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国を統べる光


 目の前にそびえる高い塀。細やかな装飾が施された金属の門は、今は固く閉ざされている。
 門の前に立つ番兵は、槍の切っ先をこちらに向けている。
 何でなんだよ――奥歯をきつく噛みしめ、ラデルはたった数日前のことを思い返した。
 あの時、ラデルは故郷の村に隣接する森の中にいた。



   ◆



 森に自生する低木の隙間に身を隠し、息をひそめる。耳に手を当て、音に集中する。目を閉じて枝葉が掻き分けられる音を聴く。一度は真後ろにまで音が迫ってきていたが、それも遠ざかっていった。ラデルはほっと胸を撫で下ろした。
 ――が。
 すぐ目の前で、小枝がぽきりと折れる音がした。跳ね上がった心臓を押さえつけて目を開く。淡く白い光が目に入る。そして。
「見ーつけた」
 そこには光を放つ左手で小さくガッツポーズを決めるクラースの姿があった。
 息を殺し、完全に気配を消していたはずなのに。森に溶け込んでいる自信があったのに。あっさりと見つかってしまった。これで十連敗である。降参と言わんばかりにラデルは両手を上げた。
「お前って本当にかくれんぼが得意だよな」
「そうかな?」
「そうだよ。どんなに工夫して隠れても、クラースにはすぐに見つかっちまう」
 木のうろにもぐっても頭から木の葉をかぶっても、クラースはまっすぐラデルの元にやってくる。そうしてすぐにラデルを見つけてしまうのだ。
「才能があるんじゃねーの? かくれんぼの」
「まさか!」クラースは光のこぼれる左手を顔の前で振った。「僕が『ここにいたらいいな』って思ったところに、いつもラデルがいるだけだよ」
「何だ? 俺がいっつも単純なところに隠れてるだけだって、そう言いたいのか?」
「そうじゃないって」
 唇をへの字に曲げるラデルを「違う違う」となだめながら、しかしクラースの意識はもう次に向かっているようで、「上かな」などと呟いていた。突き立てた左の人差し指から溢れた光が玉となって宙を浮遊する。上昇する玉を追い、ラデルは赤銅色の髪を撫でつけながら視線を上げ、目を凝らした。だが目当ての姿はそこにない。
 空を見上げたままクラースは歩き出した。周囲を見回し、風に舞う木の葉を感じる。その分足元の注意がおろそかになる。
「あっ!」
 危ない、とラデルが叫ぶよりも早く、クラースは地面から盛り上がった木の根につまづき、顔から派手に転んだ。
「ったく、気をつけろっていつも言ってるじゃねーか」
 やれやれ。ラデルは肩をすくめ、クラースの腕を取った。
 立ち上がったクラースは「あそこ」と耳打ちすると、光の玉を指差した。玉は一本の木の前で動きを止めると小さく爆ぜた。その木の外観は立ち並ぶ他の木と大きく変わらない。が、よく見ると幹のくぼみやこぶに泥がついていた。ははあ、なるほど。ラデルは幹を思いっきり蹴飛ばした。
「おーい、お前がそこにいるのは分かってるんだぞー、もう諦めて下りてこーい」
 間を置かずに蹴り続ける。すると。
「きゃっ」
 甲高い声と共に、少女が落ちてきた。
 少女は空中で身を反転させ、その反動を利用して足を大きく振るう。驚いてのけ反ると、その爪先がラデルの鼻先を通り過ぎた。よけなければ彼女の足が顔にめり込んでいたことだろう。額に浮いた冷や汗を拭い、ラデルは見事な着地を決めた少女に向き直った。
「危ないじゃねーか、ヤネカ!」
「それはこっちの台詞よ! あんなに木を揺すったら落っこちちゃうじゃない!」
「当然だろ、そのつもりでやったんだから」
「あんたね! あたしが落ちて怪我でもしたらどうするつもり?」
「それだけ頑丈な身体してるくせに、よく言うよ」
「何ですって!」
 軽い言い合いがエスカレートし喧嘩腰になる。ヤネカの腕が伸び、ラデルの服の襟元を掴む。その手をラデルが掴む。両者睨み合う。しかし村に夕刻を知らせる鐘が鳴り響くと、ヤネカの手はあっさりとラデルから離れた。
「残念、時間ね。仕方ないわ。決着は明日つけましょう」
 そう言って踵を返し、ヤネカはさっさと村の方へと歩いていってしまう。ラデルはクラースと顔を見合わせ、駆け足でヤネカを追った。
「おい、また明日勝負するってのには賛成だけど、何で決着をつけるんだ?」
「決まってるじゃない」ヤネカは人差し指を突き立てた。「かくれんぼよ。あたしとラデルが隠れてクラースが探す、先に見つかった方が負け。負けた方は勝った方の言うことを聞くの」
「げっ、マジかよ」
「あら、逃げる気?」
「馬鹿言え、俺が逃げるはずも負けるはずもねーだろ」
 ラデルとヤネカの口喧嘩。それをクラースは、二人の横でにこにこと聞いていた。
 クラースの両親が他界したのは、もう十年以上前のことだ。当時まだ生まれたばかりの赤ん坊だったクラースは、彼の両親と親しかったラデルの母、ロッテが引き取った。ロッテはクラースを連れて田舎の小さな村に移り住み、そこでラデルを産んだ。
 その村にはヤネカという名の少女が住んでいた。ヤネカは同じ年頃の子供を歓迎し、しばしば遊びに誘った。村に隣接する森のこと、森の奥にある洞窟のこと、水が湧き出る泉のこと、その他村での遊び方を、ヤネカは彼らに教えた。幼い頃から、彼らはずっと一緒だった。これが彼らの“いつも”だった。
 そんな中で、いち早く異変に気付いたのはクラースだった。クラースは顔色を変え、ラデルの袖を引いた。
「何だよ」
「静かに。……あれを見て」
 クラースが指差したのは村の出入り口、そこに集まっている村の大人たちだった。大人たちの中心には村長が立っており、見覚えのない男たちと何やら話をしているらしい。内容ははっきりとは聞き取れないが、言葉の調子が荒いことだけは十分に分かる。
 その男たちが身につけているのは軍服――いや、軍服というよりは戦闘服だった。上衣も下衣も緑と茶の斑模様で、頑丈そうなブーツを履いており、頭には盾の形の紋章が入った帽子を乗せている。何より目を引くのは、腰の太いベルトに挟まれている大きな刃のサーベルだ。
「穏やかじゃないね」
 クラースの小声にラデルも首を縦に振って応える。
「ねえ、どうしよう」ヤネカがラデルの脇腹をつついた。「あれってどこかの国の兵隊よ、きっと何かあったんだわ」
「『何か』って?」
「分からないけど……とにかく、何か悪いことよ」
「そんな、まさか」
 とはいえ、大人たちの間に漂う緊張感はラデルたちにも伝わってきている。自分たちのような子供が不用意に出ていって大人たちの邪魔をしてはいけないだろうし、それどころか、あそこへ出ていく勇気もない。
 仕方ない。今日は出来るだけ静かに帰ろう――ラデルはクラースとヤネカを振り返り、気付いた。
「光……いつもより強いんじゃないか?」
 クラースは一瞬きょとんとして、それから自分の手を見た。クラースの左手は常に、白く温かな光を放っている。決して強い光ではなく、太陽の下で見れば分からない程度だ。ロッテの説明によれば魔法の一種らしい。光っているからといって他に何かが起こる訳でもなく、日常生活に支障をきたすようなものではない。
 しかし、今は夕刻とはいえ、確かに明るいと感じる。先ほどまでより、明らかに光が強くなっている。
「あれ? ど、どうしたんだろう」
「お前、何かしたのか?」
「うーん……」
 訊ねるがクラースも眉尻を下げて「分からない」と言う。光が強まった原因はさておき、これ以上暗くなればクラースの左手は森の中で目立ってしまう。この場はヤネカの革のポシェットを被せることで取り敢えずやり過ごし、村の裏手に回った三人は、大人たちの死角から自分たちの家を目指した。
 ヤネカが彼女の家に姿を消したことを確認して、ラデルもクラースも自宅に駆け込んだ。緊張感から解放されて力が抜け、玄関先で膝をつく。お互いに体重を預け合って座り込んでいたが、家の奥から出てきたロッテに気付くと慌てて立ち上がった。
「あなたたち、無事だった? 何ともない? 村の入り口に兵隊がいたでしょう? もう心配で心配で……」
 二人の頭や肩、脇腹を抑えながらまくし立てるロッテの手を、ラデルが「母さん、大丈夫だから」と払い退ける。事実、二人とも兵隊たちの目に触れないように帰ってきているし、怪我もしていない。しかし――ラデルはクラースの左手に視線を落とした。ヤネカのポシェットを外す。光は森で見た時よりも強くなったように見えた。
 今思えば、戦闘の手練れである兵隊たちが、ちょっと息をひそめただけの子供に気付かないはずがない。もしかしたらあの時、兵隊たちの中には魔導師が紛れていて、ラデルたちに何か妙な術を掛けたのかもしれない。それがクラースの魔法に反応したのかもしれない。
 嫌な想像がラデルの脳裏をよぎる。
「ロッテさん、僕……」
 クラースがロッテを見上げる。
 しかしロッテはゆっくりと首を横に振ると、クラースの前に跪いた。
「クラース……いえ、クラース様。本当のことをお話しする時が来たようです」

 十年前、東方のオストネザー皇国が滅んだ。原因は皇帝の圧政に対する反乱。皇族は全員が捉えられ、処刑された。自由を取り戻したオストネザーの民は、指導者の下で荒れ果てた国を十年かけて復興させた。つい最近のことである。
 その指導者こそ、新生オストネザー帝国の新皇帝、ヤン=ニルスその人なのだ。
 ヤン=ニルスはもともとオストネザー皇帝の家臣であった。皇帝のすぐ近くで政治手腕を見届ける内に違和感を覚えたヤン=ニルスは皇帝を問い質した。しかしそれに対する皇帝からの返答はなく、ヤン=ニルスは城から追放された。
 この国はこのままではいけない。自国の危機にヤン=ニルスは立ち上がった。民を率いて皇帝を民衆の前に引きずり出し、不当な圧政を認めさせ、処刑した。そして今、新たな皇帝としてオストネザーを治めている――。

 これが『表向きの』オストネザー皇国の変遷だ。
「しかし事実は違うのです」
 ロッテはクラースの目を見据えて言った。
「あの反乱の実態は、ヤン=ニルスが国の実権を握る為に起こした茶番なのです」
 当時、ヤン=ニルスと同じく皇帝の家臣であったロッテは、ヤン=ニルスの陰謀に気付き、皇帝に進言した。皇帝はヤン=ニルスを追放すると共に、生まれたばかりの皇子を連れて逃亡するようロッテに命じた。
「それが……その皇子が、クラースだっていうのか?」
 ラデルのかすれ声にロッテが頷く。
「じゃあ、さっき来てたあの兵隊たちは……」
「新生オストネザー皇国の兵隊よ。私たちを捜しているに違いない。私たちが逃亡したことくらい、ヤン=ニルスもとうに気付いていたはずだから」
「そんな……」
 座り込む我が子の肩を優しく叩き、ロッテは窓の外をうかがった。村の入り口に集まっていた大人たちはそれぞれの家に向かい、兵隊たちの姿が見えなくなっている。村の捜索を要請したが拒否され、今日のところは引き下がったといったところだろう。
 ロッテはクラースを向き直り、彼の左手をしっかりと握った。
「この光はオストネザー皇国の皇族の証。ヤン=ニルスなどではなく、正当な皇位継承権をもつクラース様こそ、私たちのあの国を統治するにふさわしい」
「ロッテさん……」
「偽者の皇帝に皇国を統治させる訳にはいきません。私が仕えた主の血筋を途絶えさせる訳にはいかないのです。東へ……あなたがいるべき場所へ向かってください。そしてオストネザー皇国を取り戻しましょう」
 そこで一度言葉を切ったロッテは、今度は未だに状況が飲み込めずにいるラデルと目を合わせる。
「ラデルにも協力してほしいの。クラース様が無事に国へ辿り着けるように補佐してあげて」
「え、か、母さんは?」
「私は……」
 その時だった。玄関の戸が激しく叩かれ、窓ガラスが揺れた。扉越しに『おとなしく出てこい!』と叫んでいるのが聞こえる。
「何!?」
「新生オストネザーの兵隊よ、この村を嗅ぎまわっている奴がまだいたようね」
 二人を抱き寄せたロッテは子供たちの頭を撫でた。
「守り切れなくてごめんなさいね。絶対に生き延びて」
「母さん?」
「戸棚に鞄が二つ入っています。それを持って、裏口から出ていきなさい。振り返っては駄目よ」
「何を言って」
「行きなさい!」
 母の鋭い一声で、ラデルはクラースを連れて裏口へ駆けた。暖炉の脇に油の詰まった瓶が立っていたのは見なかったことにした。
 二人分の鞄を肩にかけ、なるべく音を立てないよう裏口の戸を開ける。先に出て周囲を見回す。外は既に薄暗かったが、見知らぬ顔が見えないことくらいは確認出来る。やらなきゃ――自分に強く言い聞かせ、ラデルはクラースの左手を握って走り出した。途中家の方から大きな音が聞こえたが、母の言いつけ通り、振り返ろうとするクラースを制して森の中に駆け込んだ。
 一度木のうろに隠れて息を整える。暗い森の中だ。例えこちらが子供であちらが大人でも、日頃からこの森に隠れて遊んでいるラデルたちを、森に踏み込んだことがないであろう兵隊たちが見つけるのは困難であるに違いない。静かに隠れていれば、ひとまずは大丈夫だろう。ラデルはそっとうろから顔を出して。
 自宅から火柱が上がるのを目撃した。
「ロッテさんっ!」
 声を上げるクラースの口をふさぎ、自分の唇を強く噛みしめる。
 自宅から火達磨になった人間が何人も転がり出てくるのが見える。しかし、その中にロッテらしき人物はない。初めから母は、ラデルたちだけ逃がして死ぬつもりだったのか、だから二人分の鞄や火炎瓶が用意してあったのか――考えて、口の中いっぱいに広がった血の味で我に返る。ラデルはがたがたと震えるクラースの肩を抱いた。
「母さんの話が本当なら……母さんや、お前の本当の両親を殺したのは、ヤン=ニルスっていう奴なんだよな」
 クラースが小さく頷く。
「……行くぞ」
「ラデル?」
「行くんだよ、オストネザーに!」
 ロッテの用意した鞄には、数日分の水と食料、ナイフ、火おこしの道具なんかが入っていた。ほんの数枚だけだが銀貨も入っている。革の手袋はクラース用だろう。
 手袋をはめさせながらラデルは考える。ロッテがこれだけ用意していたということは、すなわち新生オストネザー皇国までの道のりは長いということ。追っ手から逃げながら、長距離を移動する。身体的にも精神的にもつらい旅になるだろう。
 だが、行かなければならない。行く理由がある。
「行こう」
「うん」
 立ち上がった二人だったが、「待ちなさいよ」という声に足を止めた。振り向くと、そこには鞄を抱えたヤネカが立っていた。
「どうしたの、ヤネカ、こんなところに」
「どうしたもこうしたもないわよ! うちについて、でも外が気になるから窓から見てたらあんたたちが荷物抱えて出ていくのが見えたから。どうしたのかなーって思ってたらあんたたちの家が燃え始めたじゃない。びっくりして、心配になって、だから追いかけてきたの!」
「お前馬鹿か、どう考えたってこの状況危ないだろ! 何で来ちゃったんだよ!」
「だって……!」
 ヤネカは一度言葉を切り、視線をさ迷わせ、そして小さく呟いた。
「だって、友だちだもの……放っておける訳がないじゃない」
 木々の梢がさわりさわりと揺れた。ラデルが一歩、ヤネカに近付く。目を合わせようにも顔をそむけられてしまう。仕方ない。ラデルはヤネカの腕を掴むと強引に歩き始めた。
「ちょ、ちょっと、何よ!」
「目的地は遠いんだ、急ぐぞ」
 クラースも小走りで二人についてくる。
「ありがとう、ヤネカ」
 震えてながらも礼を言う声に、ヤネカは「当たり前でしょ!」と返した。いつものヤネカだった。



   ◆



 あれから数日間歩き続け、ようやく新生オストネザー皇国の前まで辿り着いたというのに、まさか番兵が門を通してくれないとは。その可能性を、微塵も考えなかった。
「怪しい者を、我らが新生オストネザー皇国に立ち入らせる訳にはいかない」
 番兵は終始この調子で、門を開けようとしない。
「俺たち、ヤン=ニルスとかいう皇帝に用事があるんだ! 中に入れてくれよ!」
「無礼だぞ! 第一、お前のような子供が皇帝に何用だ」
「それは……」
 ラデルは背後に控えるクラースを見遣った。ヤネカがクラースの背中を押した。
 クラースは一歩踏み出すと、左の革手袋を外した。
 光は家を出たあの日よりも更に強いものとなっていた。先代が治めてきたオストネザーの地に近付いてきたことで、クラースの皇帝の力が覚醒したのだ。
 左手をかざすと、光はまた一段と輝きを増した。あまりの明るさに番兵は思わず腕で顔を覆った。
「僕の名前はクラース。クラース・オストネザー。前オストネザー皇帝の実子です。ぜひ現皇帝と話がしたいです。会わせてください」
 その言葉に番兵は槍を下ろし、門に手を掛けた。門の開く重い音が腹の底に響く。人一人通れる程度に隙間を開けた番兵がこちらを眩しそうに振り向いた。
「貴様らの要件、承った。皇帝の元まで案内しよう」
 クラースの身分、言い分が番兵にも伝わったらしい。三人で笑顔を見合わせ、クラースに抱きつき、喜びを分かち合った。しかしこれで終わりではない。これは現皇帝に会う為の第一歩だ。三人は番兵に続いて門をくぐり、新生オストネザー皇国に足を踏み入れた。
 門からまっすぐ続く大通りは皇帝の城に続いており、その両脇にはたくさんのテントが並んでいた。木箱を並べて板を渡しただけの簡易な卓に、野菜や果物、干し肉など、様々なものが並べられている。どのテントでも盛んに売り買いが起こっているようで、「安いよ!」「もっとまけてくれよ!」などというやり取りや笑い声が聞こえる。
 品物は食べ物が主だが中には本や装飾品などの嗜好品を扱っているところもあり、いちいち足を止めようとするヤネカを、ラデルはその都度引っ張った。
 大通りの終わりには像が建てられていた。並んで置かれた石碑には『新生オストネザー皇国に、万歳』と刻まれている。ラデルは小さく舌打ちすると、皇国の中心にそびえる城を見上げた。
 城の扉の前に立っていた二人の護衛兵に、番兵が一言二言告げる。護衛兵たちはクラースを一瞥すると、一人が扉を開け、もう一人はクラースに近付いた。
「前皇帝の実子クラース」そしてラデルとヤネカを見、「護衛の二人」
「はい」
「話は聞いた。ここからは私が案内する」
 扉を入ってすぐ、ヤネカが息を呑むのがラデルにも分かった。高い天井から吊り下がるシャンデリア、柔らかな絨毯、窓にはめ込まれたステンドグラス。これまでに触れたことのない調度品だ。床には塵ひとつない。それもそのはず、大勢の召使いたちが忙しなく動き回っている。木板を打ち合わせて作っただけのラデルの家とは、クラースがこれまで生活してきた家とは、何もかもが違った。
 これが本当のクラースの家なのだ。城も調度品も、本当はクラースのもの。召使いたちだって、本当はクラースに仕えるはずだった。それなのに、クラースの家を踏み荒らし、我が物顔で生きている男がいる。ラデルにはそれが許せなかった。
 新生オストネザー皇帝・ヤン=ニルスは、玉座でラデルたちの到着を待っていた。
「その手……」
 ヤン=ニルスはクラースの放つ光を見ると口を歪めた。
「オストネザーの皇子というのは本当のようだな」
「それが分かったんなら早くこの国をクラースに返せ!」
「あたしたち、あんたがクラースのお父さんを裏切って殺したことも知ってるんだから!」
 噛みつくラデルとヤネカを、ヤン=ニルスは眼力だけで黙らせた。そして視線をクラースの左手に戻し、玉座から立ち上がる。
「オストネザーの皇子、名は?」
「クラースです」
「クラース、その左手にはどんな力があるのか知っているのか」
「力……?」
 ロッテはこの光のことを『皇族の証』と言っていた。魔法の一種だとは聞いていたが、それ以外のことは何も知らない。
「……いいえ」
 小さく答えると、ヤン=ニルスは「恐ろしい力だ」と吐き捨てた。
「その光は人の心を静め、魅了する。この意味が分かるか?」
「ええ……まあ」
 言い換えれば、人を統率する力である。一国の主として、民を率いる者として必要で重要な力と言える。
「ええと……その、恐ろしい力とは思えませんが」
「その言葉、本気か?」
「え?」
「人を魅了する光。すなわち、人の心を意のままに変え、操り、己に従わせる魔法だ。つまり、民を導いていたのは前皇帝その人ではなく、魔法の力だったのだ」
「そんな言い方ってないわ!」
 堪えきれずにヤネカが口を挟んだ。
「人を惹きつける力は皇帝にはなくてはならないものでしょ? でもあんたにはその力がない。自分にない、知らないものを勝手に恐れているだけじゃない!」
「ならば問う、小娘。お前はクラースに、知らぬ間に操られたことはないか?」
「ある訳ないじゃない、あたしはあたしよ」
「なぜそう言い切れる」
「クラースはそんなことしないわ」
「クラースの意の外で魔法が発動しない保証はないのだぞ」
「そんな揚げ足取り……」
 言いかけて、ヤネカは口をつぐんだ。何かに気付いたように目を見開き、両手で口を覆う。ラデルが肩を掴んで揺さぶると、ヤネカはぼそりと、「かくれんぼ」と呟いた。
 ――僕が『ここにいたらいいな』って思ったところに、いつもラデルがいるだけだよ。
 いつだったかクラースが言っていたことを思い出す。かくれんぼの鬼役になると鋭い勘を見せたクラース。しかしあれが、本当は勘でも何でもなく、皇帝の魔法によるものだったとしたら。皇帝の魔法により、ラデルたちが『クラースの思うところに隠れさせられていた』のだとしたら。
 いったいどこまでがラデルの本心で、どこからがクラースの魔法によって作られた心なのだろうか。
「ようやく気付いたか、この恐ろしさに。知らぬ間に心を侵食される不気味さに」
 ヤン=ニルスは鼻を鳴らして窓際に立ち、外を見下ろした。
「前皇帝の時代、この国は統率がとれた平和な国だった。一歩たりとも違わぬ足取りで、全ての民が同じ未来を見て生きていた。しかしそれは人間のすることではない。民が皇帝の操り人形など、そんなことはあってはならない。だから私は国を倒した」
 操り人形――その言葉はラデルに圧し掛かった。操られているのか? 俺の心が?
 クラースを見れば、青ざめた顔で、違う違うと首を横に振っている。
「今の国には、以前のような平和はない。しかし民に心の自由が与えられている。自由に考え、行動する権利がある。その証拠に、君たちも見てきただろう? 笑顔に溢れた活気あるこの国を」
 窓の外から視線を外したヤン=ニルスは、再びクラースを見据えた。
「歴史を繰り返してはならない。新生オストネザー皇国に、その魔法はもう不要なのだよ」
「それは、つまり、僕は」
「君はこの城に……この国にいてはならない」
 現皇帝の宣告は重かった。
 何が正しくて何が正しくないのか。
 誰が正義で誰が悪か。
 何を信じるべきなのか、自分を信じてはいけないのか。
 何ひとつ、ラデルには分からなかった。
 ラデルには、がっくりと膝をついたクラースの肩を、ただ抱き止めることしか出来なかった。



あとがき



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