失った者たち


 肌寒いのと不快な雨音で喜市は目を覚ました。寄り掛かっていた壁から背を離して掛けていた毛布を退ける。右側に視線をずらせば、小さな山が2つ、微かに上下しているのが確認出来る。腰にぶら下げた重みを感じながら静かに立ち上がった。まだ休んでいる2人を、起こしてはいけない。部屋――というか、コンクリートの壁に6面を囲まれただけのスペース――の隅に、もう1人の仲間の毛布が畳まれた状態で置いてある。その仲間、十貴は「調べたいことが有るから。2、3日で戻る」なんて言っていたが、彼が居なくなってから今日で4日目だ。まさか何処かで倒れているとか、そういうことは無いだろうが、いったい何処をほっつき歩いているのだろう。
 目の前に垂れてきた前髪を後ろに撫でつけるが、またすぐにこぼれてきたので諦めた。うっとうしいが、別に構わない。
 扉は壊れて吹き飛んでいる。其処から空を見上げて雨に顔を顰め、近くに転がっていたピンクのビニール傘を広げた。今の気分にはこの上ないほど不似合いな色だが、これ以外に傘なんて無いのだから我慢するしかない。



 数年前に興った“黒衣”と呼ばれた宗教集団がこの国に牙を剥いたのはつい先日。まずは王城、行政府官邸、それから更に国全体が爆破された。たった1日で、国が1つ焼け落ちた。海に囲まれて閉ざされた島国、逃げ道は無かった。国民も殆ど死んだ。だが、逃げ道が有ったとしても、そんな余裕を与えられる間も無く死んでいった者が大半だろう。それほど“黒衣”の行動は早かった。
 着実に教徒を増やして要らない人間を消し、その戦力(と言って差し支えないだろう)を増していった“黒衣”。彼等の売り文句、『新世界の創世と神の加護』に惹かれた者が居ると同時に、その言葉、そして“黒衣”という組織そのものに気味悪さと恐怖心を感じた者も居た。喜市もその内の1人だった。“黒衣”に反対する同士を募って武器を手に取り、仲間と共に戦った。
 その結果がこのザマだ。
 仲間を、親しかった友を失い、友の愛した女性にも己の愛する女性にも、心身ともに傷を負わせた。喜市自身も左目の光を失った。
 そもそも、国のお偉いさんたちが、この国を動かしていた者たちが皆死んだ時点で、この国は死んでしまっていたのだ。あの後に無駄な抵抗を続けていなかったら、もしかしたら友は死なずに済んだかもしれない。
 ……それももう、過ぎた話だが。
 満足に治療も出来ない状態で、それでも援助の手を差し伸べてくる他国の軍人たちから逃げ続けているのは、喜市にはまだやり残したことが有るからだった。



 半壊したコンクリートのビル、その壁の中から鉄骨が見え隠れしている。今彼等が寝起きをしている場所だ。雨風を凌げるのは良いが、怪我人にとって良い環境とは言えない。もっと良い場所は無いだろうか、多分無いだろうなぁと考えつつ雨の中を歩いていたが、雨音の向こうに軍のジープのエンジン音を聞いた気がして、やっぱり場所を移そうと思った。
 ビルから少し歩いた所にひしゃげた自動販売機が転がっている。数日前まではこんな所には無かった筈だが、例の爆発の際、風に押されてきたらしい。鍵をこじ開けて中を見てみると、外装が壊れた分衝撃が吸収されて、多少缶は凹んでいたが飲み物は無事のようだった。これを発見して以来、此処の飲み物には世話になっている。盗みはいけないなんていう道徳よりも、喉の渇きの方が大きな問題だった。それ以前に今は、彼等を縛りつける法すら無い。
 ブラックコーヒーを1本拾い上げてプルタブを引き起こす。1口含んで、勿論ぬるくなっているので不味いが、まあ飲めない事もなかったから一気に煽った。
 傘越しに見えるピンクの世界と雨。
「雨は……嫌いだ」
 何となく、呟いた。
 喜市が“黒衣”と戦うことを決めた日も。
 “黒衣”の教徒だった喜市の祖母が必要無いという理由で同じ教徒に殺された日も。
 その祖母が“黒衣”の教徒となった日も。
 必ず雨が降っていた。
 祖母とはあまり仲が良くなかったし、自分にとって良い存在であったようには思えなかった。だが……いや、だからこそなのかもしれない。祖母が死んだあの日、無性に腹が立ったのは。
 雨の日、雨には、良い思い出が無い。
 そんなことを、ただぼんやりと思い出していた時だった。
「喜市」
 まだ声変わりもしていないような可愛らしい少年の声で名を呼ばれ、顔を上げるとやはり想像通り、十貴が黒い傘を差して立っていた。
 長い前髪で隠された彼のその両目を、喜市は殆ど見たことが無い。左右、金と銀に色付いたその珍しい瞳。十貴の過去と関係が有るようだが、本人が話そうとしないので知らないままだ。無理に聞くような話でもないだろうし、十貴が言わないのは、喜市が聞く必要はないということなのだろうから。
「お前……いつ戻ってきた?」
「本当、ついさっき」
「じゃあ、あそこのビルには」
「寄ってきたよ。2人とももう起きてたから、荷物纏めるように言ってある」
「は? 何で……」
 訊けば十貴はくすりと笑った。
「他国の軍人が近くまで来てるの、喜市だって分かってるでしょ? そして喜市なら逃げようと考える……違う?」
「いや、その通りだ」
 十貴も自販機から缶を拾った。橙色の背景の上に『みかん』と書かれている。彼は喜市と違って、子供が好むような甘いものが好きらしい。
 それから更に、ビルで荷物――と言っても、そんな物は殆ど無いに近しいのだが――を片付けている彼女たちの為に数本の缶を抱えた。帰りながら、十貴の調べたいこととはいったい何だったのか訊こうとしたのだが。
「おい、十貴」
「大丈夫、気付いてる」
 微かに感じた人の気配。人数は少ないから大人数で行動する軍人ではないのだろうが、かと言って生き残った国民や興味半分で島に渡って来ているようなジャーナリストたちとも違う。もっと、殺気に近いものを感じる。
 ――なら、何者だ?
 危険かもしれないと感じたのは2人とも同じだった。十貴がズボンのベルトから拳銃を引き抜いて、頭1つ分背の高い喜市を見上げる。
「僕は向こうの瓦礫の裏に回る。喜市は此処から」
「それで良い。気を付けろよ」
「ソレはこっちの台詞、不用意に撃たないでよね?」
「分かってるって」
 無鉄砲過ぎる、と多くの仲間に何度も言われたことは有るが、正直自覚が無い。
 ……本当だろうか。




 元は民家だったのだろうが今は跡形も無く、辛うじて残っているような壁に身を隠す。十貴はもうそろそろ向こうで銃を構えているだろうか。まぁ良いかと思って目標を確認する。
 見てパッと目を引くのが金髪のロングコート。その隣の奴は白い鳥を連れ、丈の長い布を肩に掛けている。確かアレは、羽織と言ったか。何処かの国の民族衣装だったと記憶している。どちらも喜市より少し年下の少年。何故そんな奴等がこんな所にいるのかは知らない。とにかく喜市に分かるのは、あの殺気にも似た気配だけだ。
 銃を構えて照準を合わせようとするが、なかなか出来ない。左目が無い為に遠近感が掴みにくい。目を怪我してからろくに銃を握っていなかったし、その必要も無くなっていたのだが。こんなにやりづらくなっているとは。
「くそ……!」
 思わず毒づく。適当に銃を向けて撃ってやった。
 パン!
 乾いた銃声が響く。
 信じられないことに、銃声に反応して羽織の少年が腰に差していた細身の剣、刀を抜いた。
 ギィン!
 鈍い金属音。まさか、銃弾を弾いたのか?
 コートの少年が、ホルスターから銃を抜いて撃ち返してきた。慌てて壁に隠れて銃口だけ出し、此方も何発か撃つ。その間に、喜市のでもコートのでもない銃声が聞こえた。コートの銃声が止んだところを見ると、十貴が仕留めたか利き腕を怪我させたらしい。チャンスだと思い再び顔を出して照準を合わせる。その時不意に耳鳴りがして。
 持っていた銃がどろどろに融けだした。
「な、何だ!?」
 銃は次第に熱くなり、喜市の手も腕も焦がしていく。目を上げて相手を見れば、羽織の肩に乗った鳥の額が赤く光って見えた。
「コレが、不可視の能力ってヤツか……?」
 話に聞いたことなら有ったが、実際見るのも攻撃を喰らうのも初めてだ。
 両腕が肘から、ごとりと落ちた。次は足が、爪先から融けだしている。
 次は肩が。
 背中が。
 痛い。
 熱い。

 ――俺はまだ、死ねないってのに……!!

 ふと気が付くと手も銃も元通りだった。いつの間にか十貴が後ろに立っていて、両手を上げている。此方が白旗を上げたので向こうも攻撃を止めたのだろう。
「何で……十貴」
「あのまま止めずに放っておいたら、喜市、精神崩壊起こしていたかもしれないから」
「?」
「今のは妖術、幻影を見せて相手の動きを止め、戦闘不能にする能力」
 十貴は「本で得た知識だから、僕も詳しくは知らないんだけどね」と付け加えたが、それだけ分かれば十分だ。おそらく、その妖術を使ったということは、向こうにも攻撃の意志は無いということなのだろう。負けを認めるようで(実際負けだが)気分が悪いが、喜市も銃を捨てて両手を上げた。
 羽織が口を開いた。
「お前たち、この国の国民だな?」
「あぁそうだ。お前等は?」
 コートが明るい黄色の髪を左手でクシャリと掻く。右二の腕から血を流しているが、たいしたことはなさそうだ。
「んー何つーか」
「ある人物がこの島に居ると聞いて探しに来た」
「そうそう、そんな感じ」
 こんな焼け焦げた、死んでしまった島で人探し、とは。いったい誰を探しているというのか。喜市のその疑問は、羽織の次の言葉で吹き飛んだ。
「この国を滅ぼした“黒衣”と呼ばれた集団の幹部及び頭が生存しているか否か、生きているのであればその所在も知りたい」
「!!」
 “黒衣”の関係者なのか? ならばこの少年等も敵なのか?
 再び銃に伸びかけた喜市の腕を、十貴が止めた。前髪が揺れてその奥の金と銀の瞳が覗く。何故かその眼に気圧され、喜市は腕から力を抜いた。
 十貴が前髪を掻き揚げた。コートも羽織も、十貴の目を見て一瞬表情が強張る。
 十貴の声はいつもより数段低かった。
「どうして“黒衣”を探している? 彼等は僕等の敵だ。君たちがその関係者であるのなら、僕は君たちを此処で撃つ」
 何か(おそらく文句を)言いたそうなコートを止め、羽織が答える。
「それなら問題は無い筈だ。“黒衣”とやらは、俺たちの敵でもある」
「国民じゃない君たちが?」
「ああ。奴等はこの国だけじゃない、世界中、全てを、滅ぼそうとしている。俺たちの国も、多少なりとも被害に遭った」
「なっ……!」
 そんな話は、聞いたことが無い。もともと喜市は情報に疎い方だし、何しろ国がこんな状態だったのだから、他国の情報を得ようにも不可能に近かった。それに対して十貴は情報収集が得意だ。何か知っているのかと彼を見たが表情は分からず、代わりに喜市を押さえる腕の力が抜けた。
「十貴?」
「彼の言ってること、本当だよ。全く同じ話を軍人がしてるの、聞いたから。作り話が一致する訳、ないでしょ?」
 もしそうだとしたら。
 喜市たちのしたことは、本当に無意味なことだったということになる。
 こんなちっぽけな島で抵抗したって、相手は世界中に多く居たのだから。
「……で、俺の問いには答えてもらえるのか?」
 羽織が、意志の強い目がまっすぐ此方を向く。喜市を見る。しかし、さっきの術のことも有る所為か喜市は彼の目を見返すことが出来なかった。
 目を逸らしたまま、答えた。
「奴等の頭は、俺が撃った」
「マジ?」コートが驚きの表情を浮かべる。
「既に死にそうだったけどな、アイツ」
 病で、もう長くない命だったあの男。
 薬で何とかこの世に居るようなものだ、と言っていた。
 組織に対する恐怖と友を殺された憎しみだけで彼を撃つのが、あんなに気分が悪いものだとは思わなかった。人の命を奪うことで常に死と隣り合っていた彼を撃ち、そうして喜市は何を手に入れた?
 ――寧ろ、何かを失った気がする。
「なら、幹部と他の教徒は」
「教徒全員、腹の中に爆弾抱えてたらしい。頭が死んで、時限装置が作動して、皆吹き飛んだ……と思う」
 知らずに、嘲笑という笑みがこぼれた。

 俺 が こ の 国 を 殺 し た ん だ 。

「お前……」
「何だよ、俺を殺すか?」
「いや、そうじゃないが……」
 ふいに、軍のジープのエンジン音が聞こえた。それなりに近くから。
 あのビルに居る、彼女たちの顔が浮かぶ。
 十貴と顔を見合わせ、投げ捨てた銃を拾ってまたベルトに差す。彼女たちの所へ戻らなければ。崩れた家の瓦礫から飛び下り、ビルの方へ向かう。
「何で軍から逃げるんだよ! お前等、逃げる必要無いだろ?」
 コートの声が追いかけてくる。答える必要は無かったが、何故か、それには答えたかった。
 振り向いて、一言だけ言った。
「此処が俺の世界だからだ!」



 この国から出たことは一度も無い。だから、この国以外の“世界”を知らない。この国が喜市にとって全てで、喜市の世界は此処なのだ。
 だから、この国を失いたくない。自分の世界を消したくない。
 他の国の王たちが、この島の領有権のことで何度も議論を繰り返しているらしいが、そんなことは関係無い。守りたいと、そう自身で決めたことを途中で放り出す訳にも行かないから。
 どんなに不可能だと分かっていても、自分は意地を張っているだけなのだと知っていても、最後まで諦めない。

 もう俺自身の戦いは始まってしまったのだから。



「そういやお前、何調べてきたんだよ」
「そうソレ! 上手くいけば、島から軍人を追い出せるかもしれないよ――」



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