキを焼く部員たちの監督をしていたそうだ。それが長引きようやく片付けを終えたと思ったら、伏和中ジャージの男子が学校敷地内に入ってきているという噂が飛び込んできた。もしやと思って外を見れば、案の定双馬寛司だったという訳だ。
「全く双馬君は、どこにいても本当に目立つね。良くも悪くも」
「だろ? さっすが俺」
「褒めていませんからね」
 溜め息混じりに水科が肩をすくめる。目が動き、寛司の隣に立っていた龍夜を捉えて止まる。
「君は……はじめましてだよね? 一年生?」
「違うよ先生、俺のクラスの転入生」
「え、っと、二学期から伏和中に来ました、高坂です」
「何だごめん。そうだったの」
「いえ。今日はよろしくお願いします」
「こちらこそ、綺麗に撮ってね」
 寛司が背負い鞄からビデオカメラを取り出した。風が冷たかったが、生徒玄関前で咲き揃った水仙を背景に撮影することにした。
 伏和中にいた頃、水科はソフトテニス部の顧問だった。龍夜が構えたカメラのレンズに向かって、来月卒業していくテニス部員たちに語り掛ける。多くの部員をなかなかまとめられず、就任直後は毎日のように相談に来た部長。部長をどうしたら助けられるのか悩んでいた副部長。初めての大会直前に怪我をしてしまった人も、練習を積んでもなかなか伸びない人もいた。ひとりひとり、全員と思い出がある。卒業まで一緒にいられなかったのは残念だけど、こうしてお祝いの言葉を皆に伝えられて嬉しい――水科はそう言って、笑った。
 停止ボタンを押した後は確認作業だ。小さなモニターを三人で覗き込んで、ちゃんと先生の顔が映っているか、声は聞き取りにくくないかをチェックする。撮影途中に車が通りかかったからエンジン音が気になったが、再生してみるとそこまで気にならない。水科の声はちゃんと聞き取れたから許容範囲だろう。
 短い時間だったが、三送会用のビデオ撮影はこれで終了――のはずだった。が。
 なおもビデオカメラをいじり撮った映像を見ていた寛司が人差し指を立てた。
「先生ごめん、もう一回撮りたいんだけど」
 え? 水科が首を傾げる。
 水仙が、風に揺れる。



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