早芽の巫女


 りん――

 鈴の音が、響く。

 りん、りん、りん――

 神を祀る舞台で、神に愛された娘が舞っている。たくさん、たくさん鈴がくくりつけられた棒はさながらぶどうで、そのぶどうを両手に構え、しずしずと、時に激しく足を踏み鳴らす。
 その様子を、旅人はただただ見ていた。
 理屈などなく、本能がその美しさを感じ取っていた。手首のしなり、ひとつ足の運びひとつが美しく、花を揺らす風のようであり、岩をも砕く水流のようであり、彼はその様子から目を離せなくなっていた。
 鈴が鳴り止み、旅人ははっとした。夢のような一時が終わってしまった悔しさと、催眠術にでもかかっていたような後味の悪さがないまぜになっており、今自分がどのような顔をしているのか想像も出来ない。確実に言えるのは、娘の舞いをもっと見ていたかった、ということ。
 舞台にいた娘からもこちらの姿はよく見えたらしい。彼女の背ほどはあろうか舞台から飛び下り、まっすぐこちらに歩を進めてくる。思わず目を反らしてしまったが、顔を覗きこまれては、目を合わせない訳にはいかない。
「はじめまして。旅の方ですよね?」
 微笑んだ娘は、声まで鈴のようだった。
 緑に囲まれたこの神殿をたったひとりで管理する彼女。娘は連日神の声を聞いている。近くの町から助言を求める人々に、神の声を伝えている。神と人との間の存在――そうなったのも、娘が神に愛されたから。
 このような娘がひとりで。「さみしくないのか」と問えば、「神は常に、わたくしの傍におられますから」と返ってきた。
「わたくしは、皆様よりも少しだけ神と近しい存在になりました。もう人ではないのですから」
「巫女殿……」
 旅などせず、母国でただ働くだけの人生を送っていたのなら、きっと今頃は彼女くらいの子供がいたことだろう。まだまだ親が必要であろう年頃の娘が、そんな悟ったことを言う。そんな娘に頼らなければ、神に頼らなければならないようなこの世界は美しいのだろうか。この世界は生きていると言えるのだろうか。

 遠くから人の話し声、足音が聞こえた。
「巫女様ー!」
 舌足らずな口調で駆けてくる幼い少年、続いて少年の両親が荷車を引いてきた。彼らは、神のお告げに従い、結果豊作に恵まれた農家の人間だった。
「巫女様のおかげで今年もたくさん米が出来ました」
「いいえ、わたくしではありません、神のおかげです」
「いやぁ、ありがとうございます」
 神の御前に大きな米俵が3つ供えられた。家族は何度も何度も頭を下げながら帰っていった。
 楽しそうに、笑いながら。
 米俵の前に膝をつき祈る娘に、旅人は繰り返し問うた。
「さみしくないのか」
 胸の前で組んでいた両手がだらりと垂れる。
「意地悪な方ですね」
 立ち上がり、こちらを向く。
 微笑みを保ったまま、しかし今にも泣き出しそうな彼女は、やはり美しかった。娘は人間ではない、しかし確かに人間である――そう、表情が訴えていた。
「旅の方、お名前は?」
「ダイチ、だ」
「ダイチさん……わたくし、ミサメと申します」
 それだけ言って、娘は口を閉じた。
 町の住人からすれば、彼女は神同然だろう。しかし通りすがりの旅人にとっては、娘は人でしかなかった。だから問うた、「さみしくないのか」、と。だから彼女は旅人に人の名前を告げた、人であることを証明する為に。
 りん、と鈴が揺れる。

 ――世界は、いつの日か美しくなれるだろうか。



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