8.


 一年から三年まで、各クラス対抗大縄跳びが午後の部最初の競技だ。フィールドに五本、平行に並べられた大縄の脇に、初めに競技を行う一年生全員が整列する。全員で、連続で跳べた回数が最も多いクラスが優勝、高得点が付与されるのだ。
 徒競走のような個人競技は一人あたりの得点が小さい。塵も積もれば山となる、なんていう言葉は確かにあるが、塵の数、今回で言う徒競走の選手は数に限りがある。いくらクラスの何人かが徒競走で一位になったからといっても、それは必ずしも大量得点には結びつかない。
 逆に大縄跳びのような団体競技は一位となると高得点をゲット出来る。最下位のクラスが一位のクラスに肉迫することも出来るし、一位のクラスは二位以下のクラスを突き放すことも出来る。それが全学年で行われるのだから、仮に三学年でE組が優勝となれば頭ひとつどころかふたつみっつ抜きん出ることになる。つまり他のどのクラスよりも総合優勝が近くなるのだ。
「……という訳で勝利の為には、俺たちは二年の中で一位になり、更に一年と三年のE組も応援する必要がある!」
 応援席後方にクラスメイトたちを集め、何やら真面目な顔で話し出した我らが体育委員様は、何と優勝する為の戦略をお話ししてくださった。素晴らしい、素晴らしいよ寛司君。称賛の拍手を送る龍夜の後ろで理花が「あの話、一昨日新崎先生がしてたのと同じよね」と星魚に耳打ちしていたのは聞かなかったことにした。
『体育祭午後の部、最初の競技は大縄跳びです。審判は、準備が出来たら本部に連絡をお願いします』
 午前同様、最初の競技が嵐のアナウンスで始まる。各クラスの審判を務める体育委員が本部に向かって両腕で大きな丸を作る。A組からE組まで準備が完了する。
『それでは競技を開始します。よーい!』
 初秋の空にピストル音が響く。
「せーの!」
 それぞれ学級委員、或いは体育委員だろうか、クラスを率いる生徒の掛け声から大縄跳びは始まった。
『この競技はご覧の通り、クラスメイト全員で一本の大縄を跳びます。クラス毎に人数が違いますがその辺はちゃんと調整しているので公正な競技です。連続で跳んだ回数を競いますので、引っかかったらまた一からやり直しとなります。いやあ緊張感が漂っていますねえ』
 相変わらずよく喋っているが、フィールドでは皆ただ跳んでいるだけなので、午前のように特別実況が盛り上がることもない。一度怒られているので特定のクラスをマイク越しに応援することもない。平和な実況解説である。
 その嵐の解説の言葉を借りれば、これは『各クラス比較的身体の大きい生徒二人が縄を回し、それ以外の全員が跳ぶ』、それだけの競技である。それだけのことなのだが、これがどうにも難しい。縄の回るスピード、回ってくるタイミング、これを掴むには練習を重ねることが必要で、より練習をしたクラスが勝つ。
 2年E組の縄担当は鈴木清晴と遥だ。背の高さは2Eでワンツー、より高い所を支点に縄を回せるので縄が動く範囲が広くなる。跳ぶ方も、身を屈めなくても頭が引っ掛かることはない。
「二人とも頑張ってくれよ、勝負はお前らに掛かってるって言ってもいいくらいなんだから」
「変なプレッシャーかけないでよ」
「まあとにかく頑張れってことだよ」
 清晴、遥の肩をぽんぽんと軽く叩いた寛司は、「じゃ、よろしくなー」と言い置くと背中を向けた。本当に自由な奴だ。遠ざかる彼を目で追いながらそう思っていた龍夜だが、寛司が次に話しかけた人物を目に留めると、「あっ」と声を漏らした。
 同じ2Eの天沢愛子だ。こちらが人見知りをする方だと、相手が積極的であるだとか同じ係を担当するだとか、そういったことがない限り話すきっかけがなかなか生じない。彼女もそのうちの一人で、龍夜はまだ彼女と話をしたことがなかった。ただ、これまでの競技の練習で見ていて分かったのだが、彼女は運動が苦手である。足は女子の中でも遅い方、そして龍夜がこんなことを言うのは大変申し訳ないが敢えて言わせてもらうと、二人三脚では彼女も周りの足を引っ張っていた方だった。
 緊張しているように見えた愛子だったが、寛司と二言三言交わすと、ぎこちないものではあったが、笑顔を見せていた。
「ああ見えて気が利くんだよ、寛ちゃんは」
 頭の後ろで腕を組んだ清晴の台詞に遥が頷く。そういえば、確かに部活の後輩も廊下ですれ違えば必ず寛司に声を掛けていくし、慕われているのがよく分かる。部長だから、という理由だけではないだろう。龍夜の知らない後輩(おそらく体育委員関係だろう)も寛司のところへ来ては親しげに雑談をしていくし、E組以外にも友人は多いし、先輩からも可愛がられているようだ。
「へえ」
 感嘆の言葉を吐き出し、今度は稚子の隣に立つ寛司を観察する。「大丈夫だから、頑張ろうぜ」と言いながら彼女の頭を撫でている。そして本日二度目のビンタを食らっている。
「本人がどこまで考えてやってるのかは分かんないけどねえ」
 カラカラと笑う遥の台詞に、清晴と龍夜は何度も首を縦に振った。
 真上で輝く太陽が、龍夜の首筋に汗を浮かび上がらせた。

 もちろん競技がE組にとって思わしい方向に進み続ける訳がなく。どのクラスも実力に大差がある訳ではない。得点は一進一退、ほぼ横並び状態、テレビのバラエティ番組でいうところの『非常に望ましい』展開である。しかし選手からすれば、これは緊張状態が続く展開である。
 棒倒しで守備を任されていた龍夜は、棒を支える三年生たちを支えるという任務に就いていた。棒に身体を向け、攻めてくる他クラスの攻撃隊に背を向け、棒をぐるりと取り囲んでスクラムを組む。棒を守る上級生の周りでは一年生が他チームの突撃を妨害する。その妨害を振り切った攻撃隊がスクラムに割って入ってきた。よりにもよって、龍夜の左脇に、だ! スクラムの崩れたところからがんがん攻められる。棒によじ登る足掛かりにされる。安全を考慮して全員裸足で競技に挑んではいるが、踏み台にされて、痛いものは痛い。
 自分より体重があるだろうガタイのいい先輩に踏まれた所為でじわじわと痛む左肩をさすりながら、龍夜は約束されたしばしの休憩時間に安堵の溜め息をついていた。
「どうした高坂、肩なんかさすって。若いのに肩凝り?」
 話しかけられたのは応援席後方のマイ・ポジション、自分の席にひとり収まっていた時。振り向けば、そこに立っていたのはC組の男子バスケ部員、飯田広隆だった。全体的に髪を短く刈っているが、額中央からまっすぐ後方にかけて、頭の中心部分だけは長めに残してあり、ワックスで重力に逆らわせている。初めて顔を合わせた時に「個性的な髪型だね」とコメントしたら、「応援してるバスケ選手の真似なんだ」と返ってきた。髪型と太い眉が印象的なチームメイトである。
「違うよ、名誉の負傷と呼んでほしいな」
「何だそりゃ」
「本当なんだって」
 ガタイのいい先輩に踏まれつつも何とか耐え、真っ先に攻められたはずのE組の棒が勝負中盤まで持ち堪え、結果三位に食い込んだのである。これが名誉の負傷でなくて何であろう。
「でもそんなに痛いんじゃ心配だな、救護テント行く? 湿布貰ったら?」
「そこまでしなくても大丈夫だと思うけど」
「バスケ出来なくなったら大変だぞ」
「大丈夫だって、本当。今は痛むけど、すぐ引くだろうから」
 ならいいけどさ、と広隆が呟く。その後も何か言いたそうにしていたが、彼のクラスメイトから呼ばれると、「俺、次の競技あるから」とそちらに向かった。
 今フィールドで行われているのは三年の学年種目、ムカデ競走リレー。スタート地点からひとつずつ衣装を運び、折り返し地点で待つ各クラス担任に渡している。リレーを最後まで繋ぐと先生の変身が完成する、という競技だ。それぞれ趣向を凝らしたものを作っていて、3Dの先生なんかはバレエの白鳥の湖のような鳥の衣装を身につけている。筋肉質の男子体育の先生ということもあって、びっくりするほど似合っていない。ムカデ競走をすることはプログラム表を見て知っていたが、仮装は競技が始まってから初めて知った。学年種目だからこの競技の意見を出したのは三年の学級委員たちである。面白いことを考えるもんだな、と龍夜は感心した。
 プログラム表を見ると、ムカデ競走リレーの次はスプーンレースになっている。各学年縦割りクラスチームで行う学年選抜種目だ。プログラムナンバーに丸がつけてある。これは龍夜自身が昨夜つけたものだ。自分の出番を忘れない為に。
「あ、出番」
 道理で周りに寛司たちがいない訳だ! 彼らもスプーンレースの出場者である。出場者はひとつ前の競技が行われている間に入場ゲートに整列している。ひとつ前の競技、つまりこのムカデ競走リレーは、先生たちの仮装状況から見て分かるように、もう終盤に差し掛かっている。
「やっちまった!」
 慌てて立ち上がる。事前に指示されている方を見る。走り出す。寛司が視界に入る。何やら叫んでいる。隣で嵐が手招きしている。ごめん、皆、本当にごめん。
 今一〇〇メートル走の記録を計ったら自己ベストを更新出来る気がする。余計なことを考える程度には余裕がある龍夜に、点呼を取っていた体育委員会顧問の注意と寛司の説教がダブルで遠慮なく浴びせかけられるのは、その数十秒後のことである。



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