2.


 日常のあるあるネタが発展し、大祐の「バウムクーヘン食べる時って外側から一枚ずつ剥がすよね」という台詞に皆で「やらねーよ」と突っ込んでいた時だった。
「皆、試験お疲れー」
 隣の部屋の住人、二年次生の倉橋淳也から声を掛けられ、四人は気持ち姿勢を正した。
「先輩もお疲れ様です」
「まあ俺たちは三日前に試験終わってるけどね」
 もう午後だというのに寝癖の直っていない淳也の頭だが、これはいつも通りなので気にしない。手には何も持っていないがチノパンのポケットは膨らんでいるから、財布くらいは持っているのだろう。ということは、買い物にでも行くところなのだろうか。
「どこか行くんですか?」
 訊けば、「ちょっとそこまで」と返ってきた。これから近くのコンビニエンスストアまで買い物に行くらしい。
「外めっちゃ暑いっすよ、よく出掛ける気になりますね」
「あーじゃんけんで負けてね、仕方なく」
「……はあ」
 この寮は全室四人部屋、淳也の部屋も例外ではない。彼も、もう三人のルームメイトと同居生活を送っている。負けた者がアイスクリームを買いに出掛けるという罰ゲーム付きのじゃんけんを四人でして、その結果、見事淳也が負けたという訳だ。
「アイス……いいね」
 誰よりも先に『アイス』という単語に食いついたのは大祐だった。
「俺も、一緒に買いに行きます」
「そう? じゃあその荷物置いてきなよ」
「はい」
 憎き問題用紙が詰まったトートバッグを肩にかけ、大祐は自室を目指して走っていった。大祐が行くのならついでに何か買ってきてもらおう。ルームメイトに便乗することを思い付いた悠は、ソーダ味のシャーベットやかき氷を模したアイスに思いを馳せる。スイカ味のバーアイスも好きなんだよなあ、どれを買ってきてもらおうか。迷っている間に、気付けば残りの二人のルームメイトも立ち上がっている。
「それじゃ、俺らもついていっていいですか」
「もちろん。待ってるから早く行っておいで」
「すんません、すぐ戻ってきます」
 ルームメイトたちが三階の自室を目指し、階段に足を掛ける。「待って待って!」と悠も慌てて立ち上がった。
「えっ二人もついてくの?」
「そのつもりだけど」振り向いた誠人が首を傾げる。「何か問題が?」
「だって暑いじゃん、外!」
「そうやけど、何売ってるか知らんし、適当に買うてきてもらうくらいなら自分で行って選んだ方がええやん」
 なるほど。啓一の言うことももっともだ。別に嫌いなアイスがある訳ではないが、これだけ暑いと、出来れば濃厚なバニラアイスクリームは遠慮したい。今の気分にぴったりなのはもっとさっぱりとしたアイスだ。
「悠はどうする? 留守番してる?」
 誠人の台詞の後半に被せる形で、啓一が「それならええ感じのを買うてくるで、かちわり氷とか」と続ける。
「いや、かちわりならいらないです」
 頭を下げながら、丁重に断った。暑い中外に出るのは不本意ではあるが、かちわり氷を買ってこられるくらいなら、多少の暑さくらい耐えてみせよう。行き先は歩いて五分のコンビニなのだから……往復で十分になるが……連続で歩く訳ではないのだから耐えられるだろう、きっと、多分。
 扇風機が回っていた一階はともかく、二階の廊下には案の定熱気がこもっていた。早い段階でテストが終わった学生は既に帰省なり旅行なりで部屋を空けているから(こっちはまだテストだったというのに何と腹立たしい!)、廊下の窓すらろくに開けられていなかったのである。三階も似たような状態だろうと想像してうんざりしながら階段を上り切ると、額に汗を浮かべた大祐がちょうど部屋から出てきたところだった。ただ自室に入って出てきただけの人間とは思えない。
「大丈夫かー?」
 尋ねると、大祐はゆっくりと首を横に振った。
「……サウナ」
「え?」
「これは事故で自然発生したサウナだよ……」
「何言うとるん?」
 先頭を歩いていた啓一がドアノブを握る。開ける。頭の上の方を、温かい空気が漂い始める。
 温かく感じるということは、その空気の温度が今の悠たちの体温より高いということである。
暑い中を歩いたり階段を上ったりしたから、今の体温は平熱以上だろう。ということは。
「サウナだ! マジでサウナだ!」
「暑い! この部屋暑いよ!」
「ゲーム大丈夫やろか!」
 室内に踏み込んだ悠は騒ぎ、誠人は窓にかじりついて全開にし、啓一に至っては実家から持ち込んだテレビゲーム機を心配し始めた。
「誰だよテーブルに飴置いてたの! 融けてるじゃん!」
「あ、俺俺」
「片付けろよ蟻寄ってくんぞ」
「蟻って三階までくるの?」
「エアコンかけてから出掛けんと、ゲーム壊れてまう」
「換気してからじゃないとエアコンつけても涼しくならないよ」
「なら応急処置や、叩くと冷えるやつない?」
「そんなの常備してる訳ないじゃん」
 自室に戻ってきた本来の目的は財布以外の荷物を全て置くことだったのだが、実際こうして蒸し風呂状態を目の当たりにすると問題点が見えてきてしまう。階下で先輩を待たせているにもかかわらず窓と扉を開け扇風機を使って強引に換気をし、多少熱気を追い出してから窓を閉め、エアコンの電源を入れてから再び部屋を出た。扉に施錠し、階段を駆け下りる。
 慌ててロビーに戻れば、ソファに収まった淳也が扇風機の風を浴びながら新聞をめくっていた。
「遅かったねー」
「すみません淳也さん!」
「いやいや、別にアイス買うくらい急ぐ用事じゃないから」
 手の平を銀縁眼鏡の前で振り、淳也はマガジンラックに経済新聞を戻した。
「それじゃあ行こうか」
 寮を出て左に曲がり、郵便局や鰹節屋を横目に見ながら道なりに歩く。その隙間には骨董屋の看板を掲げた小さな建物が縮こまるようにして収まっているが、クリアガラスが埋め込まれた引き戸にも窓にもカーテンが引かれており、中を覗くことが出来ない。
「営業してるのかな、これ」
 看板を指差した悠は、隣を歩く啓一を見た。
「建物古いし、実は廃屋?」
「さあ、どうなんやろなあ」
「ああその骨董屋、やってるみたいだよ」
 そう答えたのは淳也である。木箱を抱えて中に入っていく人を見たことがあるのだと言う。カーテンは年中引かれており淳也も中を覗いたことはなかったが、おそらく貴重な骨董品を日光に晒さない為の処置なのだろう。
 この骨董屋だけでなく、梢葉大学近辺にはやっているのかやっていないのか分からないような店が多い。色褪せた食品サンプルを軒下に並べた喫茶店や日が暮れてもつかないネオンサインを屋根に乗せたカラオケスナックなど、どの店が一番胡散臭いかあれだこれだと挙げていく内に、確実に営業しているコンビニエンスストアに到着した。
 店内は冷房がよく効いていた。女子だったら肌寒いと感じただろうが、あいにく男五人連れである。汗をかいた身体には、冷えた空気が気持ちよかった。
「そうだ漫画立ち読みしよう」とまっすぐ雑誌コーナーに向かった悠を無視し、他の四人は店内奥に位置するアイスコーナーに足を向けた。クーラーボックスには定番のバーアイスから人気チョコレート菓子とのコラボ商品まで、様々なものが並んでいる。
「あ、これ、今年の新商品だよ」
 大祐が指差したのは安価で人気のアイスキャンディー、メロン味。誠人がよく知っているのは水色のパッケージのソーダ味で、メロン味なんて初めて見た。本当に大祐はこの手の情報を誰よりも早く仕入れてくる奴だ。感心すると同時に、新商品と言われては気になってしまう。ソーダ味を買うつもりでここまで来たが、一緒にメロン味も買ってみることに決めた。
 大して迷うことなく買うものを決めた誠人の横では、啓一が両腕を組んでクーラーボックスの中を見つめていた。
「もう決めた?」
「いいや、迷ってるねん」
「こういう時優柔不断だよね、啓一って」
「知ってる」
 どうしようかと悩む啓一の後ろから、雑誌コーナーから戻ってきた悠がクーラーボックスを覗き込んだ。
「まーたつまんないことで悩んでるのかよ」
「悪いかっ」
「何で迷ってるんだよ」
「あれと……あれ」
 啓一の心を揺らがしているのは一口サイズのバニラアイスが複数個入っている箱と、チョココーヒー味のアイスが二本入っている袋だった。
「じゃあお前そのコーヒーのやつ買えよ」
 そう言って悠が指差し、すかさず「何でお前が決めんねん」という突っ込みが入る。しかし悠はそれを聞き流して、今度はバニラアイスの箱を指差した。
「そして俺がそっちのバニラを買う」
「……お」
「半分こしよう、それでどうだ」
 眼鏡を光らせ何となく偉そうな表情を浮かべる悠に若干不満そうな啓一だったが、彼の提案自体は啓一にとって何も悪くない。ありがたくその提案を受け入れることに決め、啓一の悩みは解決した。大祐はチョコアイスにチョコレートをコーティングしたものがお気に入りらしく、それに決めたと言った。あとは淳也のおつかいである。
「何を頼まれてるんですか?」
 誠人が淳也の方を向くと、淳也は既にカップアイスが六個入った箱を手にしていた。ヨーロッパで人気の製菓ブランドが作っているそのアイスは、コンビニエンスストアで販売しているアイスクリームの中でも一二を争うほどに高価なものである。
「セレブ! リッチ!」
 淳也は高級アイスをレジに運びながら、はやし立ててくる悠に「一応言うけど俺の希望じゃないよ、これ」と返した。
「これじゃないと嫌だ、っていう奴がいたんだ」

 無事にアイスを買い求め、あとは帰るのみである。出掛ける前にエアコンの電源を入れてきた。今頃は快適な部屋が出来上がっていることだろう。
 涼しい自室が待っている。先陣を切って店外に出た悠は、一瞬にして真っ白になった視界に出鼻をくじかれ振り向いた。
「……涼しいところから急に暑いところに出るとさ、眼鏡曇るよね」
「眼鏡あるあるだね……」
 頷き返した淳也の眼鏡も結露で白くなっていた。



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