ひかりのかみ  この村には古くから伝わる話があった。空から降り注ぐ光と神の話だ。  村の裏手にある山を越えたところに小さな教会があり、祭壇には火が灯っていた。水をかけても風に煽られても、その火は消えることがない。村の人々はこれを神・ウェスタと崇め、祀った。  神のいる場所である。教会とその周辺は聖域であり、無暗に立ち入ることは許されない。しかし火を祀り、教会を維持する為には人の手が必要だ。ではどうするか。村人たちが首を捻った時だった。  空から一条の光が降りてきたのだ。  光は村の娘、たったひとりだけを照らした。温かく、神々しい光だった。 「神の導きだわ」  そう呟いたのが誰だったのか、今となっては分からない。分かったところでたいした意味もない。重要なのは、光が神の導きで、神が娘を必要としているということ。村人たちは娘をウェスタの使いと呼び、世話役として教会に送り出した。  やがて、世話役の人間が役目を全うし生を終える時が訪れる。次の世話役の選定が始まる。神の光が次の世話役を選び出す。  そして――。  * * *  あまりの眩しさに、ハンナは種を蒔く手を止めた。目を細めるだけではどうにもならず、種の入った籠を脇に抱え、もう片方の腕で顔を覆った。  腕の影から窺えば、一緒に畑仕事をしている両親も、昼食を届けにきた祖母も、揃ってハンナを見ている。それだけではない、遠くの農道を走っていた馬車も、たまたま通りかかっただけの通行人も皆、動きを止めた。 「これはどういうこと? とてもじゃないけれど、前が見えなくて……」  言い終わる前に心臓がどくりと鳴る。僅かに遅れて頭痛が、息苦しさがハンナを襲う。立っていられない。籠がひっくり返る。種が全て足元にこぼれたがそれどころではない。目がちかちかする。脳裏に覚えのない風景が流れ始める――そう、風景! 鮮やかな新緑、底見えぬ渓谷に架かる吊り橋、壁を蔦に覆われた教会、どれもハンナの知らない場所。見たことなんてないはずなのに、それらは突如記憶の中に現れたのである。  頭痛と息苦しさは時間の経過と共に収まり、目も徐々に馴れてきた。立ち上がり顔を上げる。目の前の母に声をかける。 「これ、もしかして……?」  しかし母は答えない。  母は――いや、視界に入る全ての人が、両手両膝、そして額をも地面につけている。  ハンナは神に選ばれたのだ。  事実は瞬く間に村中に広がった。村人たちは入れ替わり立ち替わりハンナを訪れ、祝福した。まるでハンナを恐れるように、そして敬うように祈った。それら全てを、ハンナは受け入れた。  ハンナに降り注いだ一条の光は啓示である。神に選ばれ、見たこともない場所の――火を祀る教会の場所を知る。己に課せられた命を知る。 「じゃあ、わたし、行くね」  引き止めない家族を見て、後に戻る道はないのだと知る。無論戻りたいという願望などハンナにはなかった。必要最低限の水や食料を詰めた鞄を肩に掛け、村人総出で見送る中、彼女は教会に向かって歩きだした。  村を北から抜けてまっすぐ行けば朽ちた大木が横たわっており、根の方へ進むと川が流れている――始めて行く道だが、ハンナの足は迷いなく動く。光とともに現れた記憶がハンナに進むべき先を教えてくれる。初めて引き出す“記憶”の存在に違和感を覚えつつも、ハンナはそれに従って小川を渡った。啓示とはそういうものなのだろうから。  山を越え、谷に架かる吊り橋を渡れば、教会はもうすぐそこだ。そろりそろりと進みながら足元を見、見えぬ底にぞっとする。震えが足の先から頭まで伝わるが、引き返そうとは思わない。今更引き返すことなどできない。下を見ぬよう、前だけを見て、確実に一歩ずつ進んでいく。  何とか渡り切り、鬱蒼と茂る木々の枝をくぐる。下草に足を取られ、飛び出す小枝に服を引っ掛け、頬や手に引っかき傷をつくりながら歩くこと数刻。陽が沈む頃になってようやく、ハンナは目的地に――蔦で覆われた教会に辿り着いた。  真っ赤な陽に照らされた教会は彫刻や柱の裏に影を落としている。神のいる神聖な場所のはずなのに、妖しさを醸し出している。 「本当に、ここが……?」  そっと扉に手を掛けると、扉は予想に反して音もなく開いた。流れ出てきた温かな空気がハンナの頬を撫でる。中は薄暗く、窓から差し込む夕陽が濃い影を落としている。  奥の祭壇では、赤々と火が燃えている。 「あの」  呼びかけた声がこだまする。声は影にとける。 「ウェスタ様」  足を踏み入れ後ろ手で扉を閉じて、再び呼びかける。  そして。  ごう、と音を立て、祭壇の炎が大きくなった。炎の先が天井を舐める。散った火の粉が床を焦がす。  やがて炎は小さくなり、人の形となった。赤い衣装を身にまとい、燃えるような赤い髪と瞳。女の姿である。ハンナは膝をついて目を閉じ、両手を胸の前で組んだ。 「光の神・ウェスタ様。あなたにお仕えするために参りました、ハンナと申します」 「光の神、か。お前たちの間では、私はそう呼ばれているのか」 「ええ……何か、失礼でしたか」 「いいや。ただ、面白いと思ってな」  強い光が瞼の上から目を刺した。突然のことにきつく目を閉じ、それからゆっくりと開ける。目の前のウェスタを見上げる。  ハンナの目はウェスタの両手に握られたそれに釘付けになった。 「それは……!」  光輝く大剣に。 「ああ! わたし、やはり失礼なことを申し上げてしまったのですね。大変申し訳」 「違うと言っておるだろう」  ウェスタは喉の奥でくつくつと笑う。 「まったく、こうも違って伝わるとは、何とも愉快な」 「……どういう意味でしょうか」 「私は“光の神”なんかではない、ということだ」  ウェスタは大剣を振りかざす。状況を飲み込めず、ハンナはただただ目を見開くばかりである。動くこともできない彼女の胸を、剣が正確に貫く。  ハンナの瞼の震えが収まったのを確認して、ウェスタは大剣を引き抜いた。剣先に灯った炎に触れる。炎は指先に吸い込まれるように消え、光が肌の下を伝う。肘、肩を通り、首から頭へ上がる。一瞬明るさが強まり、ウェスタの髪は一段と輝きを増した。  炎こそがウェスタの生の証、それを得ることでウェスタはウェスタとして存在し得る。故にウェスタは火を集める。 「私は命の火を狩る……“火狩り”なのだよ」