破壊する者たち


 無機質なブザー音が響き、画面上で点滅していた赤いポイントが消えた。
「通信断絶。仁、死亡を確認」
「衛星電波取得開始」
「斑、急いで電波の記録を……斑?」
「……っ」
 椅子を蹴って、モニターの光以外にはほとんど明かりなんかない部屋を出て行ってしまう斑。彼女の肩を叩こうと上げかけた右手を所在なさ気に曲げ伸ばし、孝元は「あー……」と間の抜けた声を出した。斑自身分かっていたことだろうに……やはり割り切れていなかったのか? 時間はあったはずなのに?
「孝元」
 声を掛けられ、たいして意味のない思考を中断、声の主を見る。第二モニター正面、青白く浮かび上がった静の顔には、困惑だとか不安だとかどうしようかなとか、何とも言い表しがたい感情が乗っていた。自分もおそらく似たようなものだろう、鏡なんか見なくたって想像はつく。
「何でしょう」
「斑に任務を課す、伝えてきてくれないかな」
「俺が?」
「君が」
 ぐるりと部屋を見回す。部屋自体はそう狭くないが、ごちゃごちゃと機材が押し込まれ熱を発している所為で息苦しさを感じる。そんな所にたくさんの人間がいる訳がない。孝元も含め五人しかおらず、内三人は作業中で手が離せない。基本戦闘要員の孝元は力仕事の為にここにいるのであって、簡単な作業を頼まれただけの自分にその役が回ってくるのも納得が出来るが。
「行くならとっとと行ってこいよ」
 自分以上に暇そうに液晶画面を見上げるこの金髪男は何なのだいったい。
「お前に言われると凄ェムカツク」
「じゃあ言われる前に出てけっつーの」
「何だソレ、ガキかお前は」
「孝元、越村」
 呆れた、とでも言いたそうに蓮がこちらを見た。キーボードを叩くその指の速度は緩まない。確かに彼女は身分も能力も自分よりずっと上、だが歳は十も下。そんな娘にたしなめられるとはこれいかに。
 ……。
「分かってますよ」
 両手を挙げ、蓮と目を合わせてからわしゃわしゃと頭を引っ掻き席を立った。越村にも機材が見えるように立ち位置を変える。
「使い方、分かるよな」
「さぁ?」
「……は?」
 誰だこんな使えない男をこの忙しい場に連れてきたのは。
 とにかく越村を椅子に座らせ(「男の体温で温まった椅子なんて気持ち悪い」「黙れこっちも急いでるんだ」)、必要最低限のことを教える。定期的に送られてくる電波を拾い記録するだけだから仕事としてはたいしたことはないのだが……どうも不安だ、かなり。
 隣の機材を弄っている錫の肩を突付いた。
「何かあったら、頼んでいいか?」
「善処します」
「それじゃ駄目だ何とかしてくれ」
「すみません、『任せてください』と言い切れないので」
「……そうか」
 錫、すまない、出来の悪い弟で。
 口に出せばまた越村が噛み付いてくる。心の内で呟くだけにとどめ、錫に頭を下げると孝元は重い扉を開けた。



   ◆



 斑の実家は【壁の国】の小さな町の診療所、斑の父は正しい医者だった。
 正しい医者であり正しい人だったからこそ、相手が誰であろうとその命を救うことに力を尽くした。斑も父を見習い医学の道に進んだ。専門の学校へ通い、多くの知識を身に付けた。医師としての心を父から学んだ。
 学校の卒業を控えた日、深夜のことだった。診療所の扉が乱暴に叩かれ、それに気付いた斑の母が何事かと外に出た。
「どちら様ですか?」
 扉を薄く開き、尋ねる。しかし返ってきたのは言葉ではなく体当たり、その衝撃に母は突き飛ばされてしりもちをつき、開かれた扉から男が侵入してきた。男は一度外に目をやり、静かに戸を閉め、そして腰をさする母の隣で膝をついた。
「夜分に申し訳ない、そして突き飛ばしてしまったことも謝罪する」
「いきなり何をするんですか! 軍を呼びますよ!」
「本当に申し訳ない、しかしそれは困る!」
 診療所二階の居室にいた斑と父の耳にも、その大きな音と母の声は届いた。驚いた二人は階段を駆け下りた。
「何があった、母さん」
「この人が、急に……」
 母が指差した男に警戒の視線を投げかける。男はお世辞にも綺麗とは言えないロングコートに身を包み、艶のない長い髪もぺったりとしていた。顔色も悪い。
 その原因はすぐに分かった。
「怪我をしているじゃないか!」
 父の目が、旦那としての目から医者の目に代わった。
 背中を切られたのかコートが襷に裂けていた。その裂け目の縁には乾いた血がこびりついており、しかし傷口はふさがっていないようで、今も溢れ出る血がコートを濡らしている。傷は深そうだ。
「追われているんだ、少しの間でいい、匿ってもらえないだろうか」
「分かった、奥へ! 治療をしよう!」
 父は男を立たせると、奥の処置室へと案内した。母もその後を追う。斑は扉を施錠し、あくびを噛みしめながら居室へと戻った。
 再び診療所の扉が乱暴に叩かれたのはその翌日。母の作った朝食を、男を寝かせた病室へと運んでいた時だった。
「失礼します」
 病室の戸をノックしたが返事はない。気にせず開けると男は既に起きていた。
「おはようございます、朝食の時間です」
「……ああ」
「起きていたのなら返事してくださればいいのに」
「すまない」
 ベッド脇のテーブルに朝食を乗せたトレーを置き、壁際に並べてあった丸椅子に座る。背中を怪我しただけのようだから一人でも食事は出来るだろうから本来であればすぐに退室するべきなのだが、斑はそうしなかった。
「……何だ」
「『追われている』ってうちに駆け込んできて、何かドラマみたいで」
「面白がっているのか」
「そうじゃありません、でも興味があって」
「話せることなんか何もない」
 トレーの上のパンに男が手を伸ばすのと、玄関から怒鳴り声が聞こえてきたのはほぼ同時だった。「怪我人が来ただろう」という知らない声に、「診療所なんだから怪我人くらいいて当然だ」という父の声が重なる。
「もう来たのか」
 男が苦々しく吐き捨てたことから、追っ手なのだと分かる。相手によってはしかるべきところに通報しなければならない。斑は病室を飛び出て廊下を走った。
 診療所の受付には濃紺の軍服に身をまとった男が三人並んでおり、父と母と対峙していた。
「その男は反政府組織のメンバーだ、こちらに引き渡してもらおう」
「彼は怪我をしているんだ」
「犯罪者をかくまう気か」
「そうではない、私は医者だ」
 病室へと続く廊下に、斑の前に、父と母が立ちふさがる。
「怪我人を助けるのが医者の仕事だ」
「犯罪の片棒を担ぐなど、貴様も同罪だ!」
 真ん中に立つ青二つ星、中佐が、両脇の濃紺に指示を出した。腰に吊るしていた軍指定銃を構える。照準をこちらに合わせる。
「駄目っ……!」
 斑の叫び声は銃声にかき消された。三発、四発、五発、リズムよく銃弾が撃ち込まれる。壁を、床を、そして両親の身体をえぐる。診療所独特の消毒液の匂いに、硝煙の臭いと血の臭いが混ざる。両親が床に崩れ落ちる。
 中佐と目が合った。
「その娘もだ」
「ひっ……」
 恐怖で足が動かなくなった。これでは逃げられない。ふたつの銃口が斑の額に向けられる。向こうは軍人、動かない的を撃ち抜くことなど造作もないだろう。
 ――殺される!
 目を瞑る。両腕で頭を覆う。銃声が響く。
 しかし一発も斑に命中することはなく、彼女の身体はふわりと宙に浮いた。
「えっ」
 病室から出てきたあの怪我人が、斑を担ぎ上げていた。今や銃口は、斑ではなく男に向けられている。
「貴様っ」
「死んでくれ」
 斑を担ぐ反対側の手に握られていたのは、すでにピンが抜かれている手榴弾だった。それを放り投げ、男は軍人に背を向ける。両耳をふさぐ。
 その日の夕刊の一面を飾ったのは、診療所の爆破事件の記事であった。

 医療に携わる者として正しいことをした両親が、なぜ世界を守る世界軍の軍人に殺されなければならなかったのか。あの父が、母が、どうして? 斑は考えに考えた。しかし分からなかった。疑問に対する答えよりも、軍に対する憎悪の方が早く斑の中に生まれてしまった。
 憎いか? 男は斑に尋ねた。
 憎い。斑は答えた。
 復讐を願うのなら手を貸そう。男は――仁と名乗ったその男は、斑に手を差し伸べた。
 これが斑と仁との出会いであり、斑が“スペード”のメンバーとなった瞬間であった。



   ◆



「斑!」
 廊下の先を走る斑を呼び止め、駆け寄る。彼女は孝元に背を向けたまま、壁に体重を預けた。
「斑……」
「こんなのって……ないわよ」
「おい」
「アタシは医者なの! あいつはアタシの……患者なのよぉ……」
 壁に寄り掛かったままその場にしゃがみ込んだ斑の肩が、少し、震えていた。こんな時に気の利く人間であれば何かいい言葉をかけてやれるのだろうがあいにく孝元はそんな男ではなかったし、何よりここで彼女に触れてしまえば、彼女と仁の間柄を踏みにじってしまうようで、孝元にはそんなことは出来なかった。
 仁は“組織”頭が活動を始めた当初からの“スペード”メンバーだった。体術部隊隊長として、武器を構え、部下を従え、先陣を切って戦ってきた。
 ある日、仁がひとりの女を連れてアジトに現れた。世界軍を憎いと言うその女は斑と名乗った。彼女は医療の知識に長けており、戦闘で怪我をしたメンバーを端から治していった。仁の持病が発覚したのも、そんな彼女が“組織”のメンバーとなってからだった。
 その時既に余命幾ばくもなかった仁は、彼女の診断と投薬によって何とか命を長らえていた。しかしそれがいつまでも続くはずがない。それは、他の誰よりも、仁を診察してきた斑自身が分かっていたことだった。
 そして今回の、自殺覚悟の作戦である。
 もう自分には先がないと分かりきっていた仁が、自ら作戦を提案した。“黒衣”という架空の宗教を作り上げ、【珊瑚礁の島国】国民を煽り、島中に爆発物を仕掛けた。彼の死と共に、この島をひとつ焼いた。
 残ったのはすすけた大地。
 仁は、もういない。
「仁が、アタシに居場所をくれたのよ」
 吐き出された彼女の台詞は、余韻を残しながら消えていった。
「どうしていいか分からなかったアタシに、手を貸してくれた」
「それは過去の話だろ。今は、今なら、何するべきか……分かるだろ」
「黙んなさいっ!」
 床を蹴り、跳び上がった斑に掴み掛られる。彼女の左手は孝元のローブを捕らえ、右手は空を切った。
 乾いた音がコンクリートに跳ね返り、少し遅れて左頬に痛みが広がった。
 ローブを掴んでいた左手が力なく垂れ下がった。かすれた「ごめんなさい」は聞かなかったことにした。
「……静から、お前に任務だ」
 孝元のその言葉に、斑は身体を震わせた。
「現在北阿で任務中の納抄に、体術部隊隊長である仁が死亡したことを連絡しろ。そしてその後任には納抄が就け、と」
「……最っ低な任務ね」
「やれるな?」
「馬鹿にするんじゃないわよ」
 顔を上げ、孝元の肩を小突いて、そう吐き捨てる。右手の甲で両目尻をこすった。
「すぐ現場に向かうわ、静にもそう伝えておきなさぁい」
「ああ、必ず」
「それじゃ、行ってきまぁす」
 斑は再び孝元に背を向けた。彼女の靴が、カツカツと床を打ち鳴らす。つい先ほどまで見せていた後姿とは打って変わって、何か決意のようなものがにじみ出ているように感じる。足取りは、力強い。
 斑は弱くない。任せても大丈夫そうだ。静の元へ戻ろうと引き返しかけたが、「ああそうそう」という声に振り向いた。
「あんたって、本当……卑怯よねぇ」
「何が」
「さっきの、わざと叩かれたんでしょう?」
 それには答えず、今度こそ引き返す。静が孝元を待っている。斑のことを気にかけている年下の上司に、任務の受諾を伝えなければならない。
(……ばれてたか)
 本音は声に出されることなく、孝元の胸の内でそっと呟かれた。



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