7.


 龍夜にとって今日一番の不安要素だった二人三脚リレーは、一位という素晴らしい記録で幕を閉じた。とにかくよかった、ほっと胸を撫で下ろす。遥、嵐からは背中をどつかれ、寛司からは頭をぐしゃぐしゃに撫でられた。手櫛で少し髪を引っ張ってから、三人にはまったく同じように仕返しをした。
 この後、二年男子は徒競走を挟むだけで昼休みとなる。得点ボードを見ながら午後の高得点競技は何だとか少なくともあのクラスには勝ちたいとか今日の昼飯どこで食べようかとか昼休みになったらやっと“反省中”の札とおさらば出来るとかそんな意味のあるような内容な話をだらだらと続けていたが、二年だけでなく他学年の女子たちも揃って立ち上がり入場ゲートへ移動しているのに気付いて自然と会話が切れる。
『これが午前最後の競技となります。全学年女子種目、騎馬戦です』
 放送が入り、ああ、と四人で頷いた。
 女子四人一組で騎馬を作り、他クラスのはちまきを奪い合う――単純だが実に恐ろしい競技である。事実、騎馬をつくるはるか、星魚、理花も、その騎馬の上で腕を組む稚子も、教室で見る時とは表情が違う。違うように思える。睨み合う選手同士、誰も口を開かない。グラウンドのざわめきは観客である男子生徒と保護者たちによるものだ。
 本部テントの脇でピストルを構えていた体育委員が、空に向かって発砲する。
「行っけー!」
 腕をほどき前方を指差した稚子が叫んだ。
「おー!」
 それに呼応し、騎馬が前進を始めた。
 稚子たちの騎馬が合戦に突っ込んでいく様子を応援席から見ていた龍夜に、ひとつの疑問が浮かび上がった。隣に座る寛司の肩をつつき、訊いた。
「……あの騎馬、強いのか?」
「『あの』とは、あの?」
「そう、あの藤真の」
「あー……あれなぁ」
 困ったように寛司が頭を掻いた。首を右に左に傾げ、眉間に皺を寄せる。
「はっきり申し上げて、藤真の身体能力は下の上だからなぁ」
 騎馬に乗るのは比較的小柄な者が多い。その中でも稚子は更に小柄な方だ。そして美術部所属の彼女は普段から運動を継続的にしている訳でもない。取っ組み合いの喧嘩なんていうものもしたことないのではないだろうか(というのは寛司の勝手な想像だが)。以上のことを踏まえると、純粋な掴み合いではなかなか勝てないだろう。その他考慮すべきなのは騎馬の機動力。はるかを先頭に、左右に星魚、理花、こちらのメンバーは運動部に所属しており身体を動かすことに慣れている。特にはるかは女子バレー部の――。
「……あ」
 ごちゃごちゃと考察している間に、勝負は決していた。

「ったく、勇ましく突っ込んだと思ったら、あっという間にはちまき取られるとか」
「うるさいなあ! 仕方ないじゃない!」
「責めてねーよ? ただ行動と結果のギャップが面白くて」
「その発言は酷いんじゃない!?」
 こんな会話がもう五分は続いている。こんな会話をBGMに、龍夜たちは昼食の弁当を食べていた。
 中学生にもなると、小学校の運動会でよく見るような熱心にビデオ撮影をする親は減る。少なくとも、龍夜の見ていた限りでは皆無であった。子供の活躍をちょっとだけ見て帰る、という家族も少なくない。また、親よりも友達と過ごす方が楽しいと言う生徒の割合も、小学生に比べて大きい。となると、友達同士で弁当を持ち寄り食べる生徒が自然と増えるのである。彼らも例に漏れず、教室の隅で(椅子は全てグラウンドに運び出しているので床にべたりと座り込んで)互いの弁当をつつきあっている。龍夜はほとんど食べ終わっているのだが、BGM担当の寛司と稚子は逆にほとんど食事が進んでいない。
 あぐらをかき膝に頬杖をついて一部始終を眺めていたはるかだったが、呆れて「あんたたちさっさと食べなさいよ」と口を挟んだ。その言葉に稚子は頬を膨らませ、寛司から目をそらして黙々と卵焼きを口に運び始める。
 一方寛司はというと、箸を動かし始めはしたがにやにやと彼女の様子を眺めている。それが更に彼女の気に触れたのか、次の瞬間、激しいビンタが寛司を襲っていた。
 結局寛司が食事を終えたのは、女子たちが他のクラスに遊びに行くと言って席を外した後だった。
「くっそー藤真の奴、本気でひっぱたきやがって」
「あ、寛司、顔赤くなってる」
「なってねーよ」
「ほっぺに赤い手形ついてるよ」
「そっちかよ!」
 両脇に座り込んだ嵐、遥に、今度は寛司がにやにや眺められている。
「そっちってどっち?」
「問題はそこじゃねーだろ」
「じゃあどこが問題なんだい」
 寛司の正面に座り頬を腫らした彼の顔を見ながら「なるほど」と呟く龍夜。「何が!?」と上ずった声が返ってきたのを無視して、本日のプログラム表を開いた。
「午後のプログラム、何からだっけ?」
 遥からそう尋ねられ、午後の部のプログラム一覧に目を移す。飾り枠のついた『午後の部』という題字のすぐ下には、大縄跳び、と書かれている。各クラス全員で大縄を跳ぶ、各クラス対抗戦だ。それから午後の部プログラム2、棒倒しへと続く。こちらは午前の最終プログラムとして行われた騎馬戦と同様、全学年の全男子生徒による競技である。学年縦割りでチームを作り、クラス毎に一本ずつ棒を立て、チームの半分でこれを守る。残りの半分で他の棒を倒しにかかる。最後まで棒を守り切ったチームが優勝だ。全男子が参加する競技である為、時間割の都合上一度しか練習が出来なかったが、これは戦略がものをいう競技である。他のチームが守る四本の棒をどこから倒すか、これが勝利の鍵となる。他のチームと攻略対象が被れば協力して棒を倒す、逆に複数チームでE組の棒が攻められればあっという間に負け決定だ。
「大縄跳び、その次は棒倒しだ」
 練習のことを思い出しながら読み上げると、「あーあれか」と嵐が声を上げた。
「そういえばそうだったっけね」
 そう言いながら寛司に向き直った嵐は、何とも邪悪な笑みを浮かべていた。彼に出会ってから約一カ月経ったが、龍夜が記憶している限り、最もいやらしい表情を顔に貼り付けている。
「青春を謳歌している双馬寛司君!」
「な、何だよ」
 寛司のあの目、この先を想像してちょっと嫌になっている時の目である。そして不運な寛司のこと、悲しい現実ではあるが、その想像はだいたい裏切られない。当然のように寛司にとって嫌ぁな展開に。
「競技の前にお前の棒を倒してやんよ!」
「えっ何でだよ!」
「理由などない、くたばれ!」
「というか下ネタやめい!」
「よしじゃあ俺も」
「龍夜まで何を!」
「いいぞーもっとやれー」
「黙れ遥!」
 同級生の野郎二人からのしかかられ、全力で逃げ場を求める寛司。それを許さない嵐と彼に手を貸す龍夜。拳を上げてはやし立てる遥。
 そんな他愛もないじゃれ合いを制したのはこの四人の内の誰でもなく、スピーカーから漏れてきたノイズ音だった。
『あと十分で、体育祭午後の部を開催致します』
「あ」
 その放送で時計に目をやれば、確かにそろそろ昼休みが終わろうとしている。
「やっば、俺次早めに行かなきゃ」
「二人とも開会式遅刻しそうになったんだし、俺たちも行こうよ」
「その節はすみませんでした」
“反省中”をごみ箱に叩き込む遥と嵐に深々と頭を下げ、水筒片手にいそいそと教室を出ていく龍夜を見送ってから、寛司ははっとして時計を見上げた。慌てて空になった弁当箱にふたをしてロッカーに放り込む。
「くっそーお前ら俺の純潔を返せ!」
 怒鳴りながら廊下に飛び出し、ほとんど同時に隣の教室から出てきた稚子たちと鉢合わせして白い目で見られたが、それを友人たちに見られなかったということだけは、寛司にとって幸いだったかもしれない。



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