12.


 進路希望調査票のせいか、本格的になってきた三年生の受験のせいか、あと二カ月もすれば中学校の最高学年になるという意識が芽生えた人間が増えた。少なくとも龍夜の目にはそう映っていた。
 その傾向は兄姉がいるような奴らに顕著である。兄姉が先に受験しているのを見ているからか、長子に比べて準備に取り掛かるのが早い。先月から進路に悩んでいる遥がいい例だ。
 彼らのように将来の自分に意識を向けられず、かといって調査票を白紙のまま提出する訳にもいかず、悩んだ末に龍夜は嵐に相談をもちかけた。
「調査票って何書けばいいのかな」
「適当に行きたい高校名書いとけばいいんじゃない?」
 嵐はさらりと返してきたが、来年の自分を想像出来ない龍夜にはやはり難しいミッションである。将来就きたい職業なんかを答えるよりはまだハードルが低いとはいえ、特に目標とする高校がないのだから答えようにない。それ以前に、龍夜は伏和にどんな高校があるのか、それすら知らなかった。今年の夏まで住んでいた深空市内にある高校なら多少は知っているが、今の龍夜にとってその情報は特別役に立つものではなかった。
 そういえばこの学校の図書室には、進路関係の図書を集めた本棚がある。受験参考書や面接のハウツー本だけではなく、伏和市内や近隣市の学校のパンフレットまで揃えているのだ。図書当番の時に本の整理をしながらパンフレットを棚へ納めたことを思い出した龍夜は、明日にでも図書室で学校調査をしようと思った。
 今日今すぐにではなく『明日にでも』というのには理由があった。就任が決まった三送会実行委員会の第一回目の集まりが、今日の放課後に予定されているのだ。
「じゃあ俺たち部活遅れるから」
「もしかしたら休むかもしれない」
「りょーかい」
「皆には伝えておくから」
 遥と嵐に遅刻或いは欠席の伝言を頼んだ龍夜と寛司は、ノートとペンケースだけ持って生徒会室へと向かった。
 生徒会室に足を踏み入れたことは一度もなかった。訊けば寛司もまだないと言う。
「へえ、意外。学校中どこにでも顔突っ込んでそうなのに」
「んな訳ねーだろ。俺だって、行ったことないとこって案外あるぜ」
「例えば?」
「生徒会室……はいいとして、あとは、バスケ部以外の部室とか、先生用トイレとか、女子更衣室とか、女子トイレとか」
 指折りながら挙げてくれたが、あるない以前に、出入りしていたらアウトな場所ばかりだ。
「あとは理科準備室って入った覚えないなあ」
「あ、俺も。ドアの前は通るけど、変なにおいするよね」
「何かの薬のにおいかな」
「薬漬けの蛙とか魚の腐ったにおいじゃない?」
「げ、気持ち悪!」
 想像だけで話していては埒が明かないし、実際はどうなのか気になってきた。二人は少し遠回りして理科準備室の前を通ることにした。しかし理科準備室の扉のガラス窓には黒いカーテンがかかっており、中を覗くことは叶わなかった。
「やっぱあそこには見ちゃいけないものがあるんだよ」
「そんなもの学校に置いとくなって話だよな」
「人体模型とか股間丸出しだしさ」
「恥ずかしいよね、ちっちゃいし」
 実のない会話をしながら階段を下りる。生徒会室があるのは校舎一階、保健室の隣だ。
 生徒会室、だなんて特別な名前がついているが、実態は空き教室のひとつである。もともとそこにあった三十近くの机の内三分の一程はロの字型に並べられ、それ以外は教室後方で物置と化していた。誰かの背負い鞄、背幅十センチメートルはあろう大きなバインダーなどが無造作に転がっている。中途半端に広げられているのは書きかけの壁新聞だろう。
 生徒会役員は全部で八人しかいないから、普段はそれでもいいかもしれない。しかし今はこれでは足りない。一学年には五クラスあり、各クラスから二人ずつ委員が選出されているのだから、透たち役員も合わせるとこの場には二十三人が集まっているのだ。
「やっぱりこれだけいると狭いな」
 肩をすくめた透が指示を出す。
 集結した三送会実行委員たちの記念すべき最初の仕事。それは、生徒会室の整理だった。
 机の上に散らばっていた荷物を隅にまとめ、空いた机を教室前方のロの字に吸収させる。一回り大きくなったロの周りになら、二十三人が並ぶことが出来る。更に二十三脚の椅子を用意して、何とか会議出来る体裁が整った。
 席に着き点呼をする間に二年A組担任の佐倉がやってきた。生徒会の顧問でもある彼は、透にプリント束を渡すと教室の隅に移動した。あくまでも佐倉は顧問であり、生徒たち中心に意見を交わして計画を立てろ、ということらしい。それも当然といった調子でプリントを配り始めた透は、クラスで仲間とふざけている時とは違って見えた。
 さて、本題はここからだ。三送会までに何をしていこうか、この場のメンバーで話し合いをするのである。
 まずは手元のプリントに目を落とした。三年生を送る会についての草案だ。会は三月五日の五時間目を利用して催される。この日は特別に掃除の時間を潰して会に充てることを許されているから、授業時間と合わせて最大七十分間用意出来る。この時間内に収まって、なおかつ三年生を感動させる為に出来ることとは。いったい何があるだろうか。
「二年生の中には覚えている人もいるだろうけど、去年は在校生の合唱と、生徒会と有志による劇をやったね」
 なんて透は言っているが、その昨年の会を主催したのが今回送る相手、三年生たちなのだ。自分たちがしたのと同じやり方で送られるのは、彼らにしても面白くないだろう。
「何か意見がある人はいますか? はっきり『これがやりたい』じゃなくても、『こんな感じがいいな』みたいな、ぼんやりした感じでもいいんですけど」
 意見を求められた委員たちは同じクラス同士、隣同士で小突き合い始める。昨年と違うことをやりたい、しかし何をやればいいか分からない。戸惑いが伝わってくる。やる気が行き先を見出せずに渦を巻いている。
 そういえば……龍夜は寛司が言ったことを思い出した。クラスで委員を決める時の、寛司の台詞――『こういうことやりたいって提案したら、それやれるってこと?』。それはつまり、寛司には何かアイディアがあるのだろうか。
「ねえ」
 しかし寛司は顔を上げず、プリントの隅に何やら小さく書き込んでいた。『部』、『一』といった漢字の他、『☆』のような記号も見える。龍夜には意味が分からなかったが、寛司はそれらひとつひとつにチェックを入れると「はいはーい」と挙手をした。
「ねえ、ビデオレターってどうかな?」
 生徒会室から雑音が消えた。視線が寛司に集まった。
「三年の今までの担任とか、部活の顧問とか、校長先生とか教頭先生とか、とにかく先生たち皆からひとことずつ何かコメントをもらうんだ」
 おお、と感嘆の声が漏れる。いいね、なんて声も聞こえる。だけど、と首を傾げる者もいる。
「去年の三月でよその学校に行っちゃった先生もいるじゃん。そういうのはどうするつもり?」
「もちろん会いに行くんだよ、一言お願いします、って!」
「でも大変じゃない?」
「そりゃ楽じゃないだろ。すっげーめんどくさいだと思う。だけど」
 寛司は生徒会室を見回した。
「ちょっとでも三年生がいいなって思ってくれたら、俺もいいなって思うぜ!」
 再びの静寂。
 そして。
「やろうよ、それ」
「いいんじゃないかな」
「やろうよ!」
 寛司への賛同が大多数となった。
 正直なところ、寛司の案に賛成するというよりは、ない意見を出す為にこれ以上の時間を費やしたくないが為の同意もあっただろう。しかし龍夜は、寛司のアイディアは本当にいいと思っていた。後輩たちしか知らない先輩たちの顔は当然あるだろう。と同時に、先生たちしか知らない先輩たちの顔もあるはずだ。そんな先輩たちを三年間毎日見続けてきた先生方からもらえるコメントは、後輩の『卒業おめでとうございます』とはまた違った、重い意味があるものに違いない。
「先生」
 透が佐倉を呼んだ。佐倉は頷いた。
「実行するにはもっとしっかりと決めていかなきゃいけないことがたくさんあるけど、面白い試みだと思う。学校にあるビデオカメラを使ってもいいし、先生の家にもあるからそれを持ってきてもいいよ」
 顧問のゴーサインが出た。生徒会室に大きな流れが生まれた。
 目的地が決定したとなれば、あとはそこに向かって準備を進めていくのみである。行き先は三月五日、目標はビデオレターの完成。一カ月の間に、出来るところまでやるのではない、最後まで全てやり切るのだ。
 寛司はといえば――龍夜は横目で寛司の表情を見た。寛司はこの決定にほっと胸を撫で下ろしていた。



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