21.


 クリスマス会当日四日前、各自クリスマス会の準備を進める中、伏和中学校では第二学期終業式が行われた。今日さえ耐えれば冬休み、毎日が日曜日である。皆が浮足立つのも当然。しかし今日この日に耐えなければならない試練は、(人によっては)非常に苛酷なものだった。
 朝から体育館に集められて校長の長話の間ずっと冷たい床に座り続け、肉体的に十分つらい思いをしたかと思えば、教室に戻るとクラスメイト全員分の通知表を抱えた担任が現れ、今度は精神的なダメージを負わされた。その上、通知表をちらつかせつつも『冬休みの諸注意』だとか『冬休みの課題一覧』だとかのお知らせのプリントを先に配るのだから、終始落ち着かずそわそわしていた生徒も少なくはなかっただろう。
 課題一覧を見ながら周りの席の皐月や大輝と「宿題多過ぎるよ」「数学なんかこの半分でも多過ぎるよ」と小声で文句を言い合っていたその時、ようやく新崎が通知表を配り始めた。
「もったいぶったよねえ、ぱっと配っちゃえばいいのにさ」
 大輝のぼやきに龍夜も頷くと、皐月は「はあ?」と顔をしかめた。
「あんなの返してこなくてもいいんだよ、見たくもない」
「って言っても返ってくるものは返ってくるんだし、しょうがないじゃん」
「でもいらないもん、いらなーい」
 首を横に振りながら皐月は椅子の背もたれに体重を預けて両腕をだらりと垂らしたが、通知表は出席番号順で配られている。出席番号三番の皐月はすぐに呼ばれ、気だるそうに顔を上げた。可能な限りゆっくり立ち上がる彼女を、新崎が「伊篠さん」と急かす。教卓前まで行き新崎からひったくるように通知表を受け取った皐月は、それを開くことなく背負い鞄に突っ込んだ。
「あれ、見ないの?」
「見たくもないって言ってんじゃん」
 皐月の声に分かりやすいとげを感じて口をつぐむ。それ以上は何も言わずに、教卓に視線を移した。ちょうど遥が呼ばれて通知表を受け取り、寛司につかまり、「成績見せろ」「見せない」攻防を繰り広げているところだった。その攻防は新崎の注意であっさりと終結し、すぐに次の生徒の名前が呼ばれる。芝原、白石、鈴木、と続き、「双馬君」と呼ばれると、寛司もいささか緊張しているように見えた。
 寛司は二つ折りにされた通知表を受け取ると、ごく薄く開き、それ以上開くことなくぱたんと閉じるとそのまま机に滑り込ませた。一瞥されただけで机の中へ、何も悪いことなどしていないのに何と気の毒な通知表だろう。
 出席番号三十四番、最後の龍夜が受け取る頃には、ほぼ全員が成績を確認し一喜一憂し終えていた。覗き込もうとする寛司をかわして通知表を開けば、一学期、前の学校でつけられたものとさほど変わらない評定が並んでいた。講評には『基礎はできていますが応用力が足りません』と書かれている。要するに、発想力、想像力が足りないと言われているのである。
(そんなの知ってるよ……)
 私生活でもよく言われるのだ、知らない訳がない。しかし性格が学業に影響を及ぼすのはどうにも納得がいかない。
 これを見た母親は何と言ってくるだろう。どうせろくなことは言わないに違いない。机の中に入っていたプリントや置きっぱなしにして忘れていた教科書類を通知表とともに背負い鞄へ詰め込み、成績のことなど一時的に忘れ、明日から始まる冬休みに心躍らせながら、新崎からの言葉に耳を傾けた。
「皆さんも知っている通り、明日から冬休みです。さっき配った諸注意のプリントにもありますが……」
 新崎がプリントの上から順番に読み上げ始める。家を出る時には保護者に行き先と帰宅時間を告げること。中学生同士でのカラオケボックスの利用は十八時まで、保護者同伴でも二十一時まで。ゲームセンターも同様。宿題は必ず冬休み中に片付けること。云々。小学生じゃないんだから……と思いつつも、宿題の量は想像以上だ。計画的に進めないと、たかだか二週間程度しかない冬休みの間に終わらせることは難しいような気がした。
 今学期最後の新崎の話が終わり、全員起立して今学期最後の帰りの挨拶をする。
「さようならー」
 今日は部活もなく、昼前には下校時間となる。起立して頭を下げると、黒いコートを羽織った龍夜は教科書類と通知表でずっしりとした鞄を背負った。そして、そそくさと帰ろうとする寛司の鞄を掴んで引き止める。
「待て待て待て待て」
「うわっ何すんだよ」
「寛司さんお忘れ物はありませんか?」
「確かにロッカーぱんっぱんだけどあれほとんど俺のじゃないから」
「いやーそれじゃなくて」
 顔の前で手を振る龍夜の横からタイミングよく現れた嵐が「これでしょ?」と差し出したのは通知表だった。表紙にはしっかり『二年E組 十八番 双馬寛司』と書かれている。
「えっ嵐何で」
 寛司は『訳が分からない』とでも言いたそうに目を見開いて、嵐と通知表を交互に見た。
「お前何でそれ持って、えっ?」
「机の中に入れっぱなしだったけど?」
「違う、わざと入れっぱなしにしてあるんだ、俺は通知表なんて知らなかった!」
「なかったことにしたいくらい成績悪かったの?」
「聞くなよ!」
「せっかくテスト勉強付き合ってあげたのになんて奴だ」
 ぶちぶちと文句を言い、嵐が通知表を開こうとする。しかしそれは叶わず、寛司は嵐の手から通知表を奪い取って背負い鞄に突っ込んだ。
「全く! ぷらばいしーってやつを知らないのか嵐は!」
「ええと……プライバシー?」
「そう、それ!」
 ……おあとがよろしいようで。
 オチがついたところで、遥が「まあまあ、そうカリカリするなって」と、やんわり割り込んだ。右手で嵐の、左手で寛司の背中を押し、とりあえず教室から出す。龍夜もその後に続く。廊下の空気は冷たい。龍夜はコートのボタンを全て留めた。
 おそらく寛司は親に通知表を見せたくないが為に『学校に忘れてきた』ことにしたかったのだろう。しかしそんな言い訳が通用するはずがなく、仮に嵐からの指摘がなくこの計画が実行されていた場合、親からも担任からも叱られる羽目になるのは明らかである。困った奴だ……が、親から何やら文句を言われる時の気分の悪さは龍夜にも分かる。その点には少しだけ共感した。
 しかし、遥から「お前の成績なんてだいたい想像がつくんだから、今更見られたからって怒ることないだろ」と諭されて、寛司はなぜ納得してしまったのか、そこは龍夜には全く理解出来なかった。
 だらだらとつまらないことを話しながらのろのろと中央階段を下りる。下りた先、生徒玄関では、稚子、星魚、はるかが談笑しながら靴を履いていた。彼女たちは確か、帰りの挨拶のあとすぐに教室を出ていったはず。まだ玄関にいるなんて……同じことを疑問に思ったのか、寛司が口を開く。
「あれ、お前らまだいたの? もう帰ったと思ってた」
 そう言えば星魚から「馬鹿だねーバカンジ」と返された。
「バカンジって言うなよ!」
「何よークリスマスのことちゃんと確認しておいた方がいいと思って待っててあげたのにー」
「えらそうだなー、お前家隣なんだから何かあったらうちまで訊きにくればいいじゃん」
「私はそれでいいけど、稚子やはるかはどうすんの」
「あっ、そうか」
 イベントを目前にして最終チェックが必要だという星魚の意見はもっともである。各自用意するものとそれを用意したか、あるいはこれからするのか、首尾よく準備は進んでいるか、全ての担当について確認する。飲み物、チキン、ケーキ、小道具の順で準備の途中経過について聞き、最後に会場担当である遥に話を振ると、「あ、そうだ」と稚子と星魚を交互に見た。
「二人、うちの場所知ってる?」
「あれでしょ、商店街の北側にある」
「緑の壁の家でしょ?」
「そうそれ」
 彼女たちが会場の所在地を知っているのなら問題はない。その他飲み物と小道具は準備済み、チキンは当日購入、ケーキも前日に焼く予定だと言う。これだけ確認しておけば、今この場で考え付く限り、不安点はない。
「いいじゃんいいじゃん、準備バッチリってやつ?」
 会の発案者である寛司も満足気だ。が、やはり心配事は尽きないようで、「くれぐれもケーキは安全で健全なものを作るように」としつこく稚子に懇願している。その稚子の袖を引っ張ったのは星魚、校門に向かって駆け出す二人をはるかも追いかける。
「じゃ、私たちこれから材料買いに行くから!」
「楽しみにしててねー」
 手を振る女子三人に手を上げて応え、龍夜は首を傾げた。一瞬星魚と目が合ったような気がしたが、そしてすぐ視線を逸らされたような気がしたが、あれは気のせいだったのだろうか。



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