22.


 冬休みに入ってからもう四日目である。午前だけまたは午後だけの半日か或いは丸一日部活に出席する以外は、自宅リビングのこたつに潜りテレビ越しに世のクリスマスの浮かれっぷりを見ているだけの龍夜であったが、クリスマスイブ当日である今日、自宅内でクリスマスを目の当たりにすることになった。
 きっかけはこの日の朝に届いた郵便だった。マンション一階にあるポストまで朝刊を取りに行った妹が、一通の封筒も一緒に持ってきたのである。朝食をとりながら天気予報を見ていた龍夜の横で、妹は彼女宛に届いたその封筒を開け始めた。
「何、手紙? 好里に?」
「うんそう。四小のおともだちから」
 どうやら手紙の差出人は、引っ越しする前まで通っていた深空第四小学校の友だちらしい。トーストをかじりながらちらりと見ると手紙は隠されてしまったが、それに同封されていた写真の方は見せてもらえた。
「今年最後の家庭科の授業でケーキ作ったんだって」
「随分と気の利いた授業だな」
「それでクラスのみんなでクリスマス会やったんだって」
「へえ、クラスで」
 写真は全部で三枚入っており、一枚目は好里の元クラスメイトたちの写真だった。先生を中心に教室黒板の前で全員が並んでいる。二枚目は皆で作ったケーキの写真で、ケーキは苺などの果物ではなくチョコレート菓子で飾られており、家庭科の調理実習というよりは図工の立体制作のように見えた。そして三枚目は女の子たちがカメラ目線でピースサインをしている写真。何人か見覚えのある顔があったから、うちにも遊びに来たことのある、好里と特に仲の良かった子たちなのだろう。
「クリスマス会か」好里がぽつりと呟いた。「いいなぁ……龍兄も今日おともだちとやるんでしょ?」
「うん」
「いいなぁ」
「何言ってんだよ、うちでもケーキくらい用意するだろ」
 昨晩母親が「ケーキどんなのがいい?」とわざわざ訊いてきたことを考えると、高坂家でも何かしら用意する予定はあるらしい。それを聞いた好里はベランダに出、洗濯物を干していた母親に何やら尋ねていた。母親からの返答は満足するものだったようで、十数秒後に戻ってきた妹は笑顔でうんうんと頷き、テレビを見、もう一度こちらを振り返った。
「龍兄、部活は?」
「あ、もう行かなきゃ」
 部活顧問の柳井も妻子持ちなのだからクリスマスである今日くらい家にいたって構わないだろうに、なぜか今日も午前中は部活で潰される。冬休みに入っても毎日登校してきているのだからたまには家族サービスしてやれよと思うのだが、そんなことを直接本人に言う勇気などない。
 トーストを口に押し込んで自室に戻り、学校指定ジャージに着替える。タオルくらいしか入っていないすかすかの背負い鞄を掴んでリビングに戻る。意味があるのかないのか分からない程度に歯を磨き、母親に注意をされたので使った皿とマグカップを流しに運び、スニーカーを引っ掛けた。



   ◆



「……っていうことがあって」
 木倉家へ向かう途中に双馬家へ寄った龍夜は、相変わらず真っ赤なダウンジャンパーに身を包んだ寛司に、今朝の一件について話していて。
「何だよ、それなら妹さんも連れてきてやればよかったじゃん」
 彼のこの返答に面食らった。単なる世間話のつもりで持ち出した話題である。この話はここで終わり。そこから発展することは望んでいなかったし、発展するとも思っていなかった。
「え、それとこれとは話が別だろ」
 いやいや、と顔の前で手を振るが、寛司は「何で」と話を続けようとする。
「お互い気遣うじゃん」
「そうか?」
「そうだろ」
 仮に連れてきたとして、少なくとも龍夜は妙に落ち着かない立場になることが何となく想像出来た。
 いずれにせよ、先週から録り溜めていた映画だの少女漫画のアニメだのを朝から暇そうに見ていたし、予定がないことに不満がある訳ではなさそうだ――というのが兄から見た『今日の妹』。身内の贔屓目も十分にあるが、好里は聞き分けのいい出来た妹なのだ。
「まあ、大丈夫でしょう」
 自分で話のネタを提供したくせに特にオチもつけずにふわりと締めると、「そんなもんなのかね」と寛司が首をひねった。
「俺一人っ子だからそういうのよく分かんないけど」
「あれ、兄弟いないんだっけ?」
「いねーよ?」
「そうなの? 何か意外だなあ」
 随分勝手なことではあるが、寛司には姉か妹がいると思い込んでいた。思い込みに理由などない。ただ、星魚という幼馴染がいるのだから、彼女が寛司にとって姉のような妹のような存在であるのかもしれない。龍夜は手に持っていた紙袋の手提げ紐を肩にかけ直した。
 普段と同様朝早くに登校して部活の練習メニューをこなした龍夜たちは、一度解散し、また二時間後に木倉家で再会する約束になっていた。その木倉家は、高坂家や双馬家から見て、学校を挟んで反対側に位置している。本日二度目の通学路を通って学校前まで行き、そのまま通り過ぎてその向こう側にある商店街を目指す。
 商店街のアーケードが姿を現す。アーケードを見上げると、その手前にある黒い屋根も一緒に視界に入る。黒い屋根の一軒家の壁は渋い緑色、これが遥の家だ。
 緑色の壁を横目に細い路地を回り込んで家と家の間を通り抜け、木倉家の玄関前に出る。閉じたドアの向こうから、誰かが話しているのが聞こえる。コートの袖から覗く腕時計の文字盤を見ると、約束していた集合時間よりは少し早いくらいだ。龍夜たちの他にも早く来た人がいるのだろうか。
「誰だろ?」
「さあ?」
 呼び鈴を押そうとしてボタンに手を伸ばす前に玄関の扉が開いた。出てきたのは遥とよく似ていて、しかし少し年上に見える、髪の長い女の人。もともと背が高い人なのだろうが、踵の高いブーツを履いているせいで余計に背が高く見える。「あっ遥のねーちゃん、こんちは」と寛司が頭を下げているから、この人が噂の木倉姉なのだろう。
「こんにちは、双馬君……と、噂の転入生君?」
 どうやら、噂になっていたのはこちらも同じらしい。『噂の』と言われてむず痒い気持ちになり、龍夜はごまかすように頭を下げた。
「高坂です」
「高坂君ね。私もう出掛けちゃうけど、うちの弟のことよろしくね」
「いえ、こちらこそ」
 互いの挨拶もそこそこに、木倉姉は「遅れちゃう」などと言いながらばたばたと出掛けて行った。角を曲がりその姿が見えなくなるまで見送り、玄関に視線を戻すと、数時間ぶりに顔を合わせた遥が「やっと出てったか」と呆れ顔で立っていた。
「よお遥、メリークリスマス」
「メリークリスマス。早く上がれよ」
「おじゃましまーす」
 龍夜も寛司の後に続いて玄関を上がり、脱ぎ散らかされていた寛司のスニーカーを脇に寄せ、その横に自分の靴を並べた。玄関には遥のものよりも明らかに小さな靴が一足揃えられている。木倉姉のものだろうかと一瞬考えたが、先にリビングに向かった寛司の「もう来てたのかよ、早いな」という声が聞こえたから、これは自分たちよりも先に来た女子のものだと分かる。
 誰だろうと思いつつリビングに入ると、そこにはこたつで暖を取るはるかの姿があった。
「よっ、メリークリスマス」
 片手を上げるはるかは随分くつろいでいるように見える。彼女の手元にある湯呑と、それからみかんの皮がその根拠だ。
「みかんなんか食って、椎木いつ来たの」
 軽い気持ちで聞いたつもりが、返ってきた答えは「一時間くらい前かなあ」と想像以上で、龍夜は思わず寛司と顔を見合わせた。コートやジャンパー、紙袋などの手荷物を壁際に放り出すと、二人並んではるかの正面に座った。
「一時間前て、早過ぎじゃね?」
「仕方ないだろ、遥から早く来いって呼ばれたんだから」
「『呼ばれた』だぁ?」
 何だそれは、どういうことだこれは。台所からオレンジジュースとコップを運んできた遥を見上げると、「いろいろ事情があるんだよ」と弁解の態度を示す。はるかがグラスにジュースを注いで勧めると、遥はその半分を一気に煽り、溜め息をついた。
「もうすぐ待ち合わせの時間だっていうのに姉ちゃんがちっとも出ていかなくて」
 そういえば、木倉姉は今日は彼氏とデートなのだと聞いている。
「何で。遅れちゃうじゃん」
「何でも何も、服が決まらないって言うんだ。俺は何でもいいだろって言ったんだけど、『オトメゴコロが分からないなんて最低な弟だ』とか何とか言いやがって」
 遥の話を聞きながら龍夜も何だっていいじゃないかと思っていたが、それを口にしてしまうと『最低』に分類されてしまうらしい。以後気をつけたい。
「それだから、はるかにちょっと早く来てもらって、姉ちゃんの全身コーディネートを手伝ってもらったって訳さ」
 そうして女二人、先輩後輩で、一時間もファッションショーをしていたのだと言う。彼女たちはどうしようどうしようと悩んでいるその時間も楽しいのだろうが、待たされる木倉姉の彼氏の身になってみると、何とも気の毒に思えて仕方ない。早くから呼び出されたはるかにねぎらいの言葉を掛けつつも、龍夜は名も知らぬ男性に、心の底からお疲れ様ですと声に出さずに呟いた。
 服なんて何でもいいのだから待ち合わせ時間は守れよという遥と、デートというビッグイベントなのだから細かいお洒落にまで気を遣いたいのだと主張するはるかのディベートを、遥寄りの立場で傍聴している間に嵐が到着した。嵐の用意したチキンの匂いが胃を刺激し、遥たちのディベートも自然消滅する。人数分の皿を出してチキンを取り分けていると手作りケーキを持参した稚子、星魚もやってきた。
「おじゃましまーす」
「ちょっと遅れちゃったかな?」
 頭を下げながらリビングに入ってきた稚子と星魚は、両手で紙箱を抱えていた。中身は聞かずとも分かる、彼女たち手製の(そしておそらく、ちょっと危険な)ケーキである。
「そんなことないよ、ちょうど時間くらい」
 壁に掛けられた時計を見上げたはるかが、そう言いながら着席を促す。二人はこたつにおさまると、天板の真ん中に箱を置いた。
「二人で朝から頑張ったんだから」
 星魚が箱を開け、その他五人が覗き込む。手作りケーキは、『頑張った』という彼女たちの自己評価と違わず、それは見事なものだった。
 箱の中に並ぶのは扇形の真っ白なショートケーキが七つ。スポンジケーキに凹凸なく生クリームが塗られ、花のような飾り切りが施された苺が乗っている。更にはホイップクリームのデコレーションまでなされているが決して過剰ではなく、そのシンプルさがケーキ屋で販売されているショートケーキを連想させた。
 皆が感心する中、寛司だけはケーキを見つめながら、眉間に皺を寄せていた。
「ねえこれ中身全部一緒だよな?」
「どういうこと?」
「まともじゃないものがまざってないか、ってこと」
 昨年はカップケーキだったと、以前寛司が言っていた。カップケーキならひとつひとつ別々に作るのだから、その中のひとつだけに“ケーキらしくない何か”(前回はわさび)を仕込むのは難しくないだろう。しかしこれは丸いホールケーキを切り分けたものである。例えばスポンジケーキの間に“何か”を仕込んだとして、デコレーションした後に仕込んだ部分のみを正確に切り分けるのは難易度が高いに違いない。それが出来ないとなれば考えられることは二つ。全て安全で美味しいケーキであるか、或いは、“何か”がケーキ上部のデコレーションの中にまざっているか。前者は間違いなくありえないと決めつけている寛司は、ならば見た目で異物を排除出来るのではないだろうか、と考えているのだ。
「寛ちゃん、そういうつまんないことだけは頭回るんだね」
 星魚は呆れたようにそう言うと、寛司からケーキの箱を奪い取った。ケーキは後、先に食べるのはチキン。元通りに閉じられた箱は、冷蔵庫へと入れられてしまった。
「ちょ……! それひどくないか?」
「事実じゃん」
「事実だけど!」
「じゃあいいじゃない」
「いい訳あるか!」
 気付けば話題は“何か”から“寛司の頭の回転について”にすり替えられている。気の毒だがこの勝負、軍配は星魚に上がったと見ていいだろう。ふてくされる寛司の前に、龍夜はオレンジジュースをなみなみと注いだグラスを差し出した。
「気にするな、飲んで忘れろ」
「おっ、サンキュー」
「でも飲む前に皆に一言、何か挨拶」
「え、俺? 何で?」
 寛司はきょとんとしているが、嵐は「当たり前だろ」と龍夜に同意し、遥も頷いている。
「この会、言い出しっぺは寛司じゃないか」という遥の言葉に納得したのか、寛司はグラスを置いて起立し、壁際に寄せた鞄に手を入れた。
「じゃあ、これ一人一個ずつ」
 寛司の鞄から出てきたのは赤と緑のクラッカー。雪の結晶やヒイラギが金と銀で描かれている。先日龍夜と二人で出掛けた時に買ったものだった。
「俺が『メリークリスマス』って言うから、そしたら全員でパーン! な」
 クラッカーを手にした人から順に立ち上がった。全員が立ち、全員の手元にクラッカーが行き渡ったことを確認する。寛司がわざとらしく咳払いする。
「えー、それでは皆さん、本日はお集まりいただきありがとうございました」
「寛司のくせにまともな挨拶しやがった!」
「黙れよ遥!」
 話に水をさされつつ、クラッカーの紐を握る。
「ま、とにかく楽しくやろうぜ! メリークリスマス!」
「メリークリスマス!」
 破裂音が部屋中に響き渡った。宙に舞った紙吹雪は雪の結晶の形をしていた。
 こうして、クリスマスパーティーの幕が上がった。



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