13.


 生徒会役員選挙の翌日。朝学校に着くと昇降口のすぐ脇にある掲示板に赤字で『!後期生徒会役員決定!』と書かれた紙が、他の掲示ポスターの上から貼られていた。多くの生徒が横目で流していく中、龍夜はわざわざ足を止めてその速報を見た。
 案の定五つの役職は三年生が占めており、それでは役員に立候補していた二年生は? と目を動かすと、庶務――つまり生徒会雑用係の中に透の名前があった。透の他にも落選した二年生、それから三年生もいたはずだが、ここに名前がない生徒については、きっと庶務を頼まれても断ったのだろうと想像出来た。
 伏和中では、学級委員会をはじめとする学内で具体的に機能する委員会を、総称して専門委員会と呼んでいた。専門委員長は生徒会選挙で落選した三年生が務めるか、或いは教員や生徒会役員から推薦で決められる。大多数の一、二年生からは見えないところで各委員会の中心人物が決定していき、それも先日発表された。
 そして生徒会役員選挙から一週間経った今日の五時間目、学活。クラス毎に専門委員会の役員を決定する。
 授業開始のチャイムが鳴ると同時に、教卓の前に透が立った。学級会の司会は学級委員が務めるものだが、前期学級委員は既に任期を終えている。後期学級委員はこれから決める。それまでのつなぎを透が買って出たらしい。生徒会庶務である彼が重複して専門委員会に入ることは出来ない為、進行役としてはちょうどいいのだろう。
「じゃあ皆、席に着いて」
 透の声が響いてもなお、廊下からクラスメイトの声が聞こえてくる。一番廊下側、教室後方のドア脇の席に座っている江之崎葵が「授業始まってるよ」と声を掛けに行ったが効果がない。透も廊下に出ていったが、開いたドアからは生徒たちの声を打ち消す聞き慣れた怒鳴り声が飛び込んできた。男子バスケットボール部顧問であり、2年D組の担任でもある柳井の声だった。
 新崎が廊下で騒いでいたクラスメイトたちを教室に引っ張ってくる間に、透は今日の議題を黒板に書き出していた。縦書きに右から、学級委員、体育委員、放送委員と並んでいく。どうしたものかと考えていると、隣の席から寛司が突っついてきた。
「龍夜、お前学級委員立候補しろよ」
 声を潜めてどうしようもなくしょうもないことを提案してくる寛司に、「何でよ嫌だよ」とひそひそ声で返す。
「人見知りなんだろ? 人前に立つ経験積んだ方が今後の為だって」
「なら寛司がやりなよ」
「俺人見知りじゃないもん」
「……そうね」
 現段階でクラスメイトや部活の仲間を覚えるのがやっとの状態なのに、他クラスの生徒の顔と名前も全部一致しないのに、学年全体のまとめ役である学級委員は龍夜にとってさすがに荷が重過ぎる。
 ガタガタと椅子を引く音が鳴り止んだ。教室を見回し、全員が着席したことを確認した透は、「それじゃあ、改めて」と声を張り上げた。
「これから後期専門委員を決めていこうと思います」
 この学校の基本的なルールとして、一年の内に一度は全員が何かしらの専門委員を努めなければならない、というものがある。つまり後期専門委員は、前期に専門委員会に入らなかった者から優先的に決定していく。どうしようかと相変わらず頭を悩ませている龍夜の隣では、寛司が他人事のようににやにやしていた。実際他人事なのだろうからこちらからは文句も言えないのだが。
「まずはクラスの代表、学級委員から。立候補する人はいませんか?」
 おそらくこの教室内のほぼ全員が、透でさえ、この沈黙を予想していただろう。案の定立候補はおらず、本のページをめくるような音だけが響く。首を回すと、我関せずといった感じで本を読んでいた井藤遼二が、新崎から本を取り上げられていた。
 この調子では、五十分めいっぱい使ったとしても立候補など現れず、何も決まらないまま学級会が終わってしまう。透は足早に次の手に移った。
「立候補じゃなくて、推薦はない? この人に学級委員やってほしいっていう」
 ようやく沈黙が消え去り、近くの席同士で誰を推薦しようか話し合いが始まった。一年の時は誰が学級委員をやっていた、小学校の時児童会やってたのって誰だっけ、そんな囁き声が龍夜の耳に入ってくる。しかし挙げられる名前は理花や透など、前期学級委員や現生徒会役員ばかり。リーダーというのは昔からだいたい同じメンバーで構成されているものらしい。
 そのざわめきの中でも一際大きいのが、教室の真ん中あたりで固まっている男子生徒集団だった。お前やれよ、いやお前が、じゃあ俺が、と本気とも冗談ともつかないやりとりを続けている。遂にはそのうちの一人、殿村豪が「はい! はい!」と挙手をした。
「古林君を学級委員に推薦しまーす!」
 豪の後ろの席に座っている古林健矢は慌てて机から身を乗り出し、豪の挙手する腕を下げようと引っ張っていた。
 健矢は男子軟式テニス部の部長だそうで、あまり自分から目立つことはしない方らしい。しかしリーダー役は苦手ではないようで、まとめ役をそつなくこなすことが出来る――というのが寛司目線の評価だ。自ら学級委員に立候補するようなタイプではないが、あのように推薦されれば断りきれない人間だ、とも。現に、透から「健矢、推薦されたけど、どう?」と問われてこう答えた。
「……お前ら、ちゃんと俺に協力するんだろうな?」
 学級委員は男女一人ずつ。女子からもう一人選出しなければならない。立候補でも推薦でも誰かいないのだろうか。そう考えていた時。
「ねえ、星魚ちゃんは?」
 そんな台詞が龍夜の耳に入ってきた。顔を上げ首を回すと、右斜め後方に、左腕を大きく伸ばして前の席に座る生徒の肩を叩いている葵を見つけた。葵の前の席、星魚が上体をひねり、椅子の背もたれに左腕を掛ける。驚いたように葵を見つめている。寛司の学ランの袖を引っ張ると、寛司は龍夜の顔を見、視線を辿り、星魚と葵を視界に収めて「あー」と唸った。
「星魚、小学生の頃から学級委員とかやってたぜ?」
 実に勝手で申し訳ないが、龍夜には星魚がリーダーを務めている様子をイメージすることが出来なかった。決して仕切りたがる方ではないし、寛司に対して口うるさく感じるのは幼馴染だから、長い付き合いだからこそ言えることがあるのだろう。
「何か、意外だな」
「そうか?」
「うん、学級委員とかやるの苦手そう」
「まあ確かに、中学上がってからはそういうのやらなくなったな、あいつ」
 当の星魚は葵の言葉に、困ったように首を横に振っていた。そんな星魚に、葵は「そっかあ」と頷き返す。あっさり引いたと思ったら今度は挙手。透に指名され、葵は起立した。
「学級委員、立候補します」
 その言葉に内心ほっとした者も少なくないだろう。特に、学級委員お断り、という女子生徒は立候補者が出たことに安堵しているはずだ。また新崎にとっても、推薦より立候補した学級委員の方が、やる気の有無という意味で助かるに違いない。
 形ばかりの挙手投票が行われ、賛成多数により2年E組の後期学級委員は健矢と葵に決定した。黒板に書かれた学級委員の文字の隣に二人の名前が並び、拍手が沸く。透の役目はひとまずこれで終了、彼は自分の席に戻り、この後の学級会の司会は新規クラスリーダーに譲られた。
 次は各専門委員を決定する。健矢の指示で、後期専門委員に就かなければならない生徒が全員立ち上がった。
 黒板には委員会の名前が並んでいる。体育委員。放送委員。給食委員。厚生委員。保健委員。図書委員。広報委員。各委員会それぞれに男女一人ずつ就くことになっている。席を立った生徒たちが、希望する委員会の隣に自分の名前を書いていく。龍夜は遥と並んでその様子を少し離れたところで見学していた。
「遥、何委員希望?」
「考え中。龍夜は?」
「俺も」
 結局どの委員がどんな活動をしているかちゃんと調べないまま現在ここに立っているのである。ぶっちゃけた話、活動が不透明過ぎて、どの委員会でもいいと言えばその通りだし面倒そうだから嫌だと言ってもその通りだ。だったら話をしたことのある女子と組んだ方がいろいろ教えてもらいやすいだろうと思い、ちょうど今名前を書いている稚子の手元の右上を見た。龍夜は遥の脇腹を肘で小突いた。
「ねえ、厚生委員って何やる委員会?」
「実は俺もあんまり知らない」
「えっそんな」
「昼休みに購買でノート売ってるのが厚生委員だよ」
 遥の代わりに有益な答えを返してくれたのは、黒板に名前を書く生徒たちから教卓前を追い出されいつの間にか龍夜の隣に立っていた健矢だった。他にも、給食委員は配膳の手伝いや給食メニューの提案、広報委員は学内の掲示物や掲示板管理など、簡単に仕事内容を教えてもらう。へえそうなんだ! 龍夜と遥、二人揃って頷いた。
「給食委員って自分でメニュー考えられんの?」
「うん。年に二回お楽しみ給食の日があって、栄養士さんと給食委員が相談してメニューを決めてる」
「おー面白そう、じゃあ俺給食にしよ」
 名前を書き終えた生徒が席に戻り黒板前が空き始めてから、龍夜はようやくチョークを手に取った。
 全ての生徒が希望を出し終え、希望が被らなかった委員会については役員が決定した。しかしあいにく龍夜が希望を出した男子給食委員にはもう一人希望者がいた。どうにかしてどちらか一人に絞らなければならない。
「話し合いとか面倒だし、じゃんけんで勝った方にしよう」
 そう持ちかけてきたのは、もう一人の希望者、清晴だった。龍夜もそれを了承した。
 龍夜は考えた。じゃんけんで勝つには。人間、じゃんけんで最初に出す確率が最も高いのはチョキ、何かの漫画でそう読んだ。チョキに勝つにはグーを出せばいい。それを逆手にとってパーを出してくるかもしれない。となればこちらはチョキを出す必要がある。つまり――。
「じゃんけん!」
 ごちゃごちゃ考えている間にコールがかかってしまった。慌てて右手を出す。
「ぽん!」
 龍夜、チョキ。
 清晴、グー。
 見事なセオリー通りの負け方であった。
 負けてしまえば仕方がない、他の委員に希望を出し直すことになるが、既に決まっているところもあるので選択肢は初めより狭まっている。残っているのは放送委員か図書委員。放送委員は前期に嵐が務めていたが、当番が朝の時は朝早くに登校して始業の放送をし、帰りの時は誰よりも遅くまで放送室に残って下校を促す放送をしていた。見ていて大変そうだなあと思った覚えがある。それなら消去法で図書委員だ。
 図書委員の欄に名前を書き、それから一緒に仕事をすることになる女子の名前を確認した。
 白石星魚。
 チョークを置いて彼女の方を見る。目が合う。口元が動いている。声は聞こえなかったが、何となく『よろしくね』と言っているように受け取れた。
 専門委員がすべて決まれば、あとは教科係を決めるのみである。前期専門委員だった生徒が、後期教科係を務めることとなる。教科係は授業の前に各教科担当の教員と連絡を取り合い、プリントを配っておいたり宿題を集めたりするだけという割と平易な役だ。寛司は嵐と一緒に体育係に決まっていた。
「そんなに体育好き?」
「好きだけど。何で?」
「前期体育委員、後期体育係」
「あっ確かに! すげー!」右手の拳で左手のひらをポンと叩き、「俺めっちゃ体育好きそう!」
 面白がる寛司だが、その本意は別のところにあった。数学は一週間に四回授業がある。つまり週に四回は数学担当教師のところに行き、授業内容を確認してクラスメイトに連絡する必要がある。宿題を出される頻度も高いので頻繁にプリントやノートを回収しなければならない。それに比べて体育は週三回だし宿題はほぼない。英数国理社の五教科の係に比べて、実技教科の係はやらなければならないことが格段に少ないのである。勉強は苦手だがそういう変なところだけはよく頭が回るらしい。それが何となく、少しだけ、うらやましく感じた。
 これで全ての委員、係が決定した。明日の放課後からさっそく専門委員会の活動があるから忘れないように、という新崎からの連絡で学級会は閉会となった。
 明日から中学二年の後期が、龍夜の伏和中の生徒としての生活が、本格的に始まる。



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