14.
ノートの切れ端が入ったビニル袋を持った葵が机と机の間を通り抜けていく。健矢が黒板に六×六のマス目を作り、マスの中に数字を書き込んでいく。ビニル袋が擦れる音、チョークが黒板を叩く音が響く。
葵が龍夜のすぐ横まで来た。差し出された袋から切れ端を一枚取り出す。龍夜の次に寛司が切れ端を引く。四つ折りにされたその切れ端をお互い見えるように持ち、せーの、で同時に開いた。
切れ端には黒のボールペンで数字が書かれていた。角のない丸みを帯びた数字は、おそらく葵が書いたものだろう。
「俺27。寛司は?」
「61」
「そんな数字があるか、逆さまだろそれ」
「あっ19か」
顔を上げ、黒板から手元の数字と同じものを探す。右から二番目、上から三番目のマスに27を見つけ、寛司はどうだろうと隣に目をやると、意気消沈と言わんばかりに机に突っ伏していた。改めて黒板に目を向け、なるほど仕方がないと納得する。19は右から三番目、一番上のマス。教室内の机の配置に置き換えると廊下側から三列目の一番前、つまり教卓前の席。全三十四席ある2E教室内にたった二席しかない教卓前を、寛司は見事に引き当てたのだった。
後期の各委員会、係が全て決定したあの後、生徒側から「せっかくだから席替えもしちゃおうよ!」という意見が出た。前期の七月からずっとこの座席の並びだったようで、新崎も席替えにゴーサインを出した。新しい席の決め方は新しく決まった学級委員に委ねられ、その日はとりあえず解散、そして放課後となった。
再び席替えの話題が持ち上がったのは二日後の今朝のこと、葵から「席替え用のくじを作りました、今日の放課後に席替えをします」と告げられた。そうして彼女の言葉通り、まさに今、終礼の直前にクラス総出のくじ引きが行われているのである。
全員にくじが行き渡り、全員が自分の新しい席を確認した。早くも「やったあ」という喜びの声を上げる者や、寛司のように「うわあ」という悲しみの声が漏らす者が出ている。割と真ん中あたりという中途半端な席を引き当ててしまった龍夜はリアクションをとることも出来ず、何とも言えない気持ちで引出しに教科書やノートがぎっちりと詰まった机を移動させた。
新しい席で隣になったのは伊篠皐月だった。制服のスカートが規定より短く、髪を茶色に染めている、派手な外見の女子生徒だ。制服も髪ももちろん校則違反でよく学年主任の坂内に怒られているが、改善される様子はない。彼女は女子バスケットボール部に所属しており、部活で顔を合わせる機会も多い為に話をしたことくらいはあるが、そうでもなければあまり龍夜とは縁のないタイプだった。
「よろしく」
声を掛けると、「こっちこそ!」と白い歯を覗かせていた。
机を縦横まっすぐに並べ席に着くと、教壇に立った新崎からいくつか連絡事項が告げられた。明日の時間割変更のことやそれに関連した持ち物についての注意、保健室から配布された保健だよりに関することなどだいたいを話半分に聞いていたが、最後の連絡には意識を集中させる。今の龍夜にとって最も重要で大切な連絡、この後に行われる委員会活動の場所についての話であった。
「後期第一回目の委員会です。委員の人は皆遅刻しないように」
前期図書委員だった留衣から前もって渡されていた、表紙に『2E図書委員会』と書かれたファイルと筆記用具を手元に用意し、星魚に声を掛けた。彼女が手にしていたのは小さなメモ帳と筆記用具のみ。それなら、と龍夜は背負いかけていた鞄を机の上に置き直し、活動場所である図書室へ向かった。
この学校内で最も広い部屋は東校舎三階にある図書室だと、龍夜は思っている。壁一面にみっちりと本棚が並び、それ以外にも背の低い棚が複数置かれている上、六人掛けの机が八つ並んでなお歩き回るのに不自由ない程度の通路が確保されているのだから。更に、部屋の奥には図書の貸出を行うカウンターがある。そこに置かれた大きなパソコンの前には三年生が座っており、後ろから画面を覗き込んでいる私服の女性があれこれと説明していた。
龍夜たちよりも先に来ていたほとんどの生徒はカウンターから遠い席に座っているが、二人だけ、カウンターの目の前に座っている女子がいる。一番前に座りたがるなんて物好きだなあと龍夜が思っている間に星魚は他クラスの友人を見つけたらしく、さっさと椅子に座って話し始めている。もう一度カウンターを見、星魚の隣にもうひとつ空席があることを確認し、そこに腰を下ろした。
ある程度生徒が集まったことを確認し、カウンターにいた三年生が立ち上がった。
「出席をとります。クラスを呼ぶのでいたら挙手してください」
一年A組から順に呼ばれ各々挙手をする。二年B組だけ呼ばれた時にはまだいなかったが、三年D組が挙手をした時に駆け込んできた。
全クラスの出席を確認し、カウンターに立つ三年生は「それでは第一回図書委員会役員会議を始めます」と、図書室内をぐるりと見回した。
「後期図書委員長を務めることになりました、三年D組の灰島瞳子です。よろしくお願いします」
それから、と図書室後方に立っていたジャージ姿の男性教師を右手で示す。教師は「図書委員顧問の植野です」と会釈した。見覚えはあるのだがどうもぴんとこない。星魚の肩をつつくとぐっと抑えた声で「三年の学年主任、国語の先生だよ」と返され、ようやく職員室の窓際でいつも難しい顔をしている先生だと思い出した。
先ほどパソコン画面を覗きながら瞳子に何やら説明をしていた私服の女性は大村といい、この図書室の司書だった。伏和中のPTA役員で、週に二回、図書室の本の整理や貸出などの補助をしてくれているのだと自己紹介していた。
委員長、顧問、司書の紹介を終え、会議の本題に移る。今日の会議の内容は大きく分けて三つ。一つ目は図書副委員長と書記の選出、二つ目は図書委員会の活動方針の決定、そして三つ目は委員全員が図書貸出用のパソコンの使い方を覚えることだと瞳子は言った。
「まずは副委員長と書記の選出です。立候補する人はいますか?」
誰も立候補せず、図書室内が静まり返る。すぐ窓の外にあるテニスコートから、ラケットがボールを叩く音が聞こえてくる。ああまたこの空気か、学級委員決めた時と同じだ、龍夜は思った。委員会が終わらなければ部活には行けない、俺は無事部活動に参加出来るのだろうか、ぼんやり考えていると。
「はい」
挙手が、あった。カウンター前に座っている、あの二人の女子生徒だ。他に立候補はなく、あっさりと副委員長が三年A組の森下友紀、書記が三年C組の佐藤琴音に決定した。さすが三年生だと感心していたが、どうやら事前に瞳子から頼まれていたらしく、彼女たちの就任は初めから決まっていたことなのだと龍夜は後から聞いた。
委員会の中心人物が決まればあとは全体の活動内容についてである。後期図書委員会の大きな目標は、前期から引き続き、図書室の利用率を向上させることだ。昨年度から図書の貸出率が大きく低下しており、本を読まない生徒が増えているとPTAでも問題視されているらしい。解決策として、朝の登校時間から授業開始時間までの二十分間は読書の時間と決められており全員何かしらの本を読むように毎日指導されているが、実際は宿題をしたり遊んでいたりと有効に利用されていない。どんな本を読んだらいいのか分からないと言う生徒も少なからず存在する。そのような生徒に薦める本を探したり、朝の読書の時間の指導を徹底したりするのも図書委員の仕事なのだそうだ。
「俺、本詳しくないけど大丈夫かな」
「その為に図書通信を作ってるんじゃないの、先生お勧めの本が毎月紹介されてるし」
「あっそうか」
星魚の手元を見ると、メモ帳に今日の日付と委員長たちの名前、委員会の活動内容が端的にまとめられていた。一方、自分の手元にある委員会用のファイルは配られた資料が綴じられただけで、それ以外は特に手が付けられていない。次回からは星魚にファイルを預けておこう。一人頷いた龍夜を見て、星魚は首を傾げていた。
もちろん読書指導や図書通信の発行だけでなく、図書の貸出手続きを行うのも図書委員の仕事である。龍夜が夏休み前まで通っていた中学校は貸出カードに記入して借りるというアナログ管理だったが、伏和中は今年の四月から全図書にバーコードが貼られた。大きな市立図書館同様バーコードを読み取り、パソコンでデジタル管理をするようになったのだ。
実際どのように管理しているのか、瞳子と大村からパソコンの使い方を習って、この日の活動は終わりとなった。思っていたよりもずっと早く終わったことに、龍夜は小さくガッツポーズした。
委員全員で顧問と司書に礼をしてからいそいそと図書室を後にすると、星魚が小走りでついてきた。
「あれ、友だちと話してたんじゃないの?」
交代でパソコンの取り扱い方の説明を受けている間、星魚は他クラスの友人と並んでくすくす笑っていた覚えがある。委員会も終わり、その続きの話でもしているのだろうと思い込んでいたが、どうやら違うらしい。
「この後部活があるのは高坂君だけじゃないんだよ」
「そりゃそうだけど」
「それより、来週の図書室当番忘れないようにしなきゃね」
「あ、はい」
来週の金曜日、早速2E図書委員は図書の貸出当番を割り当てられていた。昼休みと放課後、図書室で貸し出す本のバーコードを読み取ったり返却された本を棚に戻したり本棚を整頓する仕事が待っている。昼休みはともかく放課後はうっかり忘れて部活に行ってしまいそうだと今から既に心配していた。
教室に戻ると、龍夜たち同様委員会を終えた遥が荷物をまとめていた。
「委員会お疲れ様〜」
「おう、白石も」
「木倉君は保健委員だっけ?」
「そうそう」
席替えの結果遥と隣同士になった星魚は、会話しながらメモ帳と筆記用具、机の中から出したノート類を背負い鞄に入れていく。ちょうど青い表紙の英語の書き取りノートが目に入り、英単語の練習が明日までの宿題になっていたことを思い出し、龍夜も慌てて鞄にノートを突っ込んだ。
必要なものを全て鞄に詰め、テニスラケットケースの紐を肩に掛けた星魚が「じゃ、お先にー」と教室を出て行こうとした。
「白石」
呼び止める。振り向く。彼女の長い髪が背中で弾む。
「俺あんまり自信ないから、委員会の当番の時声掛けてくれない?」
そう言うと、星魚は笑顔で頷いていた。