6.


 二人三脚リレーはトラックの内側で行われる。各クラス二手に分かれ、フィールド内の半円部分に待機列を作り、反対側の半円に向かってフィールドを突っ切る。そこでバトンパス、という訳だ。
 各々ペアと並び、互いの右足と左足を紐で結ぶ。龍夜たちも、龍夜の右足と星魚の左足を繋ぎ、二人で三脚になる。審判をする三年の体育委員たちがそれをチェックする。最初に走るペアから順に確認し、アンカーまで辿り着いた委員が本部に向かって大きく手を振った。委員全員の挙手を確認し、本部の放送委員も手を振り返した。
『それでは競技を開始します』
 放送が入る。座り込んでいた選手たちも全員立ち上がる。スタートはこちら側から。龍夜のすぐ目の前に第一走者たちが並ぶ。
 スタートライン脇に立っていた審判がピストルを空に向けた。
 ――パァン!
 初めの一歩が踏み出された。あっという間にその姿が小さくなっていく。自分のクラスメイトたちの練習を見ていたから知ってはいたけれど、他のクラスも同様、皆速い。一人で走っている時のようにはいかないにしろ、歩いているペアは少なくともいない。これは、何というか、非常によろしくない。
「非常によろしくないね……」
 頭に浮かんだ言葉をそのままに呟いた。それもそのはず。
『E組が第一走者からずっとトップを守っています』
 周りも速い中でこんな実況が入り、なおかつ自分たちのペアは異常に遅い(というか走れない)ときた。幸い幼い頃から足は速い方で徒競走でもだいたい一位を取り続けてきた龍夜は、走ることが不得意で運動会というイベントが雨で流れればいいのにと切望する人たちが抱く感情とはずっと無縁だった。それをまさに今、フィールド内で知ってしまうことになるとは自分でも想定外だ。
「急に大雨に……ならないかな」
「ならないでしょうね」
「ですよね」
「何言いだすの、それこそ急な話だよ」
 まったくもって星魚の言う通りで、返す言葉もなくなった龍夜はとりあえず腕を組んだ。
 人に調子を合わせるのがどうにも苦手な自分が星魚に合わせるというのは無理だろう。自分でも悲しくなる事実だが、練習で出来なかったものが本番で出来るとは思えない。そんなミラクルは起こらないだろう。とすると、上手いこと星魚の方から自分に合わせてもらう必要がある。星魚は女子の中では確かに足が速い方だ。しかし男の龍夜と比べると遅い。遅い方が速い方に合わせるのは、これもまた無理だろう。
(駄目だこりゃ)
 そう結論づけたかったが、龍夜の中の人並程度にはあるプライドと責任感がそれを許さなかった。どうにかしなければ、五〇メートル弱のこの短い距離を、二人三脚で少しでも速く走らなければ……走れないけれど。
 そんなことを考えている間にも競技は進行しており、バトンは既にフィールドを三往復していた。向こう側から走ってきた遥・はるかペアが次の走者にバトンを渡し、それぞれ龍夜、星魚とハイタッチしていく。
「どーしたの龍夜、緊張してるの?」
「まあ、人並には」
「寛司からの伝言だけど、『とにかく繋いでくれさえすれば順位は気にしなくていい』ってよ」
「へえ、頼もしいね」
 もちろん龍夜だって分かっている。順位を気にせず、練習通りに歩けば、一位からあっという間に五位に転落する。寛司は『それすら俺が挽回してやるよ、だから気にするな』と言いたいのだろう。大層な自信だ。それにちょっと、ムカッともした。
 やれば出来るところを見せつけてやろうじゃないか、この土壇場で。
 龍夜たちのふたつ前に走るペアがスタートした。バトンは向こう側で待っている龍夜たちのひとつ前に走るペアに渡り、そしてすぐにこちらに戻ってくるだろう。二位のクラスとの間は二十五メートルほど。
 龍夜は星魚と共にスタートラインに並んだ。
「ごめん、ちょっと強引にでも走るよ」
「はい?」
 練習では何となく気恥ずかしくて出来なかったが今はそんなことも言っていられない。首を傾げる星魚と肩を組む。半分抱きかかえる形で、出来るだけ自分の方に星魚の身体を引き寄せる。
「えっちょっと、どうしたの」
「内側から、行くよ」
「ちょっ、えっ」
 突き出されたバトンを龍夜がむしり取る。つないだ方の足を大きく前に出す。足から遅れた星魚の身体を、腕の力で無理矢理ついて来させる。少しでも遠くに左足を着地させ、星魚の右足が地面に着くか着かないかというところでまた内側の足を前に出す。星魚がバランスを崩す。それをまた引っ張って持ち堪えさせる。
「えええええええ」
 右側から上ずった声が聞こえ、目だけ向けると星魚が必死に足元を見つめていた。リズム悪く、自分の意思とは関係なしに動かされる左足に右足と身体を追い付かせることだけでいっぱいいっぱいになっているようである。
(うわあ本当にごめん)
 そうは思ってもこれは勝負、他のクラスの選手たちと、寛司と、そして自分との勝負なのだ。負けられない、絶対に負けたくない。
 横を見る。まだ抜かれてはいない。しかしすぐ後ろで誰かが走っているのが分かる。
 前を見る。次の走者、寛司が何かを叫んでいる。よく聞こえなかったが表情は見えた。初めは驚いたような顔をしていた。そして今は、にやりとしている。
 そして、聞こえた。
「来いよ! 龍夜!」
「寛司!」
 バトンを持つ左腕を伸ばす。寛司の手も伸びてくる。その手にバトンを叩き込んでやる。しっかりと握られる感触が伝わってきて、バトンは龍夜の手からするりと抜けた。
「よくやった」
 すれ違った時、寛司がそう呟いたのが聞こえた。その顔を見る間もなく寛司・理花ペアはスタートする。逆に龍夜・星魚ペアは上半身からラインを割り、足がついていかずにそのまま転がった。
 肘をつき、地面を滑る。すりむいて痛いと感じる。しかし一緒に転ばせてしまった星魚のことを考えて飛び起き、紐をほどいた。
「ごめん、何か、えーと……とにかくごめん。大丈夫?」
「びっくりしたよ、もう」
 身体を起こした星魚は、肩に掛かった髪を背中に流した。
「えっごめん、怪我しなかった?」
「それは平気」
「ああ、そう」
 はっとしてフィールドに目をやる。
 寛司は? 今は何位だ?
 それを視認する前に、嵐が龍夜の隣にしゃがんだ。
「ぎりぎりだったね、龍夜」
「え」
「あれだけのリードを、よくも使い切ってくれたな?」
 先に走っていた嵐たちが作ってきた二十五メートルの貯金。それを龍夜たちだけで使い果たしてしまった。
「でもまあ、練習の時のことを思い出すと、頑張ったんじゃない?」
 二位だったD組に追い付かれ、バトンパスはほぼ同時だった。単独一位を守ることは出来なかったが、順位を落としてもいない。優勝を狙うクラスの一員として、最低限の仕事は出来たのだ。
「頑張り過ぎてくれちゃって、私は大変だったんだから」
 そう言って星魚は立ち上がると、体育着を払った。頭の上にぱらぱらと落ちてくる砂を、手で仰いで何となく避ける。それでも目に入って、龍夜と嵐は何度も瞬きをする羽目になった。
「本当、大変だったんだから」
 両手を腰に当て、腰を折り、龍夜の顔を覗き込む。
「でも走れてよかった」
 彼女は、にっこりと笑っていた。
 フィールドの向こう側では、寛司たちが先頭でバトンをつないでいた。



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