1.休暇の始まり


 遠くから花火の上がる音が聞こえる。街は色とりどりの花と旗で飾られ、大道芸人たちが陽気な音楽を奏でながら人々の注目を集めている。気持ちのいい青空を背景にして無数の風船が泳いでいる。
「おー派手にやってるなぁ」
 窓から身を乗り出したアインが楽しそうな声をあげた。一生懸命手を振っている。相手は街を練り歩く大道芸人だろうか。別に知り合いでも何でもないだろうに。
「そりゃあ派手に決まってるよ、年に一度のお祭りなんだから」
「何言ってるんだよリベル。お祭りだから見てるとうきうきしてくるんだよ」
「そうなの」
「そうだよ」
 軽い足どりで部屋を出ていくアインを見送り、開け放たれたまま閉められることのなかったドアを閉じる為に読みかけの雑誌を伏せる。立ち上がって、リベルは窓枠に切り取られた外の景色を横目で見た。
 この世界を創った神が生まれたとされる『聖なる日』。この日までの一カ月間、人々は神の誕生を祝う為の準備をする。準備期間と『聖なる日』当日のセレモニーを含めて生誕祭と呼び、神への感謝の気持ちを込めて神を祭っている神殿だけでなく街までをも彩り音楽を奏で歌う。それを人も楽しむ。
 また、生誕祭の始まりは一年の終わりでもある。リベルたち学生は『聖なる日』まで休暇となるのだ。
「お祭り、ねぇ……」
 祭りにはあまりいい思い出がない。一歩外に出てみたら楽しかったのかもしれないが、そうしてみようと思ったこともない。この祭りの時期、親が慌ただしく仕事をしているのを見ると、自分だけ楽しく遊びに行くのは気が引けたのだ。家でつまらない時間をもて余しているだけの日々は、それはなかなかに苦しかった。
 ドアを閉じ、再び雑誌をつまみ上げてベッドに寝そべる。街中央に位置する広場ではもうそろそろ開催宣言がなされるだろう。司祭長が神の誕生、世界の創造の歴史を延々と述べ、昨今の経済難や地域紛争を嘆き、だが明るい未来に対する希望を謳い上げて高らかに祭りの始まりを告げるのだ。半分以上は昨年と、いや、もっとずっと前からの宣言と同じ内容なのだろう。一言一句覚えている訳でもないのに、夕方の報道でこの様子が放送されているのを聞くと前にも同じことを聞いたことがあるように感じる。
 夕食まであと数時間。雑誌の未読破ページは残り少ない。廊下に顔を出してみても誰もおらず、多くが祭りと休暇に浮かれて遊びに出ているのだと気付いて首を引っ込める。
 大いに暇である。
 最高の暇潰し相手であるルームメイトのアインも出ていった時のあの様子じゃすぐには帰ってこないだろうし、未読破ページの内容を確認すれば八割が懸賞の当選者発表だし、こうなったら自分ひとりで何とか面白おかしく時を過ごさなければならない。面白さとは程遠い自分に自分自身で随分なものを求めている矛盾を感じ、だからといってやはり外に出る気にはなれず、幼い頃の意識というものは簡単に抜けるものではないということを痛感する。
 どうせ今月の懸賞も外れだろう。雑誌は本棚に片付け、開け放たれた窓の外に何気なく目を向ける。その時道路を歩いていたのは街の警護を任されている神殿兵、そしてリベルが空に見たものは、一羽の伝書鳩だった。
「郵便?」
 伝書鳩は両足で掴んだ封筒を窓の外に備えつけられた郵便ポストへ器用に入れようとしたが、リベルに気付かれていると分かるとそのまま部屋へと舞い込んだ。リベルが差し出した手に封筒を落とすとまたすぐに飛び去っていく。
 たくさんの鳩たちが空の高いところで群れを成している。どれがリベルへ手紙を届けた伝書鳩かはもう分からない。次の郵便の為に局へ帰るのだろう、列を乱すことなく鳩たちはまっすぐ飛んでいった。
 実家の両親から手紙が届くことはまずない。リベルの両親なら、手紙を出すくらいなら顔を見に自ら田舎から出てきて、ついでに街の観光でもしていくだろう。だいたいこの時期は忙しくしているはずだからわざわざそんなことをするはずもない。他に何かが自分宛に届く心当たりといえば四カ月前に雑誌の懸賞で当てたラジオくらいだが、伝書鳩が運べないような大きなものやガラス製品等の壊れ物はこの寮の郵便室に届けられる。となるとこれも違う。
 改めて封筒に目を落とす。寮の住所と部屋番号、リベルの名前が書かれている。それ以外には何も書かれていない。差出人が分からない。そんなものがなぜ自分に届いたのかも分からない。
 文字は手書き、インクは黒。全体的に角ばった、神経質そうな印象を与える字だ。外から触ってみても特に凹凸は感じない。光に透かすと中身の四角いシルエットがぼんやりと浮かび上がる。特に変わったものは入っていないようだ。普通過ぎて逆に怪しい。中身を切らないように封筒の辺ぎりぎりを切り落とし、中を覗いてみようとした。
 ……しただけで叶わなかった。
「ねぇリベル!」
 ドアの向こうでやかましく響いた女子の声にリベルは溜め息をついた。
 リベルたちの通う学校は国が運営する全寮制、当然寮は男子女子と分かれているが共学である。男子棟と女子棟は別々の建物で、基本的に異性の棟へ入るのは禁止されている。これは寮則、寮生のきまり。扉を開けた目の前に立っている彼女だって、知らないはずはない。
 もう一度溜め息をつく。
「君は『禁止』という言葉の意味を今一度調べてくるといいよ」
「でも私、一度も咎められたことないもの、男子が女子棟に入るのとは訳が違うわ」
「だからって今後もそうだとは限らないでしょ」
「分からないじゃないそんなの」
「分からないからやめろって言ってるの」
「まったくもう頭がカタイ男はモテないわよ」
「話をすり替えるな」
 自由奔放というか何というか、メーアは勝手な言葉を適当に矢継ぎ早に投げ返してくる。リベルとしては、別に彼女は嫌ではない。嫌ではないのだが、メーアこそ人の話を聞き入れられるくらいには頭を柔らかくしてほしいと思っている。本音を伝えたらまた言葉のマシンガンに迎え撃たれるので言わないが。
「で? 何の用事?」
「あっ、そうよそれよ」
 思い出したようにジーンズのポケットに手を入れる彼女。まさかここまで来て忘れていた訳じゃないだろうな。ちょっと不安になる。
「これ」
 ずいと鼻先に突き出されたそれに驚き、その瞬間抱いた違和感はすぐに疑問に変わった。
 メーアが持っているのは白い封筒。
 先ほど自分にも届いたそれをメーアに見せる。
「まさか」
「……同じ、もの?」



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