オレンジ色に染まる町の話


 本日の宿を探しながら陽の落ち掛けた静かな町を歩く、二人の旅人の少年と一羽の鳥。太陽が沈むにつれて陰は伸び、色濃くなり、景色を縁取っていく。赤から濃紺へのグラデーションの空を切り取っていく。
 そうして町が暗くなり始めて、ようやく気付いた。町中、至るところに、蝋燭が飾り付けられているということに。
 蝋燭は、ベンチや街路樹、ポストや街灯にまでくくりつけられている。民家から出てきた住人たちが、その蝋燭に火をつけて回っている。
 陽が沈み、代わりに蝋燭の灯りが町を照らし始めた。
 不思議な……そう、不思議なことに。
「街灯があるのに、蝋燭使うの?」
 見たところ、この辺りに設置されている街灯は全て電気式。更に、昼間に食事をしようと入った飯屋でもちらりと覗いた玩具屋でも電球の明かりはついていたことから、この町に電気が普及していることが分かる。住民たちはせっせと蝋燭を灯しているが、普段から照明として使っている訳ではなさそうだ。とすると、何の為の蝋燭か。
 一度は暗くなった煉瓦の家が、石畳の道が、木製のベンチが、広場の噴水が、町が、全て蝋燭の炎で照らされていく。太陽光と異なる色の明かりで照らされた町は、浮世離れしているように見えた。
「童話の世界みたいだ」
 ぽつりと呟いたのは頭にゴーグルを乗せた方の少年だった。その髪は脱色されて黄色くなっているが、この暗闇と蝋燭の明かりの中では橙色に見える。
 その視線の先には黒髪の少年。煉瓦と石畳の町並みには不釣り合いな異国の着物を身に纏い、その肩には銀白色の鳥が乗っている。
「不思議、だな」
「……ああ」
 彼らの名は塔亜、騎左。そして鳥の名はゼファという。故郷である【東端の島国】で起こった一件の放火事件を発端に、彼らは国を飛び出した。その事件の犯人を探す為、彼らは世界を歩き回っていた。
 そんな中訪れたこの町で、不思議な光景を目の当たりにしている。
 何が始まるのだろう。宿を探すという本来の目的も忘れ、二人と一羽は次々と灯されていく火を眺めていた。
 そして。
「ねえ準備出来た?」
「待ってよ! もうちょっと!」
「おい早くしろよ」
「ごめんってば!」
 聞こえてきたのは子供たちの声だった。そちらを振り返れば、一人や二人ではない、もっと多く、十人近くの子供が集まっている。ベンチの影にしゃがみ込み、何やら打ち合わせをしているようだ。
 何より目を引くのはその子供たちの服装であった。黒尽くめのドレスを着て三角形の帽子をかぶった少女がいるかと思えば、長いマントを身体に巻き付けた少年もおり、猫の耳と尻尾をつけ頬に髭を描いた少女もおり、果ては目の部分だけくりぬいた白いシーツを頭からかぶった子供までいる。目しか見えないので子供の性別すら不明である。
「え、何、仮装大会?」
 塔亜は首を傾げたが、騎左は何かを理解したようで、「そういうことか」とひとりで合点している。
「何だよ」
「ハロウィーンって、聞いたことないか?」
「……はろうぃーん?」
 あるようなないような、分かったような分からないような唸り声を出すと「まあ、【東端の島国】にはない風習だからな」と返ってきた。
「ハロウィーンっていうのは、北汪地方や北備地方で広く行われている祭りだ。年に一度の祭りの日、子供が化け物の衣装を身につけて近所の家を一軒ずつ回っていくらしい」
「何の為に」
「菓子を貰う為だ」
 ほら、と騎左が指差す先を見れば、てんでばらばらな衣装を身にまとった子供たちにも共通点があることに気付いた。子供たちは皆、手にバスケットを持っているのだ。
「あれに貰った菓子を入れていくんだ」
「へえ、面白い祭りだな」
 打ち合わせが終わったのか、子供たちは立ち上がり、ぞろぞろと移動を始めた。一番近くにある民家の扉の前に立ち、扉脇のかぼちゃを指差す。互いに目配せし合い、頷く。そして、先頭に立っていたドレスの少女が扉を叩いた。
「トリック・オア・トリート!」
 中から出てきたおばさんは、菓子を山のように盛ったトレイを持っていた。
「お菓子をあげるから、いたずらはやめてちょうだいね」
 そう言って、トレイの菓子を子供たちに配り始める。全員がそれをバスケットに入れると、おばさんは手を振ってまた部屋の中に戻っていった。
 子供たちもおばさんも了解のことなのだろうが、それを見ている二人からすれば理解の及ばない菓子の請求法である。『お菓子をくれなきゃいたずらするぞ』、だなんて、一歩間違えれば脅迫だ。それが正当化されているからこそ祭りとして成り立っているのだろうが。
「……面白い祭りだな」
 そんな塔亜たちの視線に気付いたのか、マントの少年がこちらに顔を向けた。塔亜を見、騎左を見、ああなるほど! という顔をする。こちらに駆け寄ってきて、言った。
「お兄ちゃんたちもお菓子貰いに行くんだね!」
 それじゃあ一緒に行こうよ! と腕を引っ張られ、訳が分からないという顔をする騎左。それを見て、今度は塔亜が合点する番だった。
「お前のその服、仮装と間違われてるんだよ」
「はあ?」
 騎左が着ている着物、そして肩にかけている羽織、どちらもこの町の子供には馴染みのないものだろう。遠い【東端の島国】の民族衣装だ、幼い子供たちは初めて見るものに違いない。日常で着ることのない衣装は、子供たちの目には『仮装』として映る。
 だからといってどういうことなのだ、どこをどう見たらこの服が化け物に見えるのだ! 戸惑う騎左をよそに、騎左と子供たちの間で話は進んでいく。
「この兄ちゃんも、君たちと一緒に行くってさ」
「いいよ! でも珍しい衣装だね」
「まぁいいんじゃないの?」
「でも」子供たちは塔亜を見上げた。「お兄ちゃんは普通の服だね」
 塔亜が今着ているのはよくあるパーカーによくあるジーンズ。確かにこれは、仮装とは言い難い。
「いや、俺は仮装してないから」
 顔の前で手を振り、同行を拒否しようとしている。傍観を決め込む気らしい。拒否しつつもあとからついてくるつもりなのだろう。あのにやにや顔は、完全に騎左の境遇を面白がっている。
 衣装さえあればこちらに引きずりこめるのに。そこまで考えて、あることに気付いた。
(そうか、だったら)
 騎左がにやりとし、ゼファの額が赤く輝いた。
 塔亜の足元に光の玉が生まれた。玉は塔亜を爪先から包み込み、一瞬強く光る。あまりの眩しさに子供たちは目を覆った。しかしその光もすぐに収まり、完全に消えた頃には、塔亜はすっかり様変わりしていた。
 ぼろぼろの黒い布を身体中に巻き付け、布は更に頭まで覆っている。顔には骸骨の仮面が張り付いている。手には大きな鎌を携え、正に化け物、死神である。
 仮面を引き剥がし、それを確認した塔亜は騎左に鎌を突き付けた。
「お前の仕業だな! 何だよこれ!」
「いい衣装だな。菓子を貰いに行くんだろう?」
「このやろっ……!」
 いつものように噛みついてやろうとして出来なかったのは子供に囲まれていたからで。
「ねえ今のは何っ?」
「どうやったの?」
「さっきまで着てた服どこに行ったの?」
「お兄ちゃん魔法使いなの?」
 質問攻めにされては、騎左に喧嘩を売ることも叶わなかった。
 魔法なんて、童話に登場するような夢のあるものじゃない。騎左が使ったのは、理論に基づいた“不可視の術”――妖術だ。妖鳥であるゼファを媒介とし、目に見えない力を増幅させて人の神経系に作用することにより相手の感覚を狂わせることが出来る。この術で、騎左は子供たちに衣装を『見せている』のだ。もちろん塔亜の化け物の衣装なんか実在しない、彼が実際に来ているのは元通りのパーカーとジーンズだ。しかし子供たちの目にはハロウィーンの衣装が映っている。騎左がそう映している。
「すごーい!」
「魔法だ!」
「本物の魔法使いだ!」
「ねえ! 早く次の家に行こうよ!」
「行っておばさんを驚かせてやろうよ!」
 猫に扮した少女とシーツを被った子供が塔亜の右腕と左腕を掴む。魔女や吸血鬼、猫娘や白いお化けたちに囲まれた死神はというと。
 大鎌を高く放り投げたかと思うと宙返りをし、外していた仮面を被り直し、落ちてきた鎌を掴んで再び構えるという無駄なアクションを始めていた。
 目を輝かせる子供を見て面白くなってきたのか、塔亜までこの祭りに参加する気になってきたらしい。まったく、実年齢より精神年齢が幼い奴だ。早くも次の家に向かって子供たちと歩き始めている塔亜を見て、騎左は改めてそう思った。
 溜め息をひとつ、そして塔亜の背中に声をかけた。
「他にもこういうものが必要だろう?」
 彼の背に指を向ける。指先からオレンジ色の光がこぼれる。光はごつごつとした、しかし丸みを帯びたランタンを形作った。
「かぼちゃだ!」
 中身がくり抜かれ、三角形の目と口が彫られたかぼちゃ。中からはオレンジ色のあたたかな光が漏れ出ている。突如現れた輝くジャック・オ・ランターンに、子供たちが歓声を上げた。
 ふわりと漂い塔亜の手に納まったそのランタンの明かりが、そしてあちこちに飾り付けられた蝋燭の灯りが、陽の落ちた町をオレンジ色に染め上げている。
 気分が高揚している。まるで、魔法にかかったかのように。
 魔法使いなのかと問われた自分たちが、祭りの魔法にかかっている。
 オレンジ色に包まれる。
 互いに目を合わせて、にやりとした。

「トリック・オア・トリート!」



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